第99話

文字数 4,765文字

 「…葉問…」

 私は、言った…

 「…オマエ、頭は、おかしくは、なってないようだな…」

 「…ボクは、正常です…」

 葉問が、答えた…

 いたく、真面目な表情で、答えた…

 それを見て、私は、なんだか、おかしくなった…

 だから、思わず、

 「…プッ!…」

 と、吹き出した…

 そんな私を見て、葉問も、当惑した…

 「…なにが、おかしいんですか? …お姉さん?…」

 「…だって、おかしいだろ?…」

 私は、言った…

 「…私が、オマエは、頭がおかしいんだと言って、言われたオマエは、頭が、おかしくないと、言い返す…それが、まともな大人のすることか?…」

 私が笑いながら、説明すると、

 「…たしかに…」

 と、言って、葉問も、笑みを見せた…

 「…まともな、大人のすることじゃ、ありませんね…」

 「…そうだろ?…」

 私は、強く、言った…

 それを、見て、

 「…お姉さん…」

 と、葉問が、私を、呼んだ…

 「…なんだ?…」

 「…オスマン殿下のことですが…」

 「…殿下が、どうした?…」

 「…トラブルに巻き込まれるかも、しれません…」

 「…トラブル?…」

 「…サウジの国王陛下が、倒れました…なにかが、起こるかも、しれません…」

 葉問が、真面目な表情で、告げた…

 だが、私は、

 「…葉問…」

 と、声をかけた…

 「…なんですか?…」

 「…オマエの言うことは、わかる…だが、私になにが、できる?…」

 私は、言った…

 「…私は、平凡さ…平凡、極まりない女さ…そんな平凡極まりない私にできることなど、なにもないゾ…」

 「…そんなことは、ありません…」

 葉問が、即答した…

 「…お姉さんは、誰かも、愛されます…だから、誰からも、力を貸してもらえる…」

 「…力を貸して、だと?…」

 「…そうです…嫌われる人間は、どこに行っても、誰からも、嫌われます…だから、誰も、力を貸して、もらえません…お姉さんは、その真逆です…」

 「…私は、真逆?…」

 「…そうです…正直な話…この先、なにが、起こるか、この葉問にも、皆目、さっぱり、わかりません…ですが、オスマン殿下が、一目見て、お姉さんを、気に入ったように、お姉さんには、なにか、ひとに好かれる力が、あります…」

 「…ひとに、好かれる力?…」

 「…だから、その力があれば、絶望的な局面でも、なにかが、起こる可能性があります…」

 「…絶望的な局面?…」

 「…これは、言い過ぎかもしれませんが、なんでも、最悪な事態に備えるのが、一番です…」

 「…」

 「…とにかく、この後の展開は、お姉さん次第かもしれません…」

 そう言うと、葉問は、呆気なく、消えた…

 私が、声をかけるまもなく、呆気なく、消えた…

 私が、

 「…私次第?…」

 と、呟くと、

 「…なにが、お姉さん次第なんですか?…」

 と、今度は、葉尊が、聞いた…

 私は、一瞬にして、葉問から、葉尊に変わったことに、驚いた…

 まるで、手品のように、一瞬で、葉問から、葉尊に変わったのだ…

 目の前の同じ人間の明らかに、中身が、変わった…

 人格が、変わったのだ…

 だから、驚くなと、言う方が、無理…

 無理筋だった…

 もう、何度も、葉尊から、葉問に…

 あるいは、

その真逆に、葉問から、葉尊に変わった場面を、何度も、見ているにも、かかわらず。驚きだったのだ…

 だから、つい、葉尊に、

 「…なんでもない…なんでもないさ…」

 と、いう私の十八番の言葉を口にした…

 葉尊には、悪いと思いながらも、つい、反射的に、口にしてしまった…

 自分でも、しまったと、思った…

 葉尊に、悪いと、思ったのだ…

 だから、

 「…葉尊…すまんかった…」

 と、葉尊に、詫びた…

 が、

 私が、詫びることに、葉尊は、驚いたようだ…

 「…なぜ、お姉さんが、詫びるんですか?…」

 と、直球で、聞いた…

 私は、なんと言おうと、考えたが、

 「…いや、なんとなく…」

 と、自分でも、歯切れが悪かった…

 すると、

 「…お姉さん…」

 と、葉尊が、声をかけた…

 「…なんだ?…」

 「…まだ、始まったばかりです…」

 突然、葉尊が、言った…

 「…始まったばかり? …なにが、始まったばかりなんだ?…」

 「…お姉さんとの生活です…」

 「…私のとの生活?…」

 「…まだ結婚して、半年も経ってないじゃないですか?…」

 その通りだった…

 まさに、その通りだった…

 まだ、この葉尊と結婚して、半年も経って、なかった…

 おまけに、同居したのは、つい先月…

 それまでは、いわゆる別居婚だった…

 いっしょに、住んでいなかった…

 だから、まだ、お互いのことが、わからない…

 なにしろ、同居して、まだ一か月だ…

 互いを知る時間としては、短か過ぎる…

 短か過ぎるのだ…

 「…お姉さん…互いに、楽しく人生を満喫しましょう…」

 葉尊が、明るく言った…

 「…楽しく人生を満喫だと?…」

 「…人生は、長い…ボクも、お姉さんも…」

 葉尊が、笑う…

 「…だから、楽しみましょう…マラソンでも、なんでも、苦しくとも、楽しまなければ、いけません…」

 「…苦しくても、楽しまなければ、いけないだと?…」

 「…人生は、長い…そして、苦しい…あの徳川家康が、ひとの一生は、重荷を背負って、歩くようなものと、言ったじゃないですか…」

 葉尊が、笑った…

 「…でも、お姉さんといっしょにいると、その重荷を背負うのも、つらくなくなる…」

 「…どうしてだ?…どうして、私といると、つらくなくなるんだ?…」

 「…楽しいからです…辛くとも、楽しいからです…」

 「…」

 「…辛いのは、当たり前です…なにしろ、家康に言わせれば、重荷を背負っているんですから…ですが、伴走者というか…いっしょに、歩く人間がいて、その人間といることが、楽しければ、辛さも、気にならなくなります…」

 「…」

 「…お姉さん…これからも、ボクといっしょに、人生を歩んで、いきましょう…」

 葉尊が、明るく言った…

 私は、葉尊に、そんなことを、言われたのは、初めて、だった…

 これまで、葉尊に、そんなことを、言われたことは、一度もなかった…

 が、

 当然、そんなことを、言われて、悪い気分になることは、ない…

 だから、私も、

 「…もちろんさ…」

 と、言った…

 「…葉尊…オマエといっしょに、歩いて、ゆくさ…」

 私が、答えると、

 「…ハイ…いっしょに、歩いていきましょう…お姉さん…」

 と、葉尊が、応じた…

 私は、幸せだった…

 実に、幸せだった…

 この平凡な矢田トモコが、六歳年下で、長身で、イケメン、おまえに大金持ちの御曹司と、結婚して、愛されている…

 この六頭身で、巨乳で、幼児体型の矢田トモコが、愛されている…

 冷静に、考えれば、ありえない事態だった…

 ありえない話だった…

 物語のシンデレラは、若くキレイな娘…

 そのシンデレラを見初めた王子様も、また、若いイケメン…

 だから、二人とも、実に似合っている…

 だが、この矢田トモコは、すでに35歳…

 若くはない…

 真逆に、夫の葉尊は、29歳と、若い…

 おまけに、180㎝と、長身…

 私は、159㎝…

 別に、日本の女として、決して、身長は、低くはないが、葉尊と並ぶと、似合わない…

 やはり、夫が、180㎝あれば、妻も、165㎝は、欲しい…

 そうでないと、二人並ぶと、凸凹コンビになってしまう…

 私は、思った…

 だから、私は、世間で、35歳のシンデレラと呼ばれたが、本物のシンデレラのように、王子様=葉尊と、並んでも、さまにならない…

 絵にならない…

 が、

 しかし、そんなカップルは、世間にありふれている…

 言い訳ではないが、実にありふれている…

 そもそも、現実は、物語とは、違う…

 アニメや漫画や、ドラマや映画とは、違う…

 そもそも、若く、お金持ちで、長身のイケメンで、性格も良い男など、この世の中に、存在しない…

 お金持ちであれば、やはり、謙虚さに欠けたりするだろうし、長身のイケメンならば、普通は、私などではなく、もっと、若くて、美人の女と、結婚しただろう…

 が、

 なぜか、葉尊は、私を選んだ…

 この矢田トモコを選んだ…

 これは、解けぬ謎だった…

 私といっしょにいると、楽しいからと、今も葉尊は、言ったが、私に言わせれば、眉唾物だった…

 いや、本当なのかもしれないが、どうしても、私には、信じられなかった…

 が、

 現実だった…

 だから、夢なら、覚めないで、もらいたいと、思った…

 これが、夢ならば、一刻も長く、その夢を見ていたいとも、思った…

 同時に、葉尊が、美人に、こだわらないのは、やはり、身近に、美人が、いるからでは? と、気付いた…

 リンダと、バニラ…

 共に、絶世の美人だ…

 おおげさではなく、絶世の美人だ…
 
 二人が、パーティーで、正装した姿を何度か見たことが、あるが、とてもこの世のものとは、思えない…

 まるで、芸術品…

 おおげさではなく、生きているのが、不思議なくらい、美しかった…

 あのバニラなど、普段は、バカ、バニラなどと、私は、いつも、バニラの悪口を言っているが、とても、悪口を言えなくなるほど、美しかった…

 とても、いつも、私に対して、悪態をついている女と、同一人物とは、思えないほど、だった…

 が、

 葉尊にしてみれば、それは、日常なのかもしれなかった…

 日常の光景なのかも、しれなかった…

 いかに、美人でも、毎日見ていれば、飽きる…

 たとえ、どんな美食でも、毎日食べれば、飽きるというか、こんなものかと、思ってしまう…

 それと、同じかもしれないと、思った…

 が、

 と、すると、どうだ?

 この矢田トモコと結婚したのは、新鮮だったからなのかもしれないと、気付いた…

 この矢田トモコは、今まで、葉尊が、見たこともない存在なのかもしれないと、気付いた…

 例えば、毎日、美食ばかり食べていると、たまに食べるお茶漬けが、新鮮だったりする…

 シンプルだが、うまいと、感じる…

 それと、同じかもしれないと、気付いた…

 が、

 それを、今、目の前の葉尊に聞くことは、できなかった…

 なんで、私と結婚したんだ? と、直球に、聞くことは、できんかった…

 そして、それは、もしかしたら、あのオスマン殿下も同じかもと、思った…

 私が、今、葉尊といっしょにいて、幸せのように、オスマン殿下もまたマリアといっしょにいて、幸せなのかもしれないと、思った…

 見かけは、3歳の幼児にしか見えない、小人症のオスマン殿下に、とって、3歳のマリアは、子供…

 文字通り、自分の子供の年齢だ…

 が、

 マリアと、いることが、心地良いのかも、しれない…

 ふと、気付いた…

 30歳のオスマン殿下が、3歳の幼児たちと、いっしょに、生活する…

 言葉は悪いが、オスマン殿下が、小人症でなく、普通の大人ならば、違っただろう…

 3歳の幼児たちも、自分たちと、オスマン殿下を同等とは、見ないからだ…

 が、

 オスマン殿下は、小人症…

 外見は、3歳にしか、見えない…

 だから、子供たちも、自分たちと同じだと、思う…

 が、

 実際は、全然違う…

 だから、本当は、オスマン殿下も、そんな生活は、嫌に違いない…

 が、

 マリアがいる…

 その幼児の中に、バニラがいる…

 すると、どうだ?

 嫌では、ない…

 オスマン殿下は、マリアが好きだから、嫌ではない…

 そういうことだろう…

 私は、目の前の葉尊を見ながら、葉尊が、どうして、私を選んだのか、考えた…

 そして、それが、いつのまにか、オスマン殿下と、マリアのことに、考えが移った…

 オスマン殿下と、マリアのことを、考えたのだ…

 そして、それを、目の前の葉尊に、言うことは、できなかった…

 なぜなら、葉尊は、オスマン殿下を知らないからだ…

 だから、言えんかった…

 言えんかったのだ…

               
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