第87話

文字数 5,732文字

 リンダが、やって来たのは、それから、まもなくだった…

 「…お姉さん…今日、これから、お姉さんの家に行っていい?…」

 と、いきなり、電話があったのだ…

 私は、

 「…別にいいが…」

 と、だけ、言った…

 「…そう…だったら、これから、行くわ…」

 と、リンダが、返答した…

 よくあることだった…

 リンダが、私の家に、遊びに来ることは、ありふれている…

 が、

 この時期だ…

 なにか、あるかも?

 とも、思った…

 ゲスの勘繰りでは、ないが、思ったのだ…

 案の上というか、リンダが、いつもの、ヤンの格好をして、やって来た…

 が、

 その顔は、晴れやかだった…

 いつものように、男装のヤンの格好をしているが、晴れやかだった…

 ちょうど、バニラと真逆…

 真逆だった…

 思えば、今回、最初は、このリンダが、悩んでいた…

 アラブにお持ち帰りされるのでは? と、悩んでいたのだ…

 これから、クール主催で、開かれる、サウジの王族の主催パーティーで、リンダ・ヘイワースが、ゲストとして、サウジの王族を接待する…

 その後、もしかしたら、リンダが、サウジにお持ち帰りされるのでは? と、怯えていたのだ…

 なぜなら、サウジの王族である、ファラドが、リンダの熱心なファンだと、聞かされていたからだ…

 だから、怖かったのだ…

 本当ならば、それほど、怖いのならば、パーティーに出席しなければいいと、思えるかもしれないが、それは、無理…

 できなかった…

 このパーティーは、サウジの王族の接待ということで、いわば、仕事…

 サウジの王族をクールが、接待することで、サウジアラビアで、商売をする、クールが、商売が、有利になるように、仕向ける仕事だった…

 ビジネスだった…

 そして、なにより、リンダは、私の夫、葉尊の父、葉敬に、世話になっている…

 いわば、葉敬の広告塔…

 台北筆頭、及び、クールの広告塔だ…

 だから、断れなかったのだ…

 が、

 リンダの悩みは、すべて、杞憂に終わった…

 実は、リンダ・ヘイワースのファンは、ファラドではなく、オスマンだった…

 小人症で、3歳の幼児にしか、見えないが、本当は、30歳のオスマンだった…

 そして、そのオスマンこそ、アラブの至宝と言われる、優れた頭脳の持ち主で、同時に、アラブ世界の実力者だった…

 ファラドは、王族の一人であるが、たいした実力もなかった…

 ただ、長身でイケメンと、ルックスがいいので、オスマンの代理人という立場で、対外的に、さまざまな交渉を担っているに過ぎなかった…

 そして、オスマンの代理人という立場でいるうちに、いつまでも、オスマンの代理人という立場では、飽き足らず、自らが、オスマンに取って代わる立場になろうとした…

 いわば、クーデターだ…

 そして、それを事前に察知したオスマンが、あのセレブの保育園で、お遊戯大会の名目で、自分の配下を集め、ファラドを、捕まえた…

 ファラドのクーデターを、未遂に、終わらせたのだ…

 それは、同時に、このリンダが、ファラドの呪縛から、逃れることでも、あった…

 もはや、リンダが、サウジにお持ち帰りされる危険が、なくなったのだ…

 だから、今日、やって来た、リンダ=ヤンの顔は、晴れやかだった…

 悩みが、きれいに、吹き飛んだからだ…

 「…いい天気ね…お姉さん…」

 リンダが、晴れやかな表情で、言った…

 もはや、悩みは、なに一つない様子だった…

 私は、なんというか、複雑な気分だった…

 リンダが、お持ち帰りされる危険は、なくなった…

 だから、素直に、リンダに、

 「…よかったな…」

 と、声をかけたい…

 が、

 その代わりといっては、なんだが、今、バニラが、悩んでいる…

 娘のマリアが、オスマンに、サウジにお持ち帰りされるのでは? と、悩んでいる…

 だから、それを思うと、素直に、リンダに、

 「…良かったな…」

 と、声をかけれんかった…

 「…どうしたの? …お姉さん…柄にもなく、深刻な顔をして…」

 リンダ=ヤンが、あっけらかんと、声をかけた…

 柄にもなく、などと、言われて、普段なら、リンダに怒るところだが、今日は、そんな気分ではなかった…

 どうしても、そんな気分になれなかったのだ…

 「…なにか、悩みでも、あるの?…」

 ヤン=リンダが、あっけらかんと、聞いた…

 私は、

 「…あるさ…」

 と、言いたかったが、黙っていた…

 代わりに、

 「…オマエは、幸せそうだな…」

 と、言ってやった…

 もちろん、嫌みだ…

 嫌み以外にない…

 が、

 それが、私の嫌みか、どうか、わかっているのか、わかっていないのか、リンダ=ヤンが、

 「…それは、幸せよ…」

 と、あっけらかんと、返答した…

 「…なんといっても、サウジにお持ち帰りされる危険は、なくなったんだから…」

 「…そうだな…」

 私は、返した…

 そして、

 「…バニラのことは、思わんのか?…」

 と、聞いた…

 わざと、聞いたのだ…

 すると、

 「…バニラ? オスマンのこと?…」

 と、答えた…

 「…そうさ…」

 「…お姉さん…頭、大丈夫?…」

 「…なんだと? …どういう意味だ?…」

 「…あのお芝居の意味が、わからなかったの?…」

 「…お芝居だと、どういう意味だ?…」

 「…ファラドが、捕まったことよ…」

 「…それが、どうして、お芝居なんだ?…」

 「…鈍いな…お姉さん?…」

 「…鈍いだと?…」

 「…あのとき、ファラドは、反撃できたのよ…」

 「…反撃できただと?…」

 「…そうよ…」

 「…一体、どうすれば、反撃できたんだ?…」

 「…葉問…」

 「…葉問だと?…」

 「…あのとき、葉問が、突然、現れて、ファラドを倒したでしょ?…」

 …そうだ…

 …その通りだ…

 が、

 あいにく、その場面は、私は、見ていなかった…

 「…あのとき、ファラドは、余力があった…だから、あんなにも、呆気なく、葉問に、やられたのは、おかしい…」

 「…」

 「…それで、調べたの?…」

 「…なにを、調べたんだ?…」

 「…ファラドとオスマンの関係…」

 「…ファラドと、オスマンの関係だと?…」

 「…あの二人、兄弟よ…実の兄弟…血の繋がった兄と弟…」

 「…なんだと? 兄弟だと?…」

 「…ファラドは、王族…オスマンも王族…つまり、王族という意味では、同じ立ち位置…ただ、サウジの王族は、何千人も、いると、言われている…」

 「…何千人もいるだと? …」

 「…わかりやすい例で、言えば、徳川幕府を考えれば、わかる…単純に、徳川家康の子孫という意味では、時代が経てば、経つほど、子孫が、増える…それと、同じ…」

 「…ファラドと、オスマンは、どうなんだ?…」

 「…二人とも、現国王の息子…母親が、違うだけ…」

 「…なんだと? 母親が違うだけ?…」

 これは、驚いた…

 いや、

 驚くなと言う方が、無理だった…

 無理筋だった…

 まさか…

 まさか、ファラドとオスマンが、実の兄弟だとは?

 考えもせんかった…

 思いもよらんかった…

 私が、あまりの衝撃の事実に、言葉を失って、絶句していると、

 「…といっても、近くはない…」

 と、リンダ=ヤンが、続けた…

 「…近くはない? …どういう意味だ?…」

 「…要するに、子だくさん…サウジの国王は、何十人も、奥さんがいて、子供も、いっぱいいる…二人とも、兄弟とは、いえ、それまで、交流が、あったか、どうかも、不明…わからない…日本の、腹違いの兄弟とは、まったく違うから…」

 リンダ=ヤンが、説明する…

 たしかに、そう言われれば、わかる…

 サウジの王宮は、昔の日本の徳川幕府の大奥とは、違うかもしれんが、おそらくは、それを、小さくしたものなのかもしれない…

 だから、子供が多くて、しかも、母親が違えば、父親が、同じでも、たいした交流はないのかもしれない…

 しかし、

 しかし、だ…

 そんな情報を、掴んでくるとは…

 相変わらずというか、このリンダ=ヤンの実力…

 リンダ・ヘイワースの実力を思い知った…

 まさに、凄いの一言…

 凄いの一言だ…

 おおげさに言えば、CIA並み…

 CIA=アメリカ情報局並みだ…

 リンダ・ヘイワースの持つ、ファンクラブの情報網…

 セレブのファンが、持つ、ネットワークがそれを可能にするのだろう…

 まさに、恐れ入る…

 私は、思った…

 「…で、どっちが、上なんだ?…」

 「…どっちが上って?…」

 「…オスマンとファラドさ…」

 「…それは、当然、オスマンが上…ファラドは、弟…」

 「…そうか…」

 「…でも、この場合は、どっちが、上でも、下でも、関係ない…」

 「…関係ないだと?…」

 「…そう、関係ない…だって、考えて見て…いくら、血が繋がっていても、それは、ただ、父親が、同じというだけ…たぶん、いっしょに住んだことはないし、それまで、まともに会話したこともないかもしれない…いわば、見ず知らずの他人に近い、感覚…」

 「…見ず知らずの他人に近い感覚だと?…」

 「…そうよ…でも、それを聞いて、わかった…」

 「…なにが、わかったんだ?…」

 「…なんで、ファラドが、オスマンに取って代わろうとしたか?…」

 「…どういう意味だ?…」

 「…だって、自分と同じ立場の人間が、アラブの至宝と呼ばれる陰の実力者なら、自分が、オスマンに取って代わろうと、思っても、不思議はないでしょ?…」

 「…」

 「…まして、ファラドは、オスマンを身近に見てる…それが、いけなかった…」

 「…どういう意味だ?…」

 「…たしか、以前も言ったかもしれないけれども、ファラドは、サウジの国王陛下が、オスマンに預けたの…つまりは、オスマンは、ファラドの教育係なわけ…」

 「…」

 私は、リンダの説明を聞きながら、驚嘆した…

 そう説明されれば、わかる…

 なんで、ファラドが、オスマンに対して、クーデターを企てかが、わかるのだ…

 そして、ふと、気付いた…

 リンダが、さっき、言った、

 …お芝居…

 という言葉を、だ…

 アレは、一体、どういう意味なんだ?

 いや、

 お芝居の意味はわかる…

 お芝居=やらせ、だ…

 が、

 なにが、お芝居だか、わからない…

 そういうことだ…

 だから、

 「…リンダ…いや、ヤン…なにが、お芝居なんだ?…」

 と、私は、聞いた…

 「…さっき、ファラドと葉問の戦いが、お芝居だと、言っただろ?…」

 「…ああ…アレね…要するに、八百長というか…」

 「…八百長だと?…」

 「…たぶん、片八百長…つまりは、葉問は、わかっていたか、どうか、わからないけれども、ファラドは、まだ戦えるのに、反撃しなかった…だから、私は、どうして、余力があるのに、葉問に反撃しないか、考えたの…それで、ファラドと、オスマンの関係を調べた…」

 それを聞いて、さすがというか…

 あらためて、このリンダ・ヘイワースの目の付け所を考えた…

 やはりというか…

 ただ者ではない…

 凡人ではない…

 ハリウッドのセックス・シンボルと言われるだけある…

 いや、

 ハリウッドのセックス・シンボルというと、ただの色気を連想するが、そうではない…

 セックス・シンボルと呼ばれる姿を演じることが、大切なのだ…

 誰もが、いつも、色気を振りまいて、街を歩いているわけではない…

 映画や、CMで、リンダ・ヘイワースとして、現れるときは、セックス・アピールを振りまくことが大事なのだ…

 それを、リンダ自身が、よくわかっている…

 だから、ハリウッドのセックス・シンボルと呼ばれるほどの地位を得たのだ…

 だから、いかに美人で、色っぽくても、いわゆるお馬鹿さんでは、成功しない…

 頭が、良くなくては、成功しない…

 そして、この場合の頭の良さとは、いわゆる、学校の偏差値ではない…

 要するに、相手が、自分になにを求めているか、瞬時に悟り、その相手が求める姿を、提供するのが、大事なのだ…

 それが、できなければ、いくら、偏差値が高い高校や大学を出ていても、社会で、成功しない…

 相手が、なにを自分に求めているか、わからない人間は、なにをやっても、ダメ…

 成功しない…

 身近な例でいえば、どんな場所でも、

 「…オレが…オレが…」

 「…アタシが…アタシが…」

 と、でしゃばる人間がいる…

 要するに、自分を通すというか、どんな場面でも、自分が、一番でなければ、気が済まないのだ…

 だから、当然、周囲の人間が、疎ましく思い、辟易する…

 当然のことながら、そんな人間は、周囲から孤立する…

 もっと、簡単な言葉で、いえば、周囲の空気が読めない人間だ…

 そして、当然のことながら、これは、偏差値の低い人間=低学歴の人間に多いが、全員が、そうではない…

 高学歴の人間でも、必ずいる…

 ただし、これは、やはり、少数派…

 ごく一部の人間だ…

 そして、この場合は、空気を読めないのではなく、読まないのだ…

 ありていに、言えば、オレ(アタシ)は、いい大学を出ているから、オマエたちとは、違うと考えて、その通りに行動する…

 その結果、

 「…オレが…オレが…」

 「…アタシが…アタシが…」

 と、でしゃばることになる…

 つまりは、自分は特別な人間…

 選ばれた人間だと、考えるのだ…

 だから、これもまた、周囲の人間が、辟易する…

 つまり、低学歴のひと、同様、成功しない…

 でも、傍から見れば、対人関係が、うまくいかないのは、同じ…

 同じだ…

 私は、それを思った…

 つまり、まわりくどくなったが、リンダが優れていると、言いたいのだ…

 そして、その優れているのは、容姿だけではなく、頭の中身もまた優れていると、言いたいのだ…

 と、そこまで、考えて、思った…

 今日は、一体、なんで、このリンダ=ヤンは、この家にやって来たのだろう?

 と、思ったのだ…

 だから、

 「…リンダ…いや、ヤン…今日は、どうして、この家にやって来たんだ?…」

 と、聞いた…

 私の質問に、

 「…ヤダ…お姉さん…遊びに来ちゃ、ダメなの?…」

 と、真顔で、聞いた…

 「…いや、そういうわけではないが…」

 私が、答えると、

 「…冗談よ…冗談…」

 と、リンダ=ヤンが、笑った…

 それから、

 「…お姉さん…ファラドに会いたくない?…」
 
 と、いきなり、言った…

               
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