第6話
文字数 6,032文字
…バニラ…
…バニラ・ルインスキー…
世界を股にかけた、有名モデル…
身長、180㎝の白人のブロンド美人…
歳は、23歳だが、すでに子持ち…
私の夫、葉尊の父、葉敬の愛人で、葉敬との間に、幼い娘がいる…
私は、バニラの視線に、気付きながら、それを、思い出した…
考えた…
このバニラは、目障りな女…
なにがあっても、私にたてつく、生意気な女だ…
しかも、たった今、そのバニラに、もっとも、見られたくない場面を見られた…
あのスーパー・ジャパンの矢口トモコとのやりとりを見られた…
これは、私にとって、想定外の事態だった…
まさか、こんなところで、あの矢口トモコと出会うとは、思わなかった…
そして、それ以上に、想定外だったのは、この場に、このバニラが、いたことだ…
私が、もっとも、弱みを見せたくない、女がいたことだ…
…一体、どうするか?…
考えた…
普通なら、ぶん殴ってでも、
「…今、見たことを、しゃべるな! 誰にも、言うんじゃないゾ!…」
と、言うところだが、なにしろ、私は、身長が、159㎝…
対するバニラは、180㎝…
殴り合って、私が、バニラに勝てるわけがない…
かといって、
「…頼む…バニラ…今、見たことを、誰にも言わんでくれ…この通りだ…」
と、頭でも、下げれば、この女に、私の弱みを握られたことになる…
そして、それは、どんなことがあっても、避けねば、ならんかった…
そんなことをすれば、この先、このバニラになにをされるか、わかったものじゃ、ないからだ…
私は、バニラの長身を見ながら、そんなことを、考えた…
すると、バニラもまた、一時も目を離さず、私を見ていることに、気付いた…
…これは、マズい…
私は、悟った…
だから、仕方なく、私から、バニラに歩み寄った…
すると、バニラが、笑った…
そして、
「…お姉さん…さっきのひと、知り合い?…」
と、聞いた…
私は、一瞬、どう答えていいものか、悩んだが、すでに、このバニラに、決定的な瞬間を見られてる…
だから、仕方なく、
「…そうさ…」
と、だけ、答えた…
すると、バニラが、楽しそうに、
「…へえー、お姉さんって、知り合いに、まるで、皇族かなにかに、接するように、頭を下げるんだ…」
と、笑った…
…やはり、最初から、見られていた…
私は、あらためて、思った…
このバニラに、あの矢口トモコとのやりとりの、一部始終を見られたことを、あらめためて、悟った…
もっとも、見られたくない相手に、矢口トモコとの一部始終を見られた…
さて、どうするか?
バニラを見ると、まるで、勝ち誇ったような笑いを浮かべている…
すでに、勝敗は、決した…
このバニラに、矢田トモコの弱点を握られたのだ…
だが、そんなことは、納得できんかった…
この矢田トモコが、バニラ風情の下につくことなど、どうしても、納得できなかったのだ…
…さて、どうしたものか?…
私は、ジーンズのポケットに、手を突っ込みながら、考えた…
すると、思いがけず、ポケットの中に、バニラを説得できるものが、見つかった…
私は、それに、気付くと、ポケットに手を突っ込んだまま、バニラの元に、向かった…
それを、見た、バニラは、明らかに動揺した…
戸惑った…
「…なに? …その顔?…」
バニラが、言った…
「…一体、どうしたの? …お姉さん?…まさか、そのポケットの中に、拳銃を持っているとか?…」
バニラの問いに、私は、
「…」
と、無言だった…
無言のまま、ゆっくりと、バニラに歩み寄った…
「…お姉さん…それとも、刃物でも、持っているの? …お姉さん…こんな大通りで、私を刃物で、脅す気?…」
が、
私は、答えなかった…
ゆっくりと、バニラに歩み寄った…
そして、すぐに、バニラの目の前に立った…
すると、バニラは、動揺した…
明らかに、動揺した…
「…一体…なにをする気?…」
私は、バニラに答えず、無言で、ゆっくりと、ポケットから手を出した…
途端に、バニラは、目をつぶった…
拳銃か刃物でも、出てくると、思ったのだろう…
「…オマエに、コレをやろう…」
私は、言った…
目をつぶったバニラは、私の言葉に、ゆっくりと、瞼を開けた…
そして、私の手のひらの中のモノを見た…
「…なに、それ?…」
途端に、拍子抜けした声で、答えた…
「…キットカットさ…」
私は、言った…
「…オマエの好物だろ?…」
「…好物って?…」
バニラが戸惑った…
「…ごまかすな…バニラ…この前、リンダの家で、私が、このキットカットを食べているときに、文句を言っただろ? …アレで、このキットカットが、オマエの好物だと、見抜いたのさ…」
私は、自信たっぷりに言った…
すると、バニラが、
「…」
と、沈黙した…
…やはり、私の目に狂いはなかった!…
私は、確信した…
バニラの沈黙が、それを証明している…
「…オマエにやろう…」
私は、言った…
すると、途端に、バニラが、すばやく、私の手のひらの中のキットカットを奪った…
そして、
「…お姉さん…キットカットは、お姉さんの言う通り、私の好物だけど、まさか、こんなキットカット一枚で、今、見た光景を忘れろと言うわけじゃないんでしょうね?…」
「…なんだと?…」
「…このバニラ…バニラ・ルインスキーをいくつだと、思っているの? 23歳よ…23歳の女が、キットカット一枚で、買収されるわけないでしょ?…」
…言われてみれば、その通り…
…バニラの言う通りだった…
私は、仕方なく、ポケットから、もう一枚のキットカットを出した…
「…仕方がない…欲深い女だ…もう一枚やろう…」
私は、言った…
それから、
「…これで、最後だ…今は、もう持ち合わせがない…もっと、欲しければ、ウチに来い…」
と、付け加えた…
途端に、バニラが、難しい顔になった…
悩んだのだ…
「…まさか…お姉さん…本気で、このバニラ・ルインスキーを、キットカットの一枚や二枚で、買収できると、思ってないでしょうね…」
私は、バニラの質問に、
「…」
と、答えることができなかった…
なぜなら、バニラの言う通りだからだ…
当たり前のことだからだ…
だから、とっさに、
「…だったら、娘にでもやれ!…」
と、言った…
「…娘に?…」
「…そうさ…まだ3歳の子供だろ? …喜ぶゾ…」
私の言葉に、バニラが、またも、黙り込んだ…
そして、しばらく、考え込んだ挙句、
「…そうか…そういうことか…」
と、納得した…
「…このキットカットには、そういう意味があるのか?…」
…なんだと?…
…意味だと?…
…一体、どんな意味があると言うんだ?…
「…お姉さん…私が今見たことを、ひとに話せば、娘と遊んでやらないって、言いたいんでしょ?…」
…なに?…
…一体、どうして、そうなるんだ?…
「…さすがね…お姉さん…このバニラ・ルインスキーも、まさか、そんな意味があるとは、思わなかった…」
しみじみと、漏らした…
「…娘は、お姉さんが、大好き…いえ、うちの娘だけじゃない…子供はみんなお姉さんが好き…お姉さんを、まるで、本当のお母さん以上に、慕っている…」
…そうなのか?…
…知らんかった!…
…そんなに、私は、子供に好かれているのか?…
今、初めて、知った…
「…やはり、お姉さんは、したたかね…」
…したたか?…
…どういう意味だ?…
「…ひとの弱点を突いてくる…」
…なんだと?…
…なんで、そうなるんだ?…
「…もし、今見たことを、私が、誰かに話せば、娘と、金輪際、遊んでやらないっていうんでしょ? 見事に、ひとの弱点を突いてくる…」
私は、バニラの言葉に、驚愕した…
私は、まだ、そこまで、言っていない…
にもかかわらず、話が飛躍している(爆笑)…
バニラが、勝手に、話を作っている…
その事実に、驚愕した…
「…わかったわ…お姉さん…今、見たことは、誰にも、言わない…私とお姉さんの秘密…約束する…」
と、なぜか、バニラが、微笑みながら、私に言った…
正直、私には、なにがなんだか、わからなかった…
だが、これは、有利…
実に有利な展開だった…
これを見逃すわけには、いかなかった…
だから、私の口から、思わず、
「…わかれば、いいのさ…」
と、いう言葉が出た…
「…私は、ただ、オマエにチャンスをやろうとしただけさ…」
「…チャンス? なにそれ?…」
「…オマエが信用できる女か、どうか、わかるチャンスさ…」
「…どういう意味?…」
「…オマエが今、見たことを、世間に口外すれば、オマエの信用が失われる…」
「…どうして、信用が失われるの?…」
「…簡単さ…言ってはならないことを、言ったからさ…私との約束を破ったからさ…」
「…」
「…バニラ…」
「…なに? …お姉さん?…」
「…約束を破るのは、簡単だ…」
「…どういうこと?…」
「…だが、信用を得ることは、難しい…見たことを、忘れる…見なかったことにする…それを、守って、ひとは、信用を得てゆくものさ…」
私は、強気に、断言した…
すると、
バニラが、
「…相変わらず、自分に都合がいいというか…」
と、ブツブツ呟いた…
「…なんだ? …なにか、言ったか? …」
私は、わざと、言った…
バニラの忠誠心を試したのだ…
バニラが、どう出るか、試したのだ…
「…わかりました…お姉さん…今、見たことは、すべて、忘れます…」
「…よし、それでいい…」
私は、バニラを褒めた…
「…だったら、行こう…」
「…どこへ?…」
「…クールの本社の社長室さ…葉尊に呼ばれたのさ…」
「…葉尊に?…」
「…そうさ…」
言いながら、これは、好都合と思った…
このバニラ…
バニラ・ルインスキーは、有名人…
生意気な女だが、有名人だ…
だから、このバニラを従えて、クールの受付に行けば、私が目立たなくて、すむ…
私一人が、クールの受付に行き、
「…私さ…矢田トモコさ…クールの社長夫人さ…夫の葉尊に呼ばれたのさ…」
と、説明するより、説得力がある…
私一人で、行けば、もしかしたら、クールの受付の人間は、私を知らないかも、しれない…
が、
このバニラ・ルインスキーを知らない人間は、あまりいない(笑)…
なにしろ、身長、180㎝の白人のブロンド美女だ…
よく見知った私ですら、近くで見ると、その美貌に圧倒される…
このバニラに匹敵する美女といえば、リンダぐらいのものだ…
今も、間近に見て、本当に、美しいと思う…
つい、惚れ惚れと、見とれてしまう…
が、
その中身は、最悪…
常に、私に逆らい続ける、生意気な女だ…
つくづく、外見と中身が、違う実例だった…
「…まったく、神様も、こんなろくでもない女に、こんな凄いルックスを与えて…つくづく神様もひとを見る目がない…」
と、私は、小さく呟いた…
愚痴ったのだ…
「…なにか、言った、お姉さん?…」
バニラが、私の発言に、因縁をつけた…
だが、
私は、その発言を認めるのが、嫌だったから、
「…さあな…」
と、呟いて、目の前のクールの本社ビルに向かって歩き出した…
そして、その瞬間、あの矢口トモコもまた、この目の前のクールの本社ビルの中に入って行ったことを、思い出した…
「…まさか、あの女…」
私の中に、不安がよぎった…
私の可憐な心の中に、不安が、よぎったのだ…
思えば、私の人生は、苦労の連続だった…
短大を卒業して、まともに、就職もせず、バイトに明け暮れた…
生来、頭が良く、飲み込みも早く、運動神経抜群で、なんでも、できる私だったから、たやすく、生きてこれたが、これが、私以外の人間なら、まず、無理だろう…
そして、そんな超人のような私にも、やはり、弱点があった…
あの矢口トモコや、このバニラだ…
誰からも、愛され、味方に引き入れることのできる、私だったが、この二人だけは、違った…
おそらく、性根が腐っているのだろう…
人間が、腐っているのだろう…
いかに、この矢田トモコであれ、腐った人間を従えることは、できん…
心を繋ぐことは、できん…
そういうことだ…
私が、そんなことを、考えていると、
「…お姉さん…なに、グズグズしているの? …置いてっちゃうよ…」
と、バニラが声をかけた…
「…なんだと? この矢田を置いてゆくだと? …一体、どの口が言うんだ? …オマエは、一体、何様だ?…」
と、声を大にして、言ってやりたかったが、言わんかった…
なにしろ、ここは、路上…
しかも、この場所は、クールの本社前…
しかも、私は、そのクールの社長夫人…
その社長夫人が、クールの本社前で、怒鳴るわけには、いかない…
だから、
グッと我慢した…
拳を握り締め、グッと我慢した…
「…今に、見てろ! バニラ…ほえ面をかかせてやる…」
私は、心に誓った…
この矢田トモコに、心服させてやる…
そう、心に決めた…
そう、心に決めて、歩き出した…
矢田トモコ、35歳…
勝負のときだった…
いや、
なぜか、わからないが、
…勝負!…
の二文字が、私の心に浮かんだ…
私の可憐な心に浮かんだのだ…
この可憐な私の心に、
…勝負!…
などという、邪(よこしま)な心が浮かんだのは、やはり、あの矢口トモコと、このバニラが原因だと悟った…
この二人が、原因だと突き止めた…
だが、
この矢田トモコ、35歳に、そんな邪(よこしま)な心は、似合わない…
心を鬼にして、あの矢口トモコと、このバニラを許そうと思った…
ろくでもない二人だが、私と知り合ったのも、なにかの縁…
心の広い私は、この二人を許す…
そう、心に決めた…
そして、歩き出した…
途端に、けつまずいた…
舗装された道路に、舗装された歩道…
石もなにも、落ちていなかった…
にも、かかわらず、転びそうになった…
これは、きっと、神様からの警告に違いない…
私は、気付いた…
普段から、ひとの悪口を一切言わない、品行方正な私だから、神様が、警告してくれたに違いない…
だが、
その警告の中身とは一体?
私は、考えた…
あの矢口トモコと、このバニラを許すな!
とは、神様は、決して言わない…
なぜなら、神様だからだ…
だとすれば、その意味は?
考え込んだ…
しばらく、悩んで、
…油断するな!…
と、いう意味ではないかと、悟った…
ひとのいい私は、ついひとを信用して、騙される…
だから、それに、気を付けろ!と、神様は、私に警告したのだろう…
それを悟った私は、
「…神様…ありがとう…」
と、内心、呟いた…
「…だが、この矢田トモコ…35歳、こんな女たちには、負けんさ…」
と、いつのまにか、矢口トモコと、バニラにケンカを売っていた(笑)…
挑戦状を叩きつけていた(笑)…
…バニラ・ルインスキー…
世界を股にかけた、有名モデル…
身長、180㎝の白人のブロンド美人…
歳は、23歳だが、すでに子持ち…
私の夫、葉尊の父、葉敬の愛人で、葉敬との間に、幼い娘がいる…
私は、バニラの視線に、気付きながら、それを、思い出した…
考えた…
このバニラは、目障りな女…
なにがあっても、私にたてつく、生意気な女だ…
しかも、たった今、そのバニラに、もっとも、見られたくない場面を見られた…
あのスーパー・ジャパンの矢口トモコとのやりとりを見られた…
これは、私にとって、想定外の事態だった…
まさか、こんなところで、あの矢口トモコと出会うとは、思わなかった…
そして、それ以上に、想定外だったのは、この場に、このバニラが、いたことだ…
私が、もっとも、弱みを見せたくない、女がいたことだ…
…一体、どうするか?…
考えた…
普通なら、ぶん殴ってでも、
「…今、見たことを、しゃべるな! 誰にも、言うんじゃないゾ!…」
と、言うところだが、なにしろ、私は、身長が、159㎝…
対するバニラは、180㎝…
殴り合って、私が、バニラに勝てるわけがない…
かといって、
「…頼む…バニラ…今、見たことを、誰にも言わんでくれ…この通りだ…」
と、頭でも、下げれば、この女に、私の弱みを握られたことになる…
そして、それは、どんなことがあっても、避けねば、ならんかった…
そんなことをすれば、この先、このバニラになにをされるか、わかったものじゃ、ないからだ…
私は、バニラの長身を見ながら、そんなことを、考えた…
すると、バニラもまた、一時も目を離さず、私を見ていることに、気付いた…
…これは、マズい…
私は、悟った…
だから、仕方なく、私から、バニラに歩み寄った…
すると、バニラが、笑った…
そして、
「…お姉さん…さっきのひと、知り合い?…」
と、聞いた…
私は、一瞬、どう答えていいものか、悩んだが、すでに、このバニラに、決定的な瞬間を見られてる…
だから、仕方なく、
「…そうさ…」
と、だけ、答えた…
すると、バニラが、楽しそうに、
「…へえー、お姉さんって、知り合いに、まるで、皇族かなにかに、接するように、頭を下げるんだ…」
と、笑った…
…やはり、最初から、見られていた…
私は、あらためて、思った…
このバニラに、あの矢口トモコとのやりとりの、一部始終を見られたことを、あらめためて、悟った…
もっとも、見られたくない相手に、矢口トモコとの一部始終を見られた…
さて、どうするか?
バニラを見ると、まるで、勝ち誇ったような笑いを浮かべている…
すでに、勝敗は、決した…
このバニラに、矢田トモコの弱点を握られたのだ…
だが、そんなことは、納得できんかった…
この矢田トモコが、バニラ風情の下につくことなど、どうしても、納得できなかったのだ…
…さて、どうしたものか?…
私は、ジーンズのポケットに、手を突っ込みながら、考えた…
すると、思いがけず、ポケットの中に、バニラを説得できるものが、見つかった…
私は、それに、気付くと、ポケットに手を突っ込んだまま、バニラの元に、向かった…
それを、見た、バニラは、明らかに動揺した…
戸惑った…
「…なに? …その顔?…」
バニラが、言った…
「…一体、どうしたの? …お姉さん?…まさか、そのポケットの中に、拳銃を持っているとか?…」
バニラの問いに、私は、
「…」
と、無言だった…
無言のまま、ゆっくりと、バニラに歩み寄った…
「…お姉さん…それとも、刃物でも、持っているの? …お姉さん…こんな大通りで、私を刃物で、脅す気?…」
が、
私は、答えなかった…
ゆっくりと、バニラに歩み寄った…
そして、すぐに、バニラの目の前に立った…
すると、バニラは、動揺した…
明らかに、動揺した…
「…一体…なにをする気?…」
私は、バニラに答えず、無言で、ゆっくりと、ポケットから手を出した…
途端に、バニラは、目をつぶった…
拳銃か刃物でも、出てくると、思ったのだろう…
「…オマエに、コレをやろう…」
私は、言った…
目をつぶったバニラは、私の言葉に、ゆっくりと、瞼を開けた…
そして、私の手のひらの中のモノを見た…
「…なに、それ?…」
途端に、拍子抜けした声で、答えた…
「…キットカットさ…」
私は、言った…
「…オマエの好物だろ?…」
「…好物って?…」
バニラが戸惑った…
「…ごまかすな…バニラ…この前、リンダの家で、私が、このキットカットを食べているときに、文句を言っただろ? …アレで、このキットカットが、オマエの好物だと、見抜いたのさ…」
私は、自信たっぷりに言った…
すると、バニラが、
「…」
と、沈黙した…
…やはり、私の目に狂いはなかった!…
私は、確信した…
バニラの沈黙が、それを証明している…
「…オマエにやろう…」
私は、言った…
すると、途端に、バニラが、すばやく、私の手のひらの中のキットカットを奪った…
そして、
「…お姉さん…キットカットは、お姉さんの言う通り、私の好物だけど、まさか、こんなキットカット一枚で、今、見た光景を忘れろと言うわけじゃないんでしょうね?…」
「…なんだと?…」
「…このバニラ…バニラ・ルインスキーをいくつだと、思っているの? 23歳よ…23歳の女が、キットカット一枚で、買収されるわけないでしょ?…」
…言われてみれば、その通り…
…バニラの言う通りだった…
私は、仕方なく、ポケットから、もう一枚のキットカットを出した…
「…仕方がない…欲深い女だ…もう一枚やろう…」
私は、言った…
それから、
「…これで、最後だ…今は、もう持ち合わせがない…もっと、欲しければ、ウチに来い…」
と、付け加えた…
途端に、バニラが、難しい顔になった…
悩んだのだ…
「…まさか…お姉さん…本気で、このバニラ・ルインスキーを、キットカットの一枚や二枚で、買収できると、思ってないでしょうね…」
私は、バニラの質問に、
「…」
と、答えることができなかった…
なぜなら、バニラの言う通りだからだ…
当たり前のことだからだ…
だから、とっさに、
「…だったら、娘にでもやれ!…」
と、言った…
「…娘に?…」
「…そうさ…まだ3歳の子供だろ? …喜ぶゾ…」
私の言葉に、バニラが、またも、黙り込んだ…
そして、しばらく、考え込んだ挙句、
「…そうか…そういうことか…」
と、納得した…
「…このキットカットには、そういう意味があるのか?…」
…なんだと?…
…意味だと?…
…一体、どんな意味があると言うんだ?…
「…お姉さん…私が今見たことを、ひとに話せば、娘と遊んでやらないって、言いたいんでしょ?…」
…なに?…
…一体、どうして、そうなるんだ?…
「…さすがね…お姉さん…このバニラ・ルインスキーも、まさか、そんな意味があるとは、思わなかった…」
しみじみと、漏らした…
「…娘は、お姉さんが、大好き…いえ、うちの娘だけじゃない…子供はみんなお姉さんが好き…お姉さんを、まるで、本当のお母さん以上に、慕っている…」
…そうなのか?…
…知らんかった!…
…そんなに、私は、子供に好かれているのか?…
今、初めて、知った…
「…やはり、お姉さんは、したたかね…」
…したたか?…
…どういう意味だ?…
「…ひとの弱点を突いてくる…」
…なんだと?…
…なんで、そうなるんだ?…
「…もし、今見たことを、私が、誰かに話せば、娘と、金輪際、遊んでやらないっていうんでしょ? 見事に、ひとの弱点を突いてくる…」
私は、バニラの言葉に、驚愕した…
私は、まだ、そこまで、言っていない…
にもかかわらず、話が飛躍している(爆笑)…
バニラが、勝手に、話を作っている…
その事実に、驚愕した…
「…わかったわ…お姉さん…今、見たことは、誰にも、言わない…私とお姉さんの秘密…約束する…」
と、なぜか、バニラが、微笑みながら、私に言った…
正直、私には、なにがなんだか、わからなかった…
だが、これは、有利…
実に有利な展開だった…
これを見逃すわけには、いかなかった…
だから、私の口から、思わず、
「…わかれば、いいのさ…」
と、いう言葉が出た…
「…私は、ただ、オマエにチャンスをやろうとしただけさ…」
「…チャンス? なにそれ?…」
「…オマエが信用できる女か、どうか、わかるチャンスさ…」
「…どういう意味?…」
「…オマエが今、見たことを、世間に口外すれば、オマエの信用が失われる…」
「…どうして、信用が失われるの?…」
「…簡単さ…言ってはならないことを、言ったからさ…私との約束を破ったからさ…」
「…」
「…バニラ…」
「…なに? …お姉さん?…」
「…約束を破るのは、簡単だ…」
「…どういうこと?…」
「…だが、信用を得ることは、難しい…見たことを、忘れる…見なかったことにする…それを、守って、ひとは、信用を得てゆくものさ…」
私は、強気に、断言した…
すると、
バニラが、
「…相変わらず、自分に都合がいいというか…」
と、ブツブツ呟いた…
「…なんだ? …なにか、言ったか? …」
私は、わざと、言った…
バニラの忠誠心を試したのだ…
バニラが、どう出るか、試したのだ…
「…わかりました…お姉さん…今、見たことは、すべて、忘れます…」
「…よし、それでいい…」
私は、バニラを褒めた…
「…だったら、行こう…」
「…どこへ?…」
「…クールの本社の社長室さ…葉尊に呼ばれたのさ…」
「…葉尊に?…」
「…そうさ…」
言いながら、これは、好都合と思った…
このバニラ…
バニラ・ルインスキーは、有名人…
生意気な女だが、有名人だ…
だから、このバニラを従えて、クールの受付に行けば、私が目立たなくて、すむ…
私一人が、クールの受付に行き、
「…私さ…矢田トモコさ…クールの社長夫人さ…夫の葉尊に呼ばれたのさ…」
と、説明するより、説得力がある…
私一人で、行けば、もしかしたら、クールの受付の人間は、私を知らないかも、しれない…
が、
このバニラ・ルインスキーを知らない人間は、あまりいない(笑)…
なにしろ、身長、180㎝の白人のブロンド美女だ…
よく見知った私ですら、近くで見ると、その美貌に圧倒される…
このバニラに匹敵する美女といえば、リンダぐらいのものだ…
今も、間近に見て、本当に、美しいと思う…
つい、惚れ惚れと、見とれてしまう…
が、
その中身は、最悪…
常に、私に逆らい続ける、生意気な女だ…
つくづく、外見と中身が、違う実例だった…
「…まったく、神様も、こんなろくでもない女に、こんな凄いルックスを与えて…つくづく神様もひとを見る目がない…」
と、私は、小さく呟いた…
愚痴ったのだ…
「…なにか、言った、お姉さん?…」
バニラが、私の発言に、因縁をつけた…
だが、
私は、その発言を認めるのが、嫌だったから、
「…さあな…」
と、呟いて、目の前のクールの本社ビルに向かって歩き出した…
そして、その瞬間、あの矢口トモコもまた、この目の前のクールの本社ビルの中に入って行ったことを、思い出した…
「…まさか、あの女…」
私の中に、不安がよぎった…
私の可憐な心の中に、不安が、よぎったのだ…
思えば、私の人生は、苦労の連続だった…
短大を卒業して、まともに、就職もせず、バイトに明け暮れた…
生来、頭が良く、飲み込みも早く、運動神経抜群で、なんでも、できる私だったから、たやすく、生きてこれたが、これが、私以外の人間なら、まず、無理だろう…
そして、そんな超人のような私にも、やはり、弱点があった…
あの矢口トモコや、このバニラだ…
誰からも、愛され、味方に引き入れることのできる、私だったが、この二人だけは、違った…
おそらく、性根が腐っているのだろう…
人間が、腐っているのだろう…
いかに、この矢田トモコであれ、腐った人間を従えることは、できん…
心を繋ぐことは、できん…
そういうことだ…
私が、そんなことを、考えていると、
「…お姉さん…なに、グズグズしているの? …置いてっちゃうよ…」
と、バニラが声をかけた…
「…なんだと? この矢田を置いてゆくだと? …一体、どの口が言うんだ? …オマエは、一体、何様だ?…」
と、声を大にして、言ってやりたかったが、言わんかった…
なにしろ、ここは、路上…
しかも、この場所は、クールの本社前…
しかも、私は、そのクールの社長夫人…
その社長夫人が、クールの本社前で、怒鳴るわけには、いかない…
だから、
グッと我慢した…
拳を握り締め、グッと我慢した…
「…今に、見てろ! バニラ…ほえ面をかかせてやる…」
私は、心に誓った…
この矢田トモコに、心服させてやる…
そう、心に決めた…
そう、心に決めて、歩き出した…
矢田トモコ、35歳…
勝負のときだった…
いや、
なぜか、わからないが、
…勝負!…
の二文字が、私の心に浮かんだ…
私の可憐な心に浮かんだのだ…
この可憐な私の心に、
…勝負!…
などという、邪(よこしま)な心が浮かんだのは、やはり、あの矢口トモコと、このバニラが原因だと悟った…
この二人が、原因だと突き止めた…
だが、
この矢田トモコ、35歳に、そんな邪(よこしま)な心は、似合わない…
心を鬼にして、あの矢口トモコと、このバニラを許そうと思った…
ろくでもない二人だが、私と知り合ったのも、なにかの縁…
心の広い私は、この二人を許す…
そう、心に決めた…
そして、歩き出した…
途端に、けつまずいた…
舗装された道路に、舗装された歩道…
石もなにも、落ちていなかった…
にも、かかわらず、転びそうになった…
これは、きっと、神様からの警告に違いない…
私は、気付いた…
普段から、ひとの悪口を一切言わない、品行方正な私だから、神様が、警告してくれたに違いない…
だが、
その警告の中身とは一体?
私は、考えた…
あの矢口トモコと、このバニラを許すな!
とは、神様は、決して言わない…
なぜなら、神様だからだ…
だとすれば、その意味は?
考え込んだ…
しばらく、悩んで、
…油断するな!…
と、いう意味ではないかと、悟った…
ひとのいい私は、ついひとを信用して、騙される…
だから、それに、気を付けろ!と、神様は、私に警告したのだろう…
それを悟った私は、
「…神様…ありがとう…」
と、内心、呟いた…
「…だが、この矢田トモコ…35歳、こんな女たちには、負けんさ…」
と、いつのまにか、矢口トモコと、バニラにケンカを売っていた(笑)…
挑戦状を叩きつけていた(笑)…