第6話

文字数 6,032文字

 …バニラ…

 …バニラ・ルインスキー…

 世界を股にかけた、有名モデル…

 身長、180㎝の白人のブロンド美人…

 歳は、23歳だが、すでに子持ち…

 私の夫、葉尊の父、葉敬の愛人で、葉敬との間に、幼い娘がいる…

 私は、バニラの視線に、気付きながら、それを、思い出した…

 考えた…

 このバニラは、目障りな女…

 なにがあっても、私にたてつく、生意気な女だ…

 しかも、たった今、そのバニラに、もっとも、見られたくない場面を見られた…

 あのスーパー・ジャパンの矢口トモコとのやりとりを見られた…

 これは、私にとって、想定外の事態だった…

 まさか、こんなところで、あの矢口トモコと出会うとは、思わなかった…

 そして、それ以上に、想定外だったのは、この場に、このバニラが、いたことだ…

 私が、もっとも、弱みを見せたくない、女がいたことだ…

 …一体、どうするか?…

 考えた…

 普通なら、ぶん殴ってでも、

 「…今、見たことを、しゃべるな! 誰にも、言うんじゃないゾ!…」

 と、言うところだが、なにしろ、私は、身長が、159㎝…

 対するバニラは、180㎝…

 殴り合って、私が、バニラに勝てるわけがない…

 かといって、

 「…頼む…バニラ…今、見たことを、誰にも言わんでくれ…この通りだ…」

 と、頭でも、下げれば、この女に、私の弱みを握られたことになる…

 そして、それは、どんなことがあっても、避けねば、ならんかった…

 そんなことをすれば、この先、このバニラになにをされるか、わかったものじゃ、ないからだ…

 私は、バニラの長身を見ながら、そんなことを、考えた…

 すると、バニラもまた、一時も目を離さず、私を見ていることに、気付いた…

 …これは、マズい…

 私は、悟った…

 だから、仕方なく、私から、バニラに歩み寄った…

 すると、バニラが、笑った…

 そして、

 「…お姉さん…さっきのひと、知り合い?…」

 と、聞いた…

 私は、一瞬、どう答えていいものか、悩んだが、すでに、このバニラに、決定的な瞬間を見られてる…

 だから、仕方なく、

 「…そうさ…」

 と、だけ、答えた…

 すると、バニラが、楽しそうに、

 「…へえー、お姉さんって、知り合いに、まるで、皇族かなにかに、接するように、頭を下げるんだ…」

 と、笑った…

 …やはり、最初から、見られていた…

 私は、あらためて、思った…

 このバニラに、あの矢口トモコとのやりとりの、一部始終を見られたことを、あらめためて、悟った…

 もっとも、見られたくない相手に、矢口トモコとの一部始終を見られた…

 さて、どうするか?

 バニラを見ると、まるで、勝ち誇ったような笑いを浮かべている…

 すでに、勝敗は、決した…

 このバニラに、矢田トモコの弱点を握られたのだ…

 だが、そんなことは、納得できんかった…

 この矢田トモコが、バニラ風情の下につくことなど、どうしても、納得できなかったのだ…

 …さて、どうしたものか?…

 私は、ジーンズのポケットに、手を突っ込みながら、考えた…

 すると、思いがけず、ポケットの中に、バニラを説得できるものが、見つかった…

 私は、それに、気付くと、ポケットに手を突っ込んだまま、バニラの元に、向かった…

 それを、見た、バニラは、明らかに動揺した…

 戸惑った…

 「…なに? …その顔?…」

 バニラが、言った…

 「…一体、どうしたの? …お姉さん?…まさか、そのポケットの中に、拳銃を持っているとか?…」

 バニラの問いに、私は、

 「…」

 と、無言だった…

 無言のまま、ゆっくりと、バニラに歩み寄った…

 「…お姉さん…それとも、刃物でも、持っているの? …お姉さん…こんな大通りで、私を刃物で、脅す気?…」

 が、

 私は、答えなかった…

 ゆっくりと、バニラに歩み寄った…

 そして、すぐに、バニラの目の前に立った…

 すると、バニラは、動揺した…

 明らかに、動揺した…

 「…一体…なにをする気?…」

 私は、バニラに答えず、無言で、ゆっくりと、ポケットから手を出した…

 途端に、バニラは、目をつぶった…

 拳銃か刃物でも、出てくると、思ったのだろう…

 「…オマエに、コレをやろう…」

 私は、言った…

 目をつぶったバニラは、私の言葉に、ゆっくりと、瞼を開けた…

 そして、私の手のひらの中のモノを見た…

 「…なに、それ?…」

 途端に、拍子抜けした声で、答えた…

 「…キットカットさ…」

 私は、言った…

 「…オマエの好物だろ?…」

 「…好物って?…」

 バニラが戸惑った…

 「…ごまかすな…バニラ…この前、リンダの家で、私が、このキットカットを食べているときに、文句を言っただろ? …アレで、このキットカットが、オマエの好物だと、見抜いたのさ…」

 私は、自信たっぷりに言った…

 すると、バニラが、

 「…」

 と、沈黙した…

 …やはり、私の目に狂いはなかった!…

 私は、確信した…

 バニラの沈黙が、それを証明している…

 「…オマエにやろう…」

 私は、言った…

 すると、途端に、バニラが、すばやく、私の手のひらの中のキットカットを奪った…

 そして、

 「…お姉さん…キットカットは、お姉さんの言う通り、私の好物だけど、まさか、こんなキットカット一枚で、今、見た光景を忘れろと言うわけじゃないんでしょうね?…」

 「…なんだと?…」

 「…このバニラ…バニラ・ルインスキーをいくつだと、思っているの? 23歳よ…23歳の女が、キットカット一枚で、買収されるわけないでしょ?…」

 …言われてみれば、その通り…

 …バニラの言う通りだった…

 私は、仕方なく、ポケットから、もう一枚のキットカットを出した…

 「…仕方がない…欲深い女だ…もう一枚やろう…」

 私は、言った…

 それから、

 「…これで、最後だ…今は、もう持ち合わせがない…もっと、欲しければ、ウチに来い…」

 と、付け加えた…

 途端に、バニラが、難しい顔になった…

 悩んだのだ…

 「…まさか…お姉さん…本気で、このバニラ・ルインスキーを、キットカットの一枚や二枚で、買収できると、思ってないでしょうね…」

 私は、バニラの質問に、

 「…」

 と、答えることができなかった…

 なぜなら、バニラの言う通りだからだ…

 当たり前のことだからだ…

 だから、とっさに、

 「…だったら、娘にでもやれ!…」

 と、言った…

 「…娘に?…」

 「…そうさ…まだ3歳の子供だろ? …喜ぶゾ…」

 私の言葉に、バニラが、またも、黙り込んだ…

 そして、しばらく、考え込んだ挙句、

 「…そうか…そういうことか…」

 と、納得した…

 「…このキットカットには、そういう意味があるのか?…」

 …なんだと?…

 …意味だと?…

 …一体、どんな意味があると言うんだ?…

 「…お姉さん…私が今見たことを、ひとに話せば、娘と遊んでやらないって、言いたいんでしょ?…」

 …なに?…

 …一体、どうして、そうなるんだ?…

 「…さすがね…お姉さん…このバニラ・ルインスキーも、まさか、そんな意味があるとは、思わなかった…」

 しみじみと、漏らした…

 「…娘は、お姉さんが、大好き…いえ、うちの娘だけじゃない…子供はみんなお姉さんが好き…お姉さんを、まるで、本当のお母さん以上に、慕っている…」

 …そうなのか?…

 …知らんかった!…

 …そんなに、私は、子供に好かれているのか?…

 今、初めて、知った…

 「…やはり、お姉さんは、したたかね…」

 …したたか?…

 …どういう意味だ?…

 「…ひとの弱点を突いてくる…」

 …なんだと?…

 …なんで、そうなるんだ?…

 「…もし、今見たことを、私が、誰かに話せば、娘と、金輪際、遊んでやらないっていうんでしょ? 見事に、ひとの弱点を突いてくる…」

 私は、バニラの言葉に、驚愕した…

 私は、まだ、そこまで、言っていない…

 にもかかわらず、話が飛躍している(爆笑)…

 バニラが、勝手に、話を作っている…

 その事実に、驚愕した…

 「…わかったわ…お姉さん…今、見たことは、誰にも、言わない…私とお姉さんの秘密…約束する…」

 と、なぜか、バニラが、微笑みながら、私に言った…

 正直、私には、なにがなんだか、わからなかった…

 だが、これは、有利…

 実に有利な展開だった…

 これを見逃すわけには、いかなかった…

 だから、私の口から、思わず、

 「…わかれば、いいのさ…」

 と、いう言葉が出た…

 「…私は、ただ、オマエにチャンスをやろうとしただけさ…」

 「…チャンス? なにそれ?…」

 「…オマエが信用できる女か、どうか、わかるチャンスさ…」

 「…どういう意味?…」

 「…オマエが今、見たことを、世間に口外すれば、オマエの信用が失われる…」

 「…どうして、信用が失われるの?…」

 「…簡単さ…言ってはならないことを、言ったからさ…私との約束を破ったからさ…」

 「…」

 「…バニラ…」

 「…なに? …お姉さん?…」

 「…約束を破るのは、簡単だ…」

 「…どういうこと?…」

 「…だが、信用を得ることは、難しい…見たことを、忘れる…見なかったことにする…それを、守って、ひとは、信用を得てゆくものさ…」

 私は、強気に、断言した…

 すると、

 バニラが、

 「…相変わらず、自分に都合がいいというか…」

 と、ブツブツ呟いた…

 「…なんだ? …なにか、言ったか? …」

 私は、わざと、言った…

 バニラの忠誠心を試したのだ…

 バニラが、どう出るか、試したのだ…

 「…わかりました…お姉さん…今、見たことは、すべて、忘れます…」

 「…よし、それでいい…」

 私は、バニラを褒めた…

 「…だったら、行こう…」

 「…どこへ?…」

 「…クールの本社の社長室さ…葉尊に呼ばれたのさ…」

 「…葉尊に?…」

 「…そうさ…」

 言いながら、これは、好都合と思った…

 このバニラ…

 バニラ・ルインスキーは、有名人…

 生意気な女だが、有名人だ…

 だから、このバニラを従えて、クールの受付に行けば、私が目立たなくて、すむ…

 私一人が、クールの受付に行き、

 「…私さ…矢田トモコさ…クールの社長夫人さ…夫の葉尊に呼ばれたのさ…」

 と、説明するより、説得力がある…

 私一人で、行けば、もしかしたら、クールの受付の人間は、私を知らないかも、しれない…

 が、

 このバニラ・ルインスキーを知らない人間は、あまりいない(笑)…

 なにしろ、身長、180㎝の白人のブロンド美女だ…

 よく見知った私ですら、近くで見ると、その美貌に圧倒される…

 このバニラに匹敵する美女といえば、リンダぐらいのものだ…

 今も、間近に見て、本当に、美しいと思う…

 つい、惚れ惚れと、見とれてしまう…

 が、

 その中身は、最悪…

 常に、私に逆らい続ける、生意気な女だ…

 つくづく、外見と中身が、違う実例だった…

 「…まったく、神様も、こんなろくでもない女に、こんな凄いルックスを与えて…つくづく神様もひとを見る目がない…」

 と、私は、小さく呟いた…

 愚痴ったのだ…

 「…なにか、言った、お姉さん?…」

 バニラが、私の発言に、因縁をつけた…

 だが、

 私は、その発言を認めるのが、嫌だったから、

 「…さあな…」

 と、呟いて、目の前のクールの本社ビルに向かって歩き出した…

 そして、その瞬間、あの矢口トモコもまた、この目の前のクールの本社ビルの中に入って行ったことを、思い出した…

 「…まさか、あの女…」

 私の中に、不安がよぎった…

 私の可憐な心の中に、不安が、よぎったのだ…

 思えば、私の人生は、苦労の連続だった…

 短大を卒業して、まともに、就職もせず、バイトに明け暮れた…

 生来、頭が良く、飲み込みも早く、運動神経抜群で、なんでも、できる私だったから、たやすく、生きてこれたが、これが、私以外の人間なら、まず、無理だろう…

 そして、そんな超人のような私にも、やはり、弱点があった…

 あの矢口トモコや、このバニラだ…

 誰からも、愛され、味方に引き入れることのできる、私だったが、この二人だけは、違った…

 おそらく、性根が腐っているのだろう…

 人間が、腐っているのだろう…

 いかに、この矢田トモコであれ、腐った人間を従えることは、できん…

 心を繋ぐことは、できん…

 そういうことだ…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…お姉さん…なに、グズグズしているの? …置いてっちゃうよ…」

 と、バニラが声をかけた…

 「…なんだと? この矢田を置いてゆくだと? …一体、どの口が言うんだ? …オマエは、一体、何様だ?…」

 と、声を大にして、言ってやりたかったが、言わんかった…

 なにしろ、ここは、路上…

 しかも、この場所は、クールの本社前…

 しかも、私は、そのクールの社長夫人…

 その社長夫人が、クールの本社前で、怒鳴るわけには、いかない…

 だから、

 グッと我慢した…

 拳を握り締め、グッと我慢した…

 「…今に、見てろ! バニラ…ほえ面をかかせてやる…」

 私は、心に誓った…

 この矢田トモコに、心服させてやる…

 そう、心に決めた…

 そう、心に決めて、歩き出した…

 矢田トモコ、35歳…

 勝負のときだった…

 いや、

 なぜか、わからないが、

 …勝負!…

 の二文字が、私の心に浮かんだ…

 私の可憐な心に浮かんだのだ…

 この可憐な私の心に、

 …勝負!…

 などという、邪(よこしま)な心が浮かんだのは、やはり、あの矢口トモコと、このバニラが原因だと悟った…

 この二人が、原因だと突き止めた…

 だが、

 この矢田トモコ、35歳に、そんな邪(よこしま)な心は、似合わない…

 心を鬼にして、あの矢口トモコと、このバニラを許そうと思った…

 ろくでもない二人だが、私と知り合ったのも、なにかの縁…

 心の広い私は、この二人を許す…

 そう、心に決めた…

 そして、歩き出した…

 途端に、けつまずいた…

 舗装された道路に、舗装された歩道…

 石もなにも、落ちていなかった…

 にも、かかわらず、転びそうになった…

 これは、きっと、神様からの警告に違いない…

 私は、気付いた…

 普段から、ひとの悪口を一切言わない、品行方正な私だから、神様が、警告してくれたに違いない…

 だが、

 その警告の中身とは一体?

 私は、考えた…

 あの矢口トモコと、このバニラを許すな!

 とは、神様は、決して言わない…

 なぜなら、神様だからだ…

 だとすれば、その意味は?

 考え込んだ…

 しばらく、悩んで、

 …油断するな!…

 と、いう意味ではないかと、悟った…

 ひとのいい私は、ついひとを信用して、騙される…

 だから、それに、気を付けろ!と、神様は、私に警告したのだろう…

 それを悟った私は、

 「…神様…ありがとう…」

 と、内心、呟いた…

 「…だが、この矢田トモコ…35歳、こんな女たちには、負けんさ…」

 と、いつのまにか、矢口トモコと、バニラにケンカを売っていた(笑)…

 挑戦状を叩きつけていた(笑)…

                
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