第10話

文字数 5,874文字

 エレベーターの扉が開いた…

 まるで、私とバニラを導くように、扉が開いた…

 この扉の向こうには、なにが、待っているのか?

 天国か?

 それとも、

 地獄か?

 おおげさに、言えば、考え込んだ…

 いや、

 そうではない…

 この向こうに、あるのは、アラブ…

 アラブの王族だ…

 私は、思った…

 アラブの王族が、酒池肉林で、大勢で、美女たちを抱きながら、酒を飲んでいる…

 そんな光景が、ふと、脳裏に、浮かんだ…

 矢田トモコの脳裏に、浮かんだ…

 アラブの王族=男が皆、ブロンドの美女を、抱きながら、酒を飲んでいる…

 男も女も、ご機嫌…

 ご機嫌だ…

 その中には、当たり前だが、このバニラや、あのリンダもいた…

 皆、セクシーなドレスを身にまとっている…

 いわば、上流階級の社交場だ…

 すると、

 なぜか、私が、その上流階級の社交場で、グラスや料理を必死になって、運んで、汗をかいていた…

 両手に、たくさんのグラスや、料理を、これでもかと、持っている…

 そんな光景が、ふと、脳裏に浮かんだ…

 これは、白昼夢でも、なんでもない…

 つまりは、この矢田は、無意識に、自分の立場が、わかっていたのだ…

 バニラも、リンダも、とびきりの美女…

 それに対して、この矢田トモコは、平凡…

 平凡の極み…

 だから、このバニラと、あのリンダと、同じ立ち位置では、パーティーに参加できない…

 パーティーに参加できるとなると、それは、接客係というか、裏方…

 つまり、パーティーを催す、裏方のひとりとして、パーティーに参加するのに、あっている…

 ふと、思った…

 それを、考えれば、正直、惨めだったが、それは、それで、仕方がない…

 人間は、皆、平等ではない…

 それぞれ、立場が、違う…

 地位が、違う…

 パーティーでいえば、このバニラや、あのリンダは、パーティーの主役…

 まるで、優れた芸術品のような存在だから、おおげさに、いえば、誰もが、バニラやリンダを見にくる…

 鑑賞にくる…

 そして、私はと、いえば、その関係者…

 それが、美術館ならば、さしずめ、受付のおばちゃんとか…

 それが、似合っている(涙)…

 我ながら、悔しいが、それが、現実だ…

 私は、それが、わかっている…

 理解している…

 ふと、思った…

 そして、それが、私の強みだと、以前、ひとから、言われたことを、思い出した…

 以前も話したが、バイト先で出会った、険のある目の男について、語ったことがある…

 その男も、そうだが、同じように、自分の能力が、わからない人間を何人も見たことが、ある…

 そして、後年、つくづく考えたのだが、彼ら、あるいは、彼女らには、共通する点が、あった…

 それは、一言で、言えば、自分の能力も相手の能力もわからないのだ…

 たとえば、険のある目を持つ男が、入社したのは、ITバブルのときだった…

 だから、当たり前だが、景気がいい…

 すると、当然、その時期に、入社した人間は、採用が緩くなるから、採用された人間のレベルが、落ちる…

 誰が、見ても、一見して、わかるものだが、その険のある目を持つ男は、わからなかった…

 なぜ、わからないのか?

 考えた…

 答えは、自分のことで、精一杯なのだろうと、思った…

 バイトでも、正社員でも、与えられた業務がある…

 与えられた仕事がある…

 それを、うまくこなすことが、一番大切なのだが、それを、こなすだけで、他のことが、まったく見えない…

 わからない…

 例えば、当時、身近に、英語が堪能な女子がいたが、彼女は、4年生の大学を出ていなかった…

 私と同じ、短大出身だった…

 しかも、その彼女には、悪いが、この矢田と同じく、偏差値が決して、高い短大ではなかった…

 だが、英語が堪能だった…

 英検が一級で、社内試験でも、同じだった…

 すると、普通ならば、今度は、どこの高校を出ているのか? とか、気になってくる…

 学歴=偏差値がすべてではないが、やはり、それほど、英語が堪能となると、出身高校が、気になってくる…

 当然、偏差値の高い高校を出ているのでは? と、考えるからだ…

 だが、その険のある目を持つ男は、まったく、そんなことを、考えもしないようだった…

 つまり、関心が、なにもないのだ…

 自分が、仕事をこなすことだけで、満足している…

 だから、他の同僚を、見ても、要するに、与えられた仕事ができるか否かだけが、彼の判断基準だった…

 与えられた仕事を、すばやくこなせるから、自分は、優れている…

 そう、自負していた…

 つまりは、自分のことだけで、周囲の変化にまったく気づかなかった…

 普通ならば、明らかに、見ていれば、採用レベルが下がっているのは、わかるし、仮に、わからないでも、誰かが、ここ数年、この会社の採用レベルが下がっているな、とか、言った噂話を耳にするものだ…

 そして、それを耳にすれば、自分なりに、周囲の人間の出身校を調べてみて、ああ、そういうことか? とか、思うものだが、それがない…

 だから、単純に社内情報を耳にして、

 「…あのひとは、将来、出世するよ…」

 とか、いう噂話を聞き込んで、自分は、社内に通じていると、思いこむ…

 仕事をする上で、問題は、まったくないが、それでは、誰がどう考えても、出世は、難しいだろう…

 なにより、以前も書いたが、仮に、その険のある目を持つ男が、出世して、課長や部長に昇進しても、他の課長や部長たちと、話が合わないだろう…

 「…この数年、この会社の採用レベルが下がっているね…」

 と、いう話になって、

「…なに、それ?…」

とでも、言いかねない…

そして、それを口にすれば、周囲の同僚も唖然とするだろう…

 私は、おおげさに言えば、そのとき、初めて、人間の差に、気付いた…

 能力の差に気付いた…

 それまでは、学校で、勉強ができるとか、できないとか、わかりやすい基準でしか、ひとを判断できなかったが、その険のある目を持つ男は、私にとって、衝撃的だった…

 はっきり言えば、

 「…こんなことも、わからないの?…」

 と、いうことが、わからなかった(笑)…

 ただ、彼の肩を持てば、それは、仕事には、なんの問題もないことだった…

 彼は、与えられた業務を忠実にこなしていた…

 その点では、むしろ、優秀だった…

 だから、なんの問題もなかった…

 ただ、それでは、入社以来、ずっとその業務を続けさせられるに違いないと、私にもわかった…

 ただ、肝心の彼自身は、少しもわからなかった(笑)…

 与えられた仕事を、忠実にこなせるのだから、次は、自分が、当然、ステップアップして、ワンランク上の仕事を任せられると、信じ込んでいたからだ…

 そして、それは、彼だけではなかった…

 彼とは、身近に接していたから、わかったが、周囲には、彼に似たヤカラが、結構というか、それなりにいた(笑)…

 そして、それは、残念ながら、学歴が劣るひとが、多かった…

 だから、周囲が見えない…

 そして、自分は、与えられた業務が、しっかりできる…

 だから、出世できると、単純に思い込む人たちだった…

 そんな人間が、その会社には、大勢いた…
 
 皆、ITバブルの時期に入社してきた人たちだった…

 そして、それを考えたとき、正直、人間の能力について、考えざるを得なかった…

 それは、さっき、私が、言った、

 「…バニラもリンダも、私も同じ人間…」

 と、いう言葉にも通ずる…

 たしかに、同じ人間だが、それは、たとえば、異星人が、地球人を見て、思うこと…

 現実には、誰が見ても、抗いがたい差がある…

 が、

 やはりというか…

 今の私のように、バニラとリンダと仲良く接していれば、自分と、バニラとリンダの差がわからないヤカラも、確実に存在する…

 自分は、クールの社長夫人だから、偉いんだと、心の底から、思う人間が、存在する…

 それは、たまたま、私が、葉尊と、結婚できたからに、他ならない…

 葉尊と結婚できなければ、ただのプータロー…
 
 フリーターだ…

 たまたま、葉尊と結婚できたからで、しかも、離婚すれば、たちまち、その地位も追われる…

 それが、現実だ…

 つまりは、私は、葉尊あっての私…

 葉尊が、いなければ、私に存在価値はなにもない…

 仮に私と同じ立場になっても、それが、わからない人間もまた、数多く存在する…

 そして、それは、どうしてなのだろう?

 当時、真剣に悩んだ…

 考え込んだ…

 そして、それは、おそらく、個人の能力もさることながら、他社の人間に接したことがないからだと、思った…

 私は、フリーター…

 短大を卒業して、就職もしないで、何社も渡り歩いた…

 だから、色々な会社を知っていた…

 それが、大きかった…

 つまりは、比べる会社があったということだ…

 だから、ITバブルのときしか、会えない人間も、かなりいた…

 はっきり言えば、景気が良くなければ、決して、入社できないレベルのひとたちだった…

 だから、ITバブルがはじければ、会社を放り出された人間も、多かったに違いない…

 人間は、何事も経験だ…

 経験に勝る体験はない…

 いくら、本やネットで、知っても、ひとから聞いた話でも、経験しなければ、実感は湧かない…

 これは、誰もが、同じだろう…

 と、考えて、ふと、気付いた…

 アラブの王族のことだ…

 仮に、アラブの王族が、たくさんの美女をはべらかせて、酒池肉林のパーティーを催していたとする…

 だが、だとしたら、どうだ?

 その中には、バニラやリンダを超える美女がいるのではないか?

 ふと、思った…

 バニラも、リンダも、美女だが、世の中には、この二人よりも、美女は、存在するだろう…

 また、バニラやリンダを超えられずとも、互角に美しい女もまたいるに違いない…

 すると、どうだ?

 私は、思った…

 ルックスは、互角とする…

 それならば、その美女たちが、なにが、バニラやリンダに負けているかと、問われれば、知名度に他ならない…

 この世界的に有名なバニラ・ルインスキーや、あのハリウッドのセックス・シンボルのリンダ・ヘイワースと、いっしょに酒を飲む…

 一夜を共にする…

 それが、この上なく嬉しいのだ…

 そして、私もそうだが、二人と親密になれば、中身は、どこにでもいる普通の人間だと、悟るだろう…

 そうしたら、どうだ?

 関心がなくなるかもしれない…

 ふと、思った…

 自分の身近な美女と、中身は、なにも変わらない…

 それに、気付けば、急速に、関心がなくなるかもしれない…

 いや、

 違うかもしれない…

 トロフィーワイフ…

 つまり、バニラや、リンダと、付き合ったり、結婚したりすることが、この上ない名誉と、感じる人間が、一部には、確実に存在する…

 まるで、トロフィー=名誉を手に入れた気持ちになるのだろう…

 仮に、日本でも、たとえば、佐々木希のように、美人で有名なタレントと結婚することが、この上のない名誉と、考える…

 はっきり、言って、佐々木希は、美人だが、世の中には、確実に、彼女と、肩を並べる美人が、ごくわずかだが、存在するだろう…

 しかしながら、それが無名では、嫌なのだろう…

 あの有名な佐々木希だから、付き合いたい…

 結婚したいと思うのであって、いくらキレイでも、無名の女は、嫌だと思う人間も、また確実に存在する…

 要するに、クルマや、バック、時計も、また皆同じだが、いくら、性能が良くても、ブランドでなければ、嫌だということだ…

 そして、もし、これから、リンダが、接待する、アラブの王族が、その手のタイプだとしたら、困る…

 非常に、困る…

 一度、会っただけでも、リンダに執着しかねないからだ…

 下手をすれば、ストーカーになりかねないからだ…

 そして、リンダ・ヘイワースの接待を希望するので、あれば、九分九厘、リンダの熱狂的なファンに違いない…

 つまり、リンダの隣に、リンダよりも、若く、美しい女がいても、見向きもせずに、リンダに執着するだろう…

 それを考えると、厄介…

 非常に、厄介な存在だった…

 この矢田トモコが、リンダの盾になって、守ってあげたい気持ちは、山々だったが、なにしろ、私は、身長が、159㎝…

 対するリンダは、175㎝…

 リンダが、私の盾になって、私を守ることは、できても、私が、リンダの盾になることは、できない(涙)…

 うーむ…

 困った…

 実に、困った…

 私は、悩んだ…

 悩み続けた…

 と、

 私が、悩んでいると、いきなり、扉が開いた…

 エレベーターが、目的の階に着いたのだ…

 社長室のある階に着いたのだ…

 私が、色々なことを、考えている間に、知らず、知らず、バニラといっしょに、エレベーターに乗り込み、しかも、その間にエレベーターは、上昇した…

 最上階の社長室に向かって、上昇した…

 しかも、

 しかも、だ…

 このエレベーターは、社長室に直行するものだった…

 社長室に直行するものだから、途中の階では、一切、停まらないのだ…

 だから、エレベーターの中は、私とバニラだけだった…

 他に誰もいなかった…

 だから、余計に、私は、自分の考えに、没頭できたのかもしれない…

 妄想にふけることができたのかもしれない…

 エレベーターの中は、私とバニラだけ…

 他に誰かいれば、緊張するに決まっている…

 だから、妄想にふけることができないに決まっている…

 エレベーターの中に、私とバニラだけだから、緊張しないで、いられたのだ…

 だが、考えてみれば、社長室に直行するエレベーターの中に、大勢、ひとがいるわけがなかった…

 なにしろ、社長室に直行だ…

 エレベーターの行き先は、社長室だけだ(笑)…

 すると、どうだ?

 当たり前だが、社長に用のある人間は、そうはいないということだ…

 だから、私は、バニラとエレベーターの中で、二人きりだったわけだ…

 私は、今さらながら、その事実に、気付いた…

 そして、それを、考えると、私は、緊張した…

 緊張の極みにあった…

 なにしろ、これから、葉尊に会うのだ…

 正直、今朝も、家で会ったが、会社で会うとなると、話が、違う…

 夫の葉尊は、クールの社長であることは、わかっているが、やはり、社長室で会うとなると、緊張した…

 会社はオフィシャル…

 プライベートではないからだ…

 なにより、社長秘書ではないが、会社のスタッフが、葉尊の周りにいる…

 それが、自宅との決定的な違いだ…

 私は、それを思うと、緊張した…

 会社での葉尊に会うという行為に、緊張した…

 自分でも、驚くほど、緊張した…

                

 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み