第85話

文字数 5,505文字

 来た!

 来た!

 来た!

 ついに、来た!

 私は、思った…

 ついに、このときが、来た…

 クール主催のサウジの使節団の接待の日が、近付いたのだ…

 それが、わかったのは、今朝の朝食のときだった…

 いつものように、葉尊と二人きりで、朝食を食べていると、

 「…いよいよです…お姉さん…」

 と、葉尊が、言った…

 {…なにが、いよいよなんだ?…}

 と、私は、一杯に、お茶碗に盛った、ご飯を、かき込みながら、言った…

 食事は、基本…

 健全な精神は、健全な肉体に宿る…

 その基本だ…

 だから、朝から、腹一杯に食べるに限る…

 食べねば、健全な肉体は、得られんからだ…

 健全な精神は、得られんからだ…

 だから、私は、ダイエットとは、無縁…

 無縁の人生だ…

 「…我がクールが主催するパーティーです…」

 「…パーティーだと?…」

 「…ほら、以前も、お姉さんに言ったように、サウジのお歴々を、招いて、接待するんです…」

 そうだった…

 すっかり、忘れていた…

 あのマリアが通うセレブの保育園で、オスマン殿下と知り合った…

 あの一件のインパクトが、強すぎて、すっかり忘れていた…

 なにしろ、お遊戯大会という名目で、集まっても、中身は、まったくの別物だった(笑)…

 思えば、あれほど、強烈な体験もなかった…

 なかったのだ…

 だから、サウジの王族を招いてのパーティーなんか、すっかり私の頭の隅から、消えていた…

 きれいさっぱり、忘れていた…

 「…で、オスマン殿下は、来るのか?…」

 「…オスマン殿下? 一体誰ですか? それは?…」

 「…なんだと? …オスマン殿下を知らないだと?…」

 「…ハイ…知りません…」

 葉尊は、真顔で言った…

 私は、考えた…

 葉尊と葉問は、繋がっている…

 以前は、そう思っていた…

 例えば、今、私が、葉尊としている会話…これを、すべて、葉問は、知っていると思っていた…

 が、

 違うかもしれない…

 ふと、思った…

 葉尊も、葉問も、互いが、相手に知られたくないことは、隠すことが、できるのかもしれない…

 自分に都合の悪いことは、相手に知らせずにいることができるかもしれないと、考え直した…

 「…誰ですか? それは?…」

 葉尊が聞いた…

 当たり前だ…

 私は、どう言おうか、迷ったが、

 「…マリアの通う保育園の園児さ…」

 と、だけ、言った…

 「…マリアの通う保育園ですか?…」

 「…そうさ…セレブの保育園で、日本人は、ほとんどいない…皆、外人だ…だから、マリアの外人の友達さ…」

 「…友達?…」

 「…そうさ…オスマンという名前だ…サウジの王族らしい…きっと、オスマンも、パーティーに来るゾ…」

 「…子供が、パーティーですか?…」

 葉尊が、苦笑した…

 当然だ…

 だから、私は、

 「…子供といっても、頭がいいゾ…それに、パーティーに出席することで、色々、世界が広がる…だから、きっと、パーティーにやって来るゾ…」

 と、私は、言った…

 「…子供が、パーティーに?…」

 そう言って、葉尊は、考え込んだ…

 「…たしかに、お姉さんの言う通り、社会勉強には、最適だと思いますが…」

 「…そうだろ?…」

 私は、勢い込んで、言った…

 「…大器晩成という言葉が、あるが、アレはウソさ…」

 「…ウソ?…」

 「…優れた人間は、最初から、優れているさ…例えば、偏差値40の高校や大学を出て、社会で、成功することは、ありえないさ…成功しても、それは、小さな成功さ…」

 「…お姉さん、なにを言いたいんですか?」

 「…つまり、頭のいい人間は、生まれつき、頭がいいということさ…頭が、悪ければ、成功は、するが、大きな成功は、しないということさ…生まれつき、美人や、イケメンに、生まれるのと、いっしょさ…」

 「…」

 「…だから、大器晩成という言葉は、ただ、生まれつき、頭のいい人間が、それまで、運に恵まれずにいたのに、突然、仕事が軌道に乗ったりして、うまくいった結果さ…能力があっても、それまで恵まれなかった人間が、恵まれた結果さ…」

 葉尊は、私が、なにを言いたいか、わからず、きょとんとした表情になった…

 「…だから、私が、言いたいのは、パーティーに、マリアを連れて行けと、言いたいのさ…」

 「…マリアを? …なぜ、マリアをパーティーに連れて行くんですか?…」

 「…今も言ったように、経験さ…」

 私は、半ば強引に、言った…

 「…マリアは、バニラの娘だが、オマエの妹でもある…だから、子供でも、幼いときから、パーティーに参加させて、場数を踏ませるに限る…そうすれば、大人になったときも、きっと、その経験が生きる…」

 「…経験が、生きる…」

 「…そうさ…どんなことも、経験さ…私が、大器晩成は、ウソだと言ったのは、成功するには、そもそも、能力が、必要だと、言いたかったのさ…マリアは、その能力がある…だから、子供の頃から、いろんな経験を積ませるに、限る…それが、マリアが、大人になったときに、役に立つからさ…」

 私は、半ば、強引に、葉尊に言った…

 要するに、ただ、マリアを、パーティーに連れてゆきたかったのだ…

 パーティーにオスマン殿下が、来ることは、予想できる…

 だから、どんなことをしても、マリアをパーティーに連れてゆきたかった…

 そうすれば、オスマン殿下を、喜ばすことが、できるし、驚かすことも、できる…

 そして、なにより、マリアは役に立つ…

 オスマンは、マリアの言いなり…

 マリアに惚れている…

 これを利用しない手はなかった…

 こう言えば、この矢田が、随分、ずるい人間と思うかもしれんが、そうではない…

 マリアは、保険…

 この矢田トモコにとっての、保険だった…

 なにか、あっては、困る…

 パーティーで、なにか、あっては、困るのだ…

 それには、保険が、必要…

 保険をかけるに、かける…

 つまり、そういうことだ…

 なにより、あのオスマンには、敵が多そうだ…

 名探偵コナンではないが、パーティーのように、ひとが、多く集まる場所で、事件が、起こっては、困る…

 だから、マリアを連れて行くに、限るのだ…

 マリアが、役に立つかもしれんからだ…

 だから、私は、大器晩成の話を持ち出して、マリアを、パーティーに出席させようとしたのだ…

 どうやって、マリアをパーティーに出席させるか、悩んでいる中で、いきなり、閃いたのが、この大器晩成の話だった…

 はっきり、言って、意味はない(笑)…

 ただ、思いついただけだ(笑)…

 だが、これを、マリアに例えれば、マリアは、生まれつき、優れた頭脳と、容姿を持って、生まれた…

 が、

 この先、どうなるかは、わからない…

 嫌みではないが、大金持ちの家に生まれたとしても、実家が、没落する家は、枚挙にいとまがない…

 ありふれている…

 そして、なにより、お金があったからと言って、マリアが、幸せになれるか、どうかは、わからない…

 結婚と離婚を繰り返して、

 「…あの女の人生は、夫を取り換えるのに、費やした…」

 と、陰口を叩かれる人生を歩むかもしれん…

 悪口ではなく、誰もが、そうなる可能性を秘めている…

 ただ、お金があれば、生活には、困らない…

 どこの世界も、いつの時代も、夫婦が、ケンカする原因は、お金がないことに、起因することが多い…

 不倫や、家庭内暴力も、多々あるが、一番は、お金がないことだろう…

 失業した夫が、ちっとも、再就職が、決まらず、最初は、なんとかなると、思って、大目に見ていた妻が、

 「…アンタ…一体、どうするの?…」

 と、夫に詰め寄って、

 「…そんなことを、言っても…」

 と、夫が、言い訳をして、それから、ケンカになる…

 それが、毎日のように続けば、互いに相手に愛想を尽かして、離婚する…

 そういうものだ…

 そして、なにより、大器晩成という言葉を思いついたのは、実は、オスマン殿下のせいだった…

 オスマン殿下は、外見は、3歳だが、実は、30歳…

 だが、優れている…

 アラブの至宝と呼ばれるほど、優れている…

 つまり、大器早成…

 生まれつき、優れている…

 だから、大器晩成ではない…

 そう、思ったのだ…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…ボクは、構いませんが、父が、どういうか?…」

 と、葉尊が、遠慮しがちに、口を開いた…

 「…いえ、父は、ボクが、言えば、説得できると思います…お姉さんが、言うように、何事も経験とでも言えば、納得するでしょう…でも、バニラが…」

 「…バニラが、どうかしたのか?…」

 「…バニラが、納得するかどうか?…」

 「…バニラが、納得するか、どうかだと? …」

 「…ハイ…バニラは、ああ見えて、お堅いというか…」

 「…お堅い?…」

 「…根が慎重なんです…」

 「…どういう意味だ?…」

 「…パーティーに参加するとなると、当然ですが、あの子供は、誰の子供なのか、話題になります…パーティーに子供が参加することは、あまりありません…バニラは、父の愛人ですが、公には、知られていません…それも、あって、そんなことが、世間に知られれば、父にとっても、バニラにとっても、まずいと、思うと思います…」

 葉尊が説明する…

 そして、そう説明されると、私は、なにも、言えんかった…

 たしかに、葉尊の言う通りだからだ…

 子供が、パーティーに参加すれば、

 「…アレは、誰の子?…」

 と、誰もが、気になる…

 まさか、葉敬と、バニラの子供だとは、言えん…

 葉敬は、台北筆頭CEО…

 バニラは、売れっ子のモデル…

 二人は、父子ほど、歳が、違う…

 その二人の間にできた子供だとは、口が裂けても、言えん…

 なにより、マリアの存在が知れれば、葉敬にも、バニラにも、仕事に影響が出るかもしれん…

 いや、

 葉敬は、仕事に影響が出なくても、間違いなく、バニラには、出る…

 バニラは、まだ23歳…

 そんな23歳のバニラに、実は3歳の娘がいると知られては、絶対仕事に影響が出る…

 うーむ…

 これは、困った…

 たしかに、葉尊の言う通りだが、どうしても、マリアには、パーティーに参加してもらわなければ、困る…

 困るのだ…

 うーむ…

 どうすれば?

 一体、どうすれば、いい?

 悩んでいると、

 「…でも、もしかしたら、お姉さんなら、なんとかなるかも…」

 葉尊が、突然、言った…

 「…どうして、私なら、なんとか、なるんだ?…」

 「…お姉さんは、マリアと仲がいいじゃないですか? マリアは、お姉さんになついています…そんなお姉さんが、マリアに、パーティーに参加しないかと、提案すれば、マリアは喜んで参加するに違いありません…そうなれば、バニラも無下には、反対できないかも…」

 …そうか…

 …その手があったか!…

 私は、思った…

 たしかに、マリアは、私の言うことを、きく…

 それに、マリアが、パーティーに参加したいと、いえば、母親のバニラも、反対しないに違いない…

 私は、思った…

 「…ありがとう、葉尊…」

 私は、礼を言った…

 「…どういたしまして…」

 葉尊が、応じた…

 が、

 結果は、全然うまくいかんかった…

 「…ダメ…」

 バニラが、電話の向こうから、言った…

 「…なにが、あっても、ダメよ…」

 バニラが、まるで、相手にしなかった…

 私が、葉尊が出社してから、朝一番で、バニラに電話をかけたのだった…

 その結果が、これだった…

これだったのだ…

 「…どうして、ダメなんだ?…」

 「…どうしてって? ちょっと、お姉さん、考えて見て…」

 「…なにを、考えるんだ?…」

 「…子供が、パーティーに参加してみなさい…当然、誰の子供か、話題になる…そして、マリアが、私と、葉敬の子供だと、バレたら、困る…」

 当たり前だった…

 つい、さっき、葉尊が、言った通りだった…

 「…大体、誰のパーティーなの? …面子は、誰?…」

 …そうだった?…

 …それを、まだ、伝えてなかった…

 「…サウジの王族さ…」

 「…サウジの王族?…」

 「…ほら、以前、サウジの王族が、来日して、リンダが接待すると、言って、リンダが、怯えていたことが、あっただろ? アレさ…」

 「…アレ?…」

 「…ほら、リンダは、もしかしたら、そのパーティーで、知り会ったサウジの王族に、そのまま、サウジに、お持ち帰りされるんじゃないかと、ビビッてただろ? アレさ…」

 私の言葉に、

 「…」

 と、バニラが、沈黙した…

 まるで、聞こえてないかのようだった…

 だから、

 「…どうした? …バニラ、聞こえているか?…」

 と、私は、聞いた…

 すると、

 「…サウジの王族って、オスマン殿下は、来るの?…」

 と、バニラが、警戒するかのように、小さな声で、用心深く、聞いた…

 「…それは、わからんさ…ただ、オスマン殿下が、来るとすれば、マリアが、いれば、喜ぶと思ってな…」

 「…そう…」

 小さな声で、バニラが、返答した…

 「…それに、だ…」

 私は、言ってやった…

 「…オスマン殿下のおかげで、クールも台北筆頭も、今、アラブ世界で、進めている商談が、一気に進んだと、葉問が、言っていたゾ…」

 「…エッ?…」

 「…葉問は、私が、オスマン殿下に気に入られたからと、言っていたが、本当のところは、マリアのおかげじゃないかと、私は、思うゾ…マリアは、オスマン殿下のお気に入りだから…」

 私が、言うと、再び、

 「…」

 と、バニラが、黙った…

 「…そういうことなら…」

 小さく、バニラが、返答した…

 「…そういうことなら、断れない…」

 バニラが、言った…

 が、

 その声は、泣いているようだった…

 涙を流しているようだった…

               
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