第53話

文字数 4,738文字

 「…雑草の強さ?…」

 葉尊が、私の言葉を繰り返した…

 「…そうさ…そして、それは、リンダも同じさ…」

 「…リンダも?…」

 「…リンダも平凡な家庭の出身さ…だから、オマエの父親の葉敬の支援を受けたんだろ?…」

 「…それは、そうですが…」

 「…だから、考える…」

 「…なにを、考えるんですか?…」

 「…どうすれば、ファラドから、逃げるか? …逃げ切れるか?…」

 「…」

 「…そして、リンダ=ヤンも雑草だから、あらゆる手を使う…そこに、タブーはない…」

 「…」

 「…そうだろ? 葉問?…」

 私は、言った…

 目の前の葉尊の表情が、変わった…

 明らかに、驚いた…

 動揺した…

 「…お姉さん…一体、なにを?…」

 「…隠しても、無駄さ…」

 「…無駄?…」

 「…葉問…オマエが、リンダに、バニラの娘のマリアを利用しろ、と、教えたのか?…」

 私が、聞くと、

 「…」

 と、葉尊、いや、葉問が、黙った…

 「…リンダが、出て行った後、気付いたのさ…リンダは、そこまでは、しない…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…マリアを利用しようという発想は、リンダには、ないさ…」

 「…」

 「…だから、リンダの頭では、考え付かない…だとすれば、誰かが、リンダに知恵をつけたことになる…そして、そんなことが、できるのは、葉問…オマエぐらいさ…」

 「…」

 「…葉問…相変わらず、悪知恵が働くな…」

 私が、言うと、

 「…どうして、今、お姉さんの前にいるのが、葉尊ではなく、葉問だと思うんですか?…」

 と、聞いた…

 「…簡単さ…」

 「…簡単?…」

 「…オマエは、偵察に来たのさ…」

 「…偵察?…」

 「…オマエが、リンダに知恵をつけた事実に、私が、気付いたか、否か、見に来たのさ…」

 「…」

 「…オマエは、リンダに、マリアを利用しろと、知恵を付けた…そして、その事実に、私が、気が付くか、どうか、見に来たわけだ…」

 「…」

 「…葉問…相変わらず、薄汚いというか…やることが、うさん臭いな…」

 「…うさん臭い?…」

 「…そうさ…もっと、正々堂々と勝負したら、どうだ?…」

 「…正々堂々と、ですか? …お姉さん…それで、ファラドに対抗できますか?…」

 「…」

 「…答えられないでしょ? だから、ボクは少しばかり、リンダに知恵をつけてやったんです…なにより、リンダ=ヤンは、葉尊の親友です…葉尊も、リンダに、もう会えなくなれば、哀しむでしょう…」

 「…言うことは、それだけか?…」

 「…どういう意味ですか?…お姉さん?…」

 「…私が、オマエの狙いに気付いてないとでも、思っているのか?…」

 「…狙い? …どんな?…」

 「…オマエの狙いは、ずばり葉敬さ…」

 「…葉敬…」

 「…マリアは、葉敬の娘…それを使うことは、葉敬にプレッシャーを与えることになる…」

 「…プレッシャー?…」

 「…そうさ…葉敬は、マリアを目の中に入れても、痛くないほど、溺愛している…それを、使うんだ…それを知れば、今すぐ、そんなことは、止めろと、葉敬は言うだろう…」

 「…だったら、リンダは、どうなるんですか? ファラドの愛人になっても、いいんですか?…」

 「…そこまでは、言ってないさ…だが、リンダと、マリアのどちらかを取れと、言われれば、間違いなく、葉敬は、マリアを取る…」

 「…」

 「…葉問…オマエは、それが、わかっている…」

 「…」

 「…そして、もう一つは、オマエ自身の延命さ…」

 「…延命?…」

 「…オマエは、以前、会ったときに、私に言ったな…私が、葉尊といることで、葉尊は、本物の葉問を失った心の傷を癒すことができる…それが、私を葉尊の妻に選んだ、葉敬の狙いだと…」

 「…」

 「…そして、葉尊が、過去の傷が癒えたとき、自分が消えると…」

 「…」

 「…そして、あのとき、オマエは、それを甘んじて、受け入れるかのようなことを、言った…だが、それは、ウソさ…」

 「…どうして、ウソなんですか?…」

 「…今回、マリアを使おうとしたことさ…マリアを使うことで、葉敬にプレッシャーを与えることになる…」

 「…それは、お姉さんの深読みのし過ぎです…ボクは、ただ、リンダに知恵を貸しただけです…」

 「…それは、ウソさ…」

 「…ウソじゃ、ありません…」

 「…ウソじゃないとしたら、オマエ自身が、気付いていないだけさ…」

 「…気付いてないだけ?…」

 「…そうさ…誰でも同じさ…例えば、オレが死ぬときは、事前に言ってくれ…オレは死なんか、全然恐れちゃいないと、普段から口癖の男がいて、たまたま友人が医者だった…それで、その男の言葉通り、その友人の医者が、あるとき、その男に、末期がんであることが、わかったから、それを告げたそうだ…そしたら、その男は、どうしたと思う…」

 「…わかりません…」

 「…見ている人間が、ビックリするほど、怯えたそうだ…死にたくない…死にたくないといって、誰が見ても、ウソだとわかる民間の薬を高額で買ったりして、見ていられなかったそうさ…」

 「…お姉さんは、ボクもそれと同じだと?…」

 「…そうさ…オマエは意識していないだけで、死が怖いのさ…だから、マリアを使おうとした…」

 「…」

 「…葉問…オマエもまた、自意識過剰な男さ…」

 「…自意識過剰…ですか?…」

 「…そうさ…オマエは、いつも自信たっぷり…自分の力を過信している…が、本当は、結構、気が小さいんじゃないか?…」

 「…どうして、そう思うんですか?…」

 「…今回、マリアを使おうとしたことさ…オマエが本当に意識していないで、マリアを使おうとしたのならば、それは、きっと、無意識に…オマエが意識しようとしまいと、心の底では、死にたくない…消えたくないと、願っているのさ…」

 「…」

 「…葉問…オマエも所詮、人間だ…そんなに強くはないさ…」

 私は、断言した…

 そして、黙った…

 葉問が、どう反論するか、見たかったからだ…

 葉問は、私の言葉に、しばし、悩んでいた…

 それから、おもむろに、口を開いた…

 「…たしかに、お姉さんの言う通りかもしれません…」

 「…そうか…」

 「…自分では、意識していないだけかもしれません…」

 「…そうか…」

 「…ですが、オスマンが、リンダを救う突破口になる可能性は、高いです…」

 「…」

 「…ボクは、ボクなりに、リンダを助けたいんですよ…お姉さん…」

 「…」

 「…リンダ=ヤンは、葉尊の親友であると同時に、このボク、葉問のかけがえのない友人でもあります…」

 「…」

 「…だから、助けたい…それで、出てきた策が、オスマンでした…」

 「…そうか…」

 「…そして、ファラド…アラブの女神です…」

 「…アラブの女神だと? …それはファラドと結婚した女が、サウジで、アラブの女神と呼ばれるほどの権力を持つという意味だろ?…」

 「…それもあります…」

 「…それもある? じゃ、別の意味もあるのか?…」

 「…お姉さんの言うファラドの過去です…」

 「…過去だと?…」

 「…おそらく、そこに、ヒントがあります…」

 「…ヒントだと? だったら、葉問…オマエは、それがわかるのか?…」

 「…たぶん…あくまで、想像ですが…」

 「…だったら、さっさと言え…いますぐ私に話せ…」

 「…本当だか、どうか、わからない話を、ここでお姉さんに話すわけには、いきませんよ…」

 「…なんだと?…」

 「…それに、話せば、お姉さんは、その話に縛られる…そして、もしそれが、間違っていれば、取り返しのつかない事態にも、なりかねない…」

 「…」

 「…とにかく、オスマンです…お姉さん…オスマンに接触して、下さい…」

 葉問が言った…

 そして、それを最後に、葉問は、消えた…

 葉尊に戻ったのだ…

 本来の私の夫、生真面目な葉尊に、戻ったのだ…

 葉尊に戻った夫に、

 「…葉尊…逃げちゃ、ダメだ…」

 と、告げた…

 「…スイマセン…」

 「…どんなときも、逃げちゃダメさ…」

 「…ハイ…」

 「…と、言いたいところだが、逃げても、いいときも、ある…」

 「…それは、どんなときですか?…」

 「…あらゆる策を考えて、逃げるのが、最善の策だった場合さ…」

 「…」

 「…今のオマエが、そうだろ?…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…葉問に、カラダを譲ることによって、リンダを助けようとした…」

 「…」

 「…オマエでは、リンダを助けることができない…だから、葉問に助けを求めた…違うか?…」

 「…」

 「…いや、答えたくないならば、答えなくてもいい…誰もが、得手不得手がある…」

 「…どういう意味ですか? …お姉さん?…」

 「…戦争でいえば、実際に、銃やミサイルを手に戦うのか、それとも、作戦を考えるかの違いさ…」

 「…」

 「…葉尊…オマエの役割は、正攻法で、表の世界で、成功すること…活躍することだ…」

 「…」
 
 「…真逆に、葉問は、少々、薄汚い工作と言えば、失礼だが、汚れ仕事が合っている…」

 「…汚れ仕事?…」

 「…そうさ…たとえば、スパイのような仕事さ…」

 「…お姉さん…いくらなんでも、それは、言い過ぎじゃ…」

 「…言い過ぎなんかじゃないさ…葉問には、それが合っている…そして、葉尊…オマエは、そんな葉問を利用しているんじゃないか?…」

 「…」

 「…オマエができないことを、葉問にやらせているんじゃないか? …違うか?…」

 「…お姉さん…いくらなんでも、それは…」

 「…まあ、いい…オマエには、オマエの目的があっていい…」

 それ以上、私は、なにも、言わなかった…

 そして、それは、葉尊もまた、同じだった…

 私は、この夜、初めて、葉尊を批判した…

 これまで、一度だって、葉尊を批判したことは、なかった…

 が、

 この夜ばかりは、違った…

 どうしても、自分を抑えることができなかったからだ…

 実を言うと、私は、葉尊という男が、疑問というか…

 信じられなかった…

 心の底から、葉尊を信じることができなかった…

 なぜなら、葉尊は、いつ見ても、人柄が良く、誰の悪口も言わない…

 愚痴もこぼさない…

 ある意味、聖人君子のような人間だ…

 が、

 そんな人間は、これまで、私は、誰一人、会ったことが、なかった…

 35年間、生きてきて、一人も見たことが、なかった…

 他人様の悪口を言えとは、言わない…

 が、

 果たして、そんな聖人君子のような人間が、この世にいるのか、私は甚だ疑問に思う…

 少しばかり、他人の悪口を言い、少しばかり、愚痴をこぼすのが、普通の人間だと思うのだ…

 が、

 それが、葉尊には、一切ない…

 だから、信じられないのだ…

 本心を隠している…

 本心を決して、誰にも、見せない…

 そんなうさん臭さを、感じてしまう…

 それに比べると、葉問の方が、好きだった…

 葉尊に大事にされてはいたが、正直に言って、葉問の好きだった…

 なぜなら、葉問の方が、人間くさく、信用できるからだ…

 葉問は、うさん臭い…

 一癖も二癖もある…

 が、

 それがいい(笑)…

 ある意味、人間臭く、わかりやすい…

 こんな人間、いるいる…あるある…と、誰もが、同意する…

 納得する…

 が、

 葉尊には、そんな人間臭さが一切ない…

 だから、いかに、葉尊に優しくされようと、イマイチ信じられない…

 心の底から、信用することができない…

 だから、今夜、わざと、葉尊に告げた…

 いわば、罠にかけたのだ…

 トラップを仕掛けたのだ…

 が、

 当たり前だが、葉尊は、そんなトラップには、引っかからなかった…

 さすがというか…

 が、

 私の葉尊に対する気持ちは変わらない…

 どうしても、心の底から、信用することができない気持ちは変わらない…

 そういうことだった…

               
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