第108話

文字数 5,746文字

 「…困らす? …どうして、私が、葉尊を困らせるんだ?…」

 私は、聞いた…

 舌鋒鋭く、聞いた…

 葉問は、そんな私の質問にも、動じなかった…

 ただ、笑っていた…

 「…お姉さん?…」

 「…なんだ?…」

 「…たとえ、知っていても、知らないフリをするのも、優しさだと思います…」

 葉問が、意味深に、言った…

 「…優しさだと?…」

 「…そうです…」

 葉問が、言いたいことは、わかる…

 が、

 私は、納得しなかった…

 「…葉尊は、ズルいな…」

 「…どうして、ズルいんですか?…」

 「…肝心なときに、いなくなる…葉問…オマエに、取って代わる…」

 「…お姉さん…ひとには、誰でも、得手不得手があります…」

 「…得手不得手だと?…」

 「…そうです…おとなしい葉尊では、舌鋒鋭い、お姉さんには、太刀打ちできません…」

 「…おとなしい葉尊だと? …そんなものは、この世に存在しないさ…」

 「…存在しない? …どういう意味ですか?…」

 「…葉尊は、おとなしい人間を演じているだけさ…」

 私は、断言した…

 「…ひょっとすると、葉問…オマエよりも、もっと、どす黒いんじゃないか? …葉尊は?…」

 「…どす黒い?…」

 「…そうさ…」

 私の言葉に、葉問は、考え込んだ…

 それから、少しして、

 「…お姉さん…どうして、そう思うんですか?…」

 と、聞いた…

 「…オスマン殿下さ…」

 「…オスマン殿下?…」

 「…そうさ…葉尊は、最初、オスマン殿下を知らないフリをしたのさ…それで、矢口のお嬢様の名前を出して、追及すると、渋々認めたのさ…どうだ? 腹黒いだろ?…」

 「…それは、お姉さんを、争いに巻き込みたくなかったからでは?…」

 「…そうかも、しれん…だが、葉尊は、不自然さ…」

 「…不自然? …なにが、不自然なんですか?…」

 「…葉尊の態度さ…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…私に優し過ぎるのさ…」

 私の言葉に、葉問が、

 「…お姉さん…それは、のろけですか?…」

 と、笑った…

 「…バカ、そんなんじゃないさ…」

 私は、怒った…

 「…葉尊は、ただ私の前で、善人を演じているのさ…」

 「…善人を演じている?…」

 「…きっと、本物の葉尊は、別にいるさ…ハッキリ言えば、今、私と、いっしょにいる葉尊は、コインでいえば、表…表の善人の部分を出しているだけさ…ホントは、葉尊は、コインの裏…もっと、どす黒い部分を、持っているに、違いないさ…」

 私の言葉に葉問は、考え込んだ…

 真剣に、考え込んだ…

 それから、

 「…それは、あるかもしれない…」

 と、ゆっくりと、口を開いた…

 「…だろ?…」

 「…ですが、お姉さん…葉尊は、いつも、お姉さんに優しいでしょ?…」

 「…それは、優しいさ…私が、なにを言おうと、葉尊は、なにも、言わないさ…葉尊が、私に文句を言うことは、ありえないさ…」

 「…だったら、いいじゃ、ないですか?…」

 葉問が、笑った…

 「…どうして、いいんだ?…」

 「…だって、お姉さん…考えて見てください?…」

 「…なにを、考えるんだ?…」

 「…お姉さんの人生の中で、葉尊ほど、お姉さんに優しい人間は、いましたか?…」

 「…いないさ…」

 私は、即答した…

 たしかに、私のこれまでの人生で、葉尊ほど、私に優しい男は、いなかった…

 私を大事にしてくれる男は、いなかった…

 「…だったら、いいじゃないですか…」

 葉問が、笑った…

 「…お姉さんが、言うように、葉尊には、裏があります…まだ、お姉さんには、見せたことのない、裏の顔があります…でも、それが、普通の人間じゃ、ないですか?…」

 「…どういう意味だ?…」

 「…誰も、男は、好きな女の前で、その女に、嫌われる真似は、しないということです…」

 「…」

 「…そう、考えれば、いいじゃ、ないですか?…」

 葉問が、笑う…

 私は、その葉問の顔を見ながら、

 「…葉問…オマエ、案外、口がうまいな…」

 と、言ってやった…
 
 「…オマエ、いつも、そんなふうに、女を口説いているのか?…」

 私が、言うと、葉問の顔色が、変わった…

 葉問としては、珍しいことだった…

 「…お姉さん…」

 葉問が、珍しく、怒気を孕んだ声を出した…

 「…言っていいことと、悪いことが、あります…」

 「…なんだと?…」

 「…ボクは、今、真剣に、言ったんです…だから、お姉さんにも、真剣に、受け取って、欲しい…」

 「…真剣だと?…私は、いつも、真剣さ…」

 私は、力強く、言った…

 「…この矢田トモコ、35歳…いつも、真剣さ…真剣に生きてきたさ…」

 私は、そう言って、葉問を睨んだ…

 私の細い目を、さらに、細くして、睨んだのだ…

 すると、どうだ?

 葉問が、目をそらした…

 私は、勝ったと、思った…

 勝利を確信したのだ…

 「…お姉さんは、ズルい…」

 葉問が、再び、私を見て、ポツリと、漏らした…

 「…私が、ズルい? …どうして、ズルいんだ?…」

 「…お姉さんを、前にすると、誰も、文句を言えなくなる…」
 
 「…」

 「…究極の愛されキャラと、いうヤツです…」

 葉問が、苦笑する…

 「…お姉さんを前にすると、葉敬もお手上げです…」

 「…お義父さんも、お手上げだと? …どういう意味だ?…」

 「…葉敬の狙いです…これは、以前も、言いました…葉敬の狙いは、この葉問の消滅…葉尊の、もう一つの人格である、この葉問を消滅させること…その手段が、お姉さんだったのです…」

 「…私?…」

 「…お姉さんは、あったかい…誰もが、お姉さんといると、安らぐ…安心する…葉尊は、子供の頃、本物の弟の葉問を事故で、亡くしました…原因は、これも、すでに、何度も言ったように、葉尊のいたずらが、原因です…それを、悔やんだ葉尊が、作り出した、もう一つの人格、それが、ボク、葉問です…」

 「…」

 「…つまり、葉尊は、心に、傷を負っているということです…それが、お姉さんと、知り合い、癒される…すると、どうですか? 過去の傷が、癒される…つまり、ボクが、消滅すると、いうことです…それが、葉敬の狙いです…」

 「…」

 「…ですが、葉敬にも、誤算が、ありました…」

 「…誤算?…」

 「…お姉さんが、周囲の人間に、好かれ過ぎることです…」

 「…私が、好かれ過ぎる?…」

 「…そうです…その代表例が、オスマン殿下です…」

 「…」

 「…お姉さん…殿下が、どうして、保育園に通っているか、わかりますか?…」

 「…それは、殿下が、3歳児にしか、見えないからだろ?…」

 「…それも、あります…ですが、それ以外の目的もあります…」

 「…目的? なんだ、それは?…」

 「…保育園の子供たちが、その人間を簡単に見抜くことができるからです…」

 そうだった…

 それは、私も、あのセレブの保育園で、気付いた…

 子供には、大人にはない、能力がある…

 その代表例が、ひとを見抜くことだ…

 わかりやすい話…その人間が、善人か、悪人か、簡単に、わかる…

 早い話、子供が、近寄らなければ、その人間は、悪い人間と、認定される…

 そういうことだ…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…あのとき、オスマン殿下が、試したのは、ファラドだけでは、ありません…」

 と、葉問が、いきなり、言った…

 「…ファラドだけじゃない? …どういうことだ?…」

 「…オスマン殿下は、お姉さんも試したのです…」

 「…私を試した?…」

 意外といえば、意外…

 あまりにも、意外な言葉だった…

 「…考えてみて、下さい…」

 「…なにを、考えるんだ?…」

 「…あのとき、お姉さんは、壇上で、AKBの恋するフォーチュンクッキーを、踊りました…ということは、どうですか? オスマン殿下は、あのとき、なにが起こるか、あらかじめ、すべて、見抜いてました…つまり、ドラマで、いえば、シナリオを、知っていたということです…」

 「…シナリオを知っていた?…」

 「…そうです…」

 葉問が、力を込めた…

 私は、考え込んだ…

 たしかに…

 たしかに、葉問の言う通り…

 あのセレブの保育園で、お遊戯大会が、行われる名目で、私は、リンダと、連れ立って行った…

 男装したリンダ=ヤンと、連れ立って行った…

 が、

 そこで行われたのは、お遊戯大会では、なかった…

 お遊戯大会に、かこつけた、ファラドの逮捕劇だった…

 つまり、お遊戯大会は、名目…

 お遊戯大会は、行われたが、そこに集まった父兄は、皆、オスマン殿下の配下の者たちだった…

 いわば、オスマン殿下は、自分の配下の人間を集めて、ファラドを、追い込んだのだ…

 ファラドは、オスマン殿下の代理人という地位だった…

 いわば、オスマン殿下の影武者…

 だから、オスマン殿下になりすましているのと、同じ…

 だが、オスマン殿下に、なりすましている間に、自分が、オスマン殿下に、とって代わろうという野心が、芽生えた…

 それに、気付いたオスマン殿下が、配下の者たちで、ファラドを囲んで、捕まえた…

 それが、真相だった…

 そして、それを思えば、あのとき、オスマン殿下は、なにが、起こるか、すべて、知っていた…

 当たり前のことだった…

 だが、今、葉問が、言った、私を試したというのは、一体?

 一体、どういう意味なんだろ?

 疑問だった…

 だから、

 「…それは、どういう意味だ?…」

 私は、聞いた…

 「…お姉さんの人柄です…」

 「…私の人柄?…」

 「…考えて見てください…」

 「…なにを、考えるんだ?…」

 「…あのとき、お姉さんは、なにも知らず、矢口さんに、導かれて、壇上で、AKBの恋するフォーチュンクッキーを、踊りました…」

 …そうだ…

 …私は、葉問の言う通り、なにも、知らなかった…

 ただ、矢口のお嬢様に、壇上に上がって、AKBの恋するフォーチュンクッキーを、踊れと、言われたので、踊ったに、過ぎない…

 だから、

 「…葉問…オマエの言う通りさ…」

 と、答えた…

 葉問は、私の返事を聞き、満足そうに、

 「…それが、重要だったのです…」
 
 と、答えた…

 「…重要…どうして、重要なんだ?…」

 「…シナリオは、全員が、知っていては、ダメなんです…」

 「…どうして、ダメなんだ?…」

 「…全員が、知っていれば、それは、お芝居です…すると、どうですか? 態度が、わざとらしくなります…だから、全員ではなく、一部の人間は、なにも、知らない方が、いい…オスマン殿下が、あのセレブの保育園を、舞台にしたのが、なによりの例です…」

 「…なによりの例だと?…」

 「…子供は、なにも、知らないからです…」

 葉問が、答える…

 「…だから、演技のしようがない…」

 葉問が、笑う…

 「…そして、お姉さん…」

 「…わ、私?…」

 「…子供たちの前で踊る、お姉さんは、もっとも、重要です…なにしろ、目立つ…だから、なにも知らないで、踊ってくれるのが、一番大切です…」

 葉問が、力を込める…

 私は、考えた…

 たしかに、葉問の言うことは、わかる…

 わかるのだ…

 全員が、シナリオを知っているのは、良し悪し…

 決して、いいことではない…

 なぜなら、それは、態度に現れるから…

 態度に、現れる=その場の雰囲気に、現れるからだ…

 私は、思った…

 と、同時に、気付いた…

 なにに、気付いたかと、言われれば、なぜ、オスマン殿下が、ファラドを捕まえるのに、あの場所を選んだのか?

 それが、疑問だった…

 なぜなら、あんな場所を選ばず、身近な場所で、ファラドを捕らえれば、いいのでは?

 と、内心、思っていたからだ…

 が、

 それでは、もしかしたら、ファラドは、気付くのでは?

 と、考えたに違いない…

 オスマン殿下に、仕える周囲の人間の雰囲気が、なんとなく、おかしい…

 それに、ファラドが、気付けば、ファラドは、一目散に、逃げ出しかねないからだ…

 だから、あんなお芝居を打った…

 わざと、ファラドを捕まえるのに、セレブの保育園を選んだ…

 セレブの保育園ならば、園児が、いっぱいいる…

 園児たちは、お芝居ができないから、ちょうどいい…

 だからだ…

 そして、私…

 私は、なにも、知らない…

 だから、雰囲気が、おかしくならない…

 だから、オスマン殿下は、私に感謝した…

 なにも、知らない私が、あの場で、楽しく踊ったことで、雰囲気が、おかしくならず、ファラドを捕らえることが、できたからだ…

 と、

 ここまで、考えて、気付いた…

 オスマン殿下の隠された目的に、気付いたのだ…

 なぜ、ファラドを、あのセレブの保育園で、捕まえなければ、ならないか、その目的に、気付いたのだ…

 もしや…

 もしや…

 あのセレブの保育園に通う園児たち…

 彼、あるいは、彼女たちの父兄の中に、ファラドと、通じる者たちがいるのでは?

 と、気付いた…

 つまりは、オスマン殿下は、あの場で、自分の配下の者たちを、使って、ファラドを捕らえたことを、園児たちに、親たちに、伝えて、もらう目的も、あったのでは? と、気付いた…

 当然、子供たちのことだ…

 あのセレブの保育園で、なにが、起ったのか、帰って、親に告げる…

 これは、園児たちに、口留めしても、無理…

 園児たちの口に戸は立てられない…

 もっとも、これは、子供でなくても、同じ…

 大人でも、同じ…

 ひとの口に、戸は立てられないからだ…

 そして、なにより、セレブの保育園に通う園児たちの親は、皆、社会的地位がある…

 その社会的地位がある親たちのことだ…

 ファラドと繋がっていても、おかしくはない…

 だから、子供たちを、通じて、今日、保育園で、なにが、あったか、親たちに伝える目的も、あったのでは? と、気付いた…

 もちろん、子供たちは、ファラドのことは、知らない…
 
 が、

 当たり前だが、ファラドは、日本人ではない…

 アラブ人…

 浅黒い肌をした、サウジアラビア人だ…

 だから、子供たちの目にも、わかりやすい…

 あのセレブの保育園に通う子弟は、各国のセレブの子弟…

 いわば、世界中のセレブの子弟が、集まっている…

 だからこそ、ファラドを応援する人間も、その中にいたのではないか?

 ファラドと繋がる人間も、いたのではないか?

 私は、その事実に、今さらながら、気付いた…
 
               
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