第22話
文字数 6,052文字
「…お姉さん…なにを考えているんですか?…」
私が、考え込んでいると、葉尊が言った…
だから、私は、
「…リンダのことさ…」
と、答えた…
それから、
「…いや…リンダは、以前、自分がアラブの王族に、口説かれて、アラブに連れて行かれるかもしれないと、怯えていたのに、昼間、この家に来たときは、そんな様子は、全然なかった…」
「…お姉さん…なにが、言いたいんですか?…」
「…つまり、前回、私と会ったときと、今日、昼間、会ったときの間に、リンダは、アラブの王族の狙いが、自分じゃないと、気付いたと、思ったのさ…」
「…」
「…お姉さん…なにが、言いたいのですか?…」
「…いや、その情報を、リンダが、どこから、得たのか、気になってな…」
私は、言った…
言いながら、ジッと、目の前の夫の葉尊を見つめた…
「…お姉さんは、その情報が、もしかしたら、ボクから得たと?…」
「…まさか、そんなことは、言ってないさ…」
私は、言った…
「…ただ…」
「…ただ、なんですか?…」
「…リンダの情報網は、凄いと、思ってな…」
「…情報網…」
「…リンダ・ヘイワースのファンの情報網さ…一般人のじゃない…セレブのファン専用のネットワークさ…その中には、イギリス王室のウイリアム王子もいるらしい…」
「…」
「…それを、知りたいから、今日は、葉尊の代わりに、やって来たんじゃないか? 葉問…」
私は、言った…
目の前の葉尊の表情が、固まった…
明らかに、固まった、緊張した顔になった…
「…い…いったい、なにを、根拠に、そのような…」
「…リンダさ…」
「…リンダ?…」
「…アイツが、言ったんだ?…」
「…なにを、言ったんですか?…」
「…アラブの王族の接待…なにが、目的かは、わからないが、クールというか、台北筆頭というか、こちらは、葉尊、葉問、リンダ、バニラと、一丸となって、戦うと宣言したんだ…」
「…」
「…それで、葉問…オマエを思い出してな…」
私が、言っても、目の前の葉問に、変化はなかった…
むしろ、今さっき、葉問と、私が、目の前の葉尊を、葉問と、見破ったときの方が、動揺していた…
「…どうして、それで、お姉さんは、ボクが、葉問だと思うんですか?…」
「…オマエが、今、リンダを守ると、言ったからさ…」
「…それが、なにか?…」
「…葉尊なら、そんなに力を込めて、リンダを守るなんて、言わないさ…」
「…だったら、葉尊なら、どう言うんですか?…」
「…ただ、驚くさ…」
「…驚く?」
「…そして、守ると言うさ…でも、そんなに、大げさには、言わない…オマエは、葉尊になりすましたつもりかもしれないが、葉尊は、真面目だが、バカではないゾ…」
私の言葉に、葉問は、考え込んだ…
それから、急に、楽しそうに、笑った…
すると、それまでと、表情が、一変した…
同じ顔で、あるにも、かかわらず、雰囲気が一変したのだ…
別人になった…
「…まったく、お姉さんには、叶わない…」
葉問が、笑った…
「…子供っぽく、抜けているかと思えば、突然、鋭いことを、言う…まったく、一人の人間の中に、二人の人間がいるようだ…」
「…それは、葉問、オマエだろう…」
私は、言った…
すると、葉問は、またも、照れ臭そうに、笑った…
「…たしかに、お姉さんの言う通りです…」
私は、目の前の葉問を見ていて、まるで、手品を見るようだと、思った…
突然、目の前で、同じ人間が、入れ替わったのだ…
別人になったのだ…
顔もカラダも、服も同じ…
それが、葉尊から、葉問に入れ替わることで、まったくの別人になったのだ…
別人になることで、雰囲気が一変した…
それを、間近に見て、つくづく、人間は、外見だけではないと、思った…
顔もカラダも服も、まったく同じなのに、別人なのだ…
真面目で、おとなしめの葉尊から、どこか、不良っぽく、やんちゃな雰囲気を持つ、葉問に変わった…
すると、まったく変わるのだ…
文字通り、目の前で、優れた手品を見るようなものだった…
マジシャン=手品師が、種明かしをして見せても、わからない…
そんな優れた手品を、目の前で、見せられたようなものだった…
「…それと、もう一つ…」
「…なんですか?…」
「…リンダの目的さ…」
「…リンダの?…」
「…リンダは、おそらく、わざと、私の前で、葉問…オマエの名前を出したに違いないさ…」
「…わざと? …どうして、ですか?…」
「…きっと、オマエを呼び出したかったのだろう…」
「…ボクを?…」
「…魔法使いではないが、リンダの言葉で、葉問…オマエがここに現れた…葉尊が、葉問…オマエと入れ替わることで、葉尊には、できないことが、オマエには、できる…」
「…」
「…リンダは、そのスイッチを入れたのさ…」
「…」
私は、言った後、ジッと、葉問を見つめた…
ただ、ジッと見た…
葉問が、どういう態度を取るか、知りたかったからだ…
「…まったく、お姉さんには、叶わない…」
葉問が、笑いながら、さっきと同じ言葉を発した…
「…まったく、お姉さんには、驚かされる…ときどき、こちらが、想定していないことをする…」
「…」
「…だから、まったく、予想できない…」
言いながら、いつのまにか、葉問の顔が真剣になった…
「…だったら、お姉さん…リンダの目的は、なんだと言うんですか? …ボクを呼び出した目的は、なんだと言うんですか?…」
「…それは、私にも、わからんさ…ただ…」
「…ただ、なんですか?…」
「…オマエが必要なんだろう…」
「…ボクが、必要?…」
「…そうさ…」
「…だったら、どんな必要があるのですか?…」
「…それは、わからんさ…でも、リンダには、リンダの目的があるのかもしれん…」
「…目的…どんな?…」
「…例えば、葉敬からの独立?…」
私が、言うと、
「…エッ?…」
と、目の前の葉問が、絶句した…
「…考えられないことじゃないだろ?…」
「…どうして、そう思うんですか?…」
「…リンダが、葉敬からの独立を考えた場合、もっとも、必要になるのは、援助者さ…」
「…援助者?…」
「…葉敬の庇護から外れるということは、別の誰かの庇護を受けるということ…例えば、それが、アラブの王族さ…」
「…」
「…だから、別の見方をすれば、リンダが、安心したのは、アラブの王族が、リンダのスポンサーになってくれると、約束したからかもしれないさ…」
私が、言うと、葉問が、
「…」
と、黙った…
それから、少しして、
「…その可能性も否定できない…」
と、言った…
「…だろ?…」
「…ですが、それならば、どうして、ボクが…葉問が、必要となるんですか?…」
「…」
「…ボクを呼び出す以上、ボクにしか、できないことがあるはずです…」
「…」
「…葉尊ではなく、ボクにしか、できないことがあるはずです…」
葉問が、穏やかに告げる…
…たしかに、その通り…
…その通りだった…
…それを忘れていた…
たしかに、リンダがアラブの王族を使って、葉敬からの独立を画策している可能性は、あるが、それならば、なぜ、葉問を必要とするか、その説明には、ならない…
「…お父さんを説得するためじゃないか?…」
私は、とっさに、思った…
「…葉尊は、おとなしいから、葉敬には、逆らえない…だから、葉問、オマエを呼び出した…」
「…それは、ありません…」
「…どうしてだ?…」
「…ボクが葉敬と仲が悪いからです…」
…そうだ…
…それを忘れていた…
「…葉敬は、ボクの…葉問の存在を、認めていない…」
…その通りだった…
葉問は、葉尊が、作り出した、もう一つの人格…
本物の葉問は、事故で死んだ…
だから、葉尊が作り出した葉問は、本物ではない…
本物の葉問ではない…
だから、葉敬が、葉問を認めないのは、当たり前…
当たり前のことだった…
葉問を認めるということは、葉尊の存在を否定することに、他ならない…
いや、
否定するということは、大げさかも、知れないが、認めることはできないだろう…
なにしろ、本物の葉問は、死んでいる…
今、私の目の前にいる、葉問は、葉尊が、作り出した別人格…
本物ではない…
本物の葉問ではないからだ…
私は、それを思い出した…
「…葉問…」
私は、言った…
「…オマエは、そんなに命が惜しいか?…」
私は、言った…
直球だった…
「…命が惜しい? …どういうことですか?…」
「…オマエの存在さ…葉問…」
「…どういう意味ですか?…」
「…葉問…オマエには、実体がない…」
「…」
「…葉問…オマエは、葉尊に憑依した、幽霊のようなものさ…」
「…」
「…だから、葉尊に憑依できなければ、消滅する…オマエは、それが、わかっている…だから、怖いのだろう…」
私の言葉に、
「…」
と、葉問は、無言だった…
考え込んでいた…
それから、しばらく考え込んでから、
「…たしかに、それもあるかもしれない…」
そう言って、笑った…
笑ったのだ…
が、
その笑いは、実に魅力的だった…
夫の葉尊には、悪いが、悪の魅力といえば、大げさだが、葉問が笑うと、なにか、陰の魅力がある…
どこか、後ろ暗い、魅力がある…
そして、女は、それに惚れるのだ…
なにか、過去を引きずるような、ある種、胡散臭い魅力がある…
真面目を絵に描いたような葉尊には、ない魅力…
葉尊と結婚すれば、安定した生活を得ることができる…
が、
つまらない…
危険がないからだ…
トキメキがないからだ…
一方、葉問と結婚すれば、スリリング極まりない生活を送るかもしれない…
誰かを、追ったり、誰かに、追われたり、まるで、映画のようなスリリングな毎日を過ごせるかもしれない…
そして、そんな毎日は危険過ぎて、困ると言いながら、どこかで、憧れる…
そんな女は、まるで、夢見る少女…
が、
どんな女も、そんな夢見る少女の一面は、持っているものだ…
それが、葉問に会うことで、一気に開花するというか…
惹かれるというか…
そんな少女の一面が出る…
顕在化する…
いわば、怖いもの見たさ…
コイツは悪い男だと、自分自身に言い聞かせながらも、葉問に惹かれる…
惹かれ続ける…
こんな男と、人生を送れば、自分の人生が、どうにか、なってしまうかもしれない…
一方で、そう思いながらも、惹かれ続ける…
はっきり、いえば、悪の魅力に他ならない…
しかも、葉問は、知的だ…
ただのケンカ自慢の、頭の悪い男には、惹かれないが、知的で、陰のある葉問には、大げさにいえば、知的な女も憧れる…
昔、見た、映画俳優の市川雷蔵が、そうだ…
雷蔵の代表作の一つが、眠狂四郎だが、雷蔵の主演作を期間限定で、映画館で、上映すると、見るからに、高学歴の女性が、大勢集まったそうだ…
雷蔵には、どこか、高学歴な女性が惹かれるものがあるのだろう…
知的で、陰がある…
それが、市川雷蔵の魅力だった…
その雷蔵と、葉問は、同じ…
似ていた…
私が、そんなことを、考えていると、
「…お姉さん…なにを考えているんですか?…」
と、葉問が聞いた…
「…オマエのことさ…葉問…」
「…ボクのこと?…」
「…一体、どんな女が、オマエに憧れると思ってな…」
「…」
「…案外、リンダも、オマエを呼び寄せて、二人きりで、人生を送りたいのかもしれないな…」
私が、言うと、葉問が、笑った…
文字通り、笑ったのだ…
「…お姉さん…それはないです…」
葉問が、含み笑いを浮かべなら、答えた…
それから、
「…しかし、お姉さんは、面白い…」
と、笑った…
「…リンダの目的について、アレコレ語って、ボクを驚嘆させるかと思えば、一転して、リンダが、ボクを好きなんじゃないかというような、間の抜けた質問をする…」
「…間の抜けた質問だと?…」
「…そうです…リンダ…リンダ・ヘイワースは、大げさにいえば、地獄を見た女です…」
「…地獄?…」
「…つまり、辛酸を舐め尽くして、現在の地位を得たと言いたいわけです…そんなリンダが、ボクに憧れるわけがない…」
「…」
「…リンダが、憧れるのは、お姉さん、アナタです…」
「…私?…」
「…そうです…純真無垢で、裏表がなく、誰からも好かれる…お姉さんは、まるで天使です…」
「…天使? …私が?…」
私は、驚いたというより、呆気に取られた…
葉問は、切れ者だと信じていたが、実は、ただのバカだったのかもしれん…
私は、遅まきながら、その事実に気付いた…
「…むろん…天使というのは、外観ではありません…中身…魂のことです…」
「…魂だと?…」
「…お姉さんには、誰もが、癒されるのです…まるで、冬に焚火を囲むように、お姉さんを前にすると、ホッとする…リンダもバニラも、仕事が休みのときには、いつもお姉さんと、いっしょにいる…それは、二人の魂が、お姉さんといると、安らぐからです…」
…コイツ…
…葉問…
やはり、バカだったのか?
私は、思った…
真面目な顔をして、私の魂が天使だとか、なんとか、わけのわからないことを言う…
まさに、バカ…
バカ認定だった…
だから、私は、
「…オマエは、バカか?…」
と、言ってやった…
普通は誰も面と向かって言えないが、さすがに頭に来たからだ…
「…私の魂が、天使だ、なんだと、わけのわからないことを言って…」
私が、怒ると、
「…さすがに、天使は、大げさ過ぎました…」
と、笑った…
「…ですが、間違ってはいません…」
「…なんだと?…」
「…お姉さん?…」
「…なんだ?…」
「…お姉さんは、自分の魅力に気付いていないだけです…」
「…私の魅力?…」
「…お姉さんの周りには、いつもひとが集まります…どうして、集まるのか、自分で、よく考えてみることです…」
葉問が言う…
それだけ、言うと、
「…では、今日は、これで、失礼します…」
と、葉問が言った…
すると、葉問の表情が一変した…
これまでのどこか、毒気のある表情が、一変して、真面目な顔になった…
葉尊に戻ったのだ…
「…葉尊…オマエか…」
「…ハイ…そうです…お姉さん…なにか、あったのですか?…」
「…なんでもない…なんでもないさ…」
私は、言った…
葉問が、今、言ったことを葉尊に言っても、仕方がないからだ…
「…でも、お姉さん…」
「…私が、なんでもないといったら、なんでもないのさ…」
私は、力強く言った…
すると、
「…ハイ…」
と、葉尊が黙った…
私は、満足だった…
葉尊が、それ以上、追及しないのもそうだが、葉問に会えたのも嬉しかったからだ…
…葉問か…
…一体、なんで、現れたのだろ?…
それを考えると、私の大きな胸が、期待と不安に揺れた…
まさに、さざ波のごとく、揺れた…
私の胸の中の期待と不安の表れだった…
私が、考え込んでいると、葉尊が言った…
だから、私は、
「…リンダのことさ…」
と、答えた…
それから、
「…いや…リンダは、以前、自分がアラブの王族に、口説かれて、アラブに連れて行かれるかもしれないと、怯えていたのに、昼間、この家に来たときは、そんな様子は、全然なかった…」
「…お姉さん…なにが、言いたいんですか?…」
「…つまり、前回、私と会ったときと、今日、昼間、会ったときの間に、リンダは、アラブの王族の狙いが、自分じゃないと、気付いたと、思ったのさ…」
「…」
「…お姉さん…なにが、言いたいのですか?…」
「…いや、その情報を、リンダが、どこから、得たのか、気になってな…」
私は、言った…
言いながら、ジッと、目の前の夫の葉尊を見つめた…
「…お姉さんは、その情報が、もしかしたら、ボクから得たと?…」
「…まさか、そんなことは、言ってないさ…」
私は、言った…
「…ただ…」
「…ただ、なんですか?…」
「…リンダの情報網は、凄いと、思ってな…」
「…情報網…」
「…リンダ・ヘイワースのファンの情報網さ…一般人のじゃない…セレブのファン専用のネットワークさ…その中には、イギリス王室のウイリアム王子もいるらしい…」
「…」
「…それを、知りたいから、今日は、葉尊の代わりに、やって来たんじゃないか? 葉問…」
私は、言った…
目の前の葉尊の表情が、固まった…
明らかに、固まった、緊張した顔になった…
「…い…いったい、なにを、根拠に、そのような…」
「…リンダさ…」
「…リンダ?…」
「…アイツが、言ったんだ?…」
「…なにを、言ったんですか?…」
「…アラブの王族の接待…なにが、目的かは、わからないが、クールというか、台北筆頭というか、こちらは、葉尊、葉問、リンダ、バニラと、一丸となって、戦うと宣言したんだ…」
「…」
「…それで、葉問…オマエを思い出してな…」
私が、言っても、目の前の葉問に、変化はなかった…
むしろ、今さっき、葉問と、私が、目の前の葉尊を、葉問と、見破ったときの方が、動揺していた…
「…どうして、それで、お姉さんは、ボクが、葉問だと思うんですか?…」
「…オマエが、今、リンダを守ると、言ったからさ…」
「…それが、なにか?…」
「…葉尊なら、そんなに力を込めて、リンダを守るなんて、言わないさ…」
「…だったら、葉尊なら、どう言うんですか?…」
「…ただ、驚くさ…」
「…驚く?」
「…そして、守ると言うさ…でも、そんなに、大げさには、言わない…オマエは、葉尊になりすましたつもりかもしれないが、葉尊は、真面目だが、バカではないゾ…」
私の言葉に、葉問は、考え込んだ…
それから、急に、楽しそうに、笑った…
すると、それまでと、表情が、一変した…
同じ顔で、あるにも、かかわらず、雰囲気が一変したのだ…
別人になった…
「…まったく、お姉さんには、叶わない…」
葉問が、笑った…
「…子供っぽく、抜けているかと思えば、突然、鋭いことを、言う…まったく、一人の人間の中に、二人の人間がいるようだ…」
「…それは、葉問、オマエだろう…」
私は、言った…
すると、葉問は、またも、照れ臭そうに、笑った…
「…たしかに、お姉さんの言う通りです…」
私は、目の前の葉問を見ていて、まるで、手品を見るようだと、思った…
突然、目の前で、同じ人間が、入れ替わったのだ…
別人になったのだ…
顔もカラダも、服も同じ…
それが、葉尊から、葉問に入れ替わることで、まったくの別人になったのだ…
別人になることで、雰囲気が一変した…
それを、間近に見て、つくづく、人間は、外見だけではないと、思った…
顔もカラダも服も、まったく同じなのに、別人なのだ…
真面目で、おとなしめの葉尊から、どこか、不良っぽく、やんちゃな雰囲気を持つ、葉問に変わった…
すると、まったく変わるのだ…
文字通り、目の前で、優れた手品を見るようなものだった…
マジシャン=手品師が、種明かしをして見せても、わからない…
そんな優れた手品を、目の前で、見せられたようなものだった…
「…それと、もう一つ…」
「…なんですか?…」
「…リンダの目的さ…」
「…リンダの?…」
「…リンダは、おそらく、わざと、私の前で、葉問…オマエの名前を出したに違いないさ…」
「…わざと? …どうして、ですか?…」
「…きっと、オマエを呼び出したかったのだろう…」
「…ボクを?…」
「…魔法使いではないが、リンダの言葉で、葉問…オマエがここに現れた…葉尊が、葉問…オマエと入れ替わることで、葉尊には、できないことが、オマエには、できる…」
「…」
「…リンダは、そのスイッチを入れたのさ…」
「…」
私は、言った後、ジッと、葉問を見つめた…
ただ、ジッと見た…
葉問が、どういう態度を取るか、知りたかったからだ…
「…まったく、お姉さんには、叶わない…」
葉問が、笑いながら、さっきと同じ言葉を発した…
「…まったく、お姉さんには、驚かされる…ときどき、こちらが、想定していないことをする…」
「…」
「…だから、まったく、予想できない…」
言いながら、いつのまにか、葉問の顔が真剣になった…
「…だったら、お姉さん…リンダの目的は、なんだと言うんですか? …ボクを呼び出した目的は、なんだと言うんですか?…」
「…それは、私にも、わからんさ…ただ…」
「…ただ、なんですか?…」
「…オマエが必要なんだろう…」
「…ボクが、必要?…」
「…そうさ…」
「…だったら、どんな必要があるのですか?…」
「…それは、わからんさ…でも、リンダには、リンダの目的があるのかもしれん…」
「…目的…どんな?…」
「…例えば、葉敬からの独立?…」
私が、言うと、
「…エッ?…」
と、目の前の葉問が、絶句した…
「…考えられないことじゃないだろ?…」
「…どうして、そう思うんですか?…」
「…リンダが、葉敬からの独立を考えた場合、もっとも、必要になるのは、援助者さ…」
「…援助者?…」
「…葉敬の庇護から外れるということは、別の誰かの庇護を受けるということ…例えば、それが、アラブの王族さ…」
「…」
「…だから、別の見方をすれば、リンダが、安心したのは、アラブの王族が、リンダのスポンサーになってくれると、約束したからかもしれないさ…」
私が、言うと、葉問が、
「…」
と、黙った…
それから、少しして、
「…その可能性も否定できない…」
と、言った…
「…だろ?…」
「…ですが、それならば、どうして、ボクが…葉問が、必要となるんですか?…」
「…」
「…ボクを呼び出す以上、ボクにしか、できないことがあるはずです…」
「…」
「…葉尊ではなく、ボクにしか、できないことがあるはずです…」
葉問が、穏やかに告げる…
…たしかに、その通り…
…その通りだった…
…それを忘れていた…
たしかに、リンダがアラブの王族を使って、葉敬からの独立を画策している可能性は、あるが、それならば、なぜ、葉問を必要とするか、その説明には、ならない…
「…お父さんを説得するためじゃないか?…」
私は、とっさに、思った…
「…葉尊は、おとなしいから、葉敬には、逆らえない…だから、葉問、オマエを呼び出した…」
「…それは、ありません…」
「…どうしてだ?…」
「…ボクが葉敬と仲が悪いからです…」
…そうだ…
…それを忘れていた…
「…葉敬は、ボクの…葉問の存在を、認めていない…」
…その通りだった…
葉問は、葉尊が、作り出した、もう一つの人格…
本物の葉問は、事故で死んだ…
だから、葉尊が作り出した葉問は、本物ではない…
本物の葉問ではない…
だから、葉敬が、葉問を認めないのは、当たり前…
当たり前のことだった…
葉問を認めるということは、葉尊の存在を否定することに、他ならない…
いや、
否定するということは、大げさかも、知れないが、認めることはできないだろう…
なにしろ、本物の葉問は、死んでいる…
今、私の目の前にいる、葉問は、葉尊が、作り出した別人格…
本物ではない…
本物の葉問ではないからだ…
私は、それを思い出した…
「…葉問…」
私は、言った…
「…オマエは、そんなに命が惜しいか?…」
私は、言った…
直球だった…
「…命が惜しい? …どういうことですか?…」
「…オマエの存在さ…葉問…」
「…どういう意味ですか?…」
「…葉問…オマエには、実体がない…」
「…」
「…葉問…オマエは、葉尊に憑依した、幽霊のようなものさ…」
「…」
「…だから、葉尊に憑依できなければ、消滅する…オマエは、それが、わかっている…だから、怖いのだろう…」
私の言葉に、
「…」
と、葉問は、無言だった…
考え込んでいた…
それから、しばらく考え込んでから、
「…たしかに、それもあるかもしれない…」
そう言って、笑った…
笑ったのだ…
が、
その笑いは、実に魅力的だった…
夫の葉尊には、悪いが、悪の魅力といえば、大げさだが、葉問が笑うと、なにか、陰の魅力がある…
どこか、後ろ暗い、魅力がある…
そして、女は、それに惚れるのだ…
なにか、過去を引きずるような、ある種、胡散臭い魅力がある…
真面目を絵に描いたような葉尊には、ない魅力…
葉尊と結婚すれば、安定した生活を得ることができる…
が、
つまらない…
危険がないからだ…
トキメキがないからだ…
一方、葉問と結婚すれば、スリリング極まりない生活を送るかもしれない…
誰かを、追ったり、誰かに、追われたり、まるで、映画のようなスリリングな毎日を過ごせるかもしれない…
そして、そんな毎日は危険過ぎて、困ると言いながら、どこかで、憧れる…
そんな女は、まるで、夢見る少女…
が、
どんな女も、そんな夢見る少女の一面は、持っているものだ…
それが、葉問に会うことで、一気に開花するというか…
惹かれるというか…
そんな少女の一面が出る…
顕在化する…
いわば、怖いもの見たさ…
コイツは悪い男だと、自分自身に言い聞かせながらも、葉問に惹かれる…
惹かれ続ける…
こんな男と、人生を送れば、自分の人生が、どうにか、なってしまうかもしれない…
一方で、そう思いながらも、惹かれ続ける…
はっきり、いえば、悪の魅力に他ならない…
しかも、葉問は、知的だ…
ただのケンカ自慢の、頭の悪い男には、惹かれないが、知的で、陰のある葉問には、大げさにいえば、知的な女も憧れる…
昔、見た、映画俳優の市川雷蔵が、そうだ…
雷蔵の代表作の一つが、眠狂四郎だが、雷蔵の主演作を期間限定で、映画館で、上映すると、見るからに、高学歴の女性が、大勢集まったそうだ…
雷蔵には、どこか、高学歴な女性が惹かれるものがあるのだろう…
知的で、陰がある…
それが、市川雷蔵の魅力だった…
その雷蔵と、葉問は、同じ…
似ていた…
私が、そんなことを、考えていると、
「…お姉さん…なにを考えているんですか?…」
と、葉問が聞いた…
「…オマエのことさ…葉問…」
「…ボクのこと?…」
「…一体、どんな女が、オマエに憧れると思ってな…」
「…」
「…案外、リンダも、オマエを呼び寄せて、二人きりで、人生を送りたいのかもしれないな…」
私が、言うと、葉問が、笑った…
文字通り、笑ったのだ…
「…お姉さん…それはないです…」
葉問が、含み笑いを浮かべなら、答えた…
それから、
「…しかし、お姉さんは、面白い…」
と、笑った…
「…リンダの目的について、アレコレ語って、ボクを驚嘆させるかと思えば、一転して、リンダが、ボクを好きなんじゃないかというような、間の抜けた質問をする…」
「…間の抜けた質問だと?…」
「…そうです…リンダ…リンダ・ヘイワースは、大げさにいえば、地獄を見た女です…」
「…地獄?…」
「…つまり、辛酸を舐め尽くして、現在の地位を得たと言いたいわけです…そんなリンダが、ボクに憧れるわけがない…」
「…」
「…リンダが、憧れるのは、お姉さん、アナタです…」
「…私?…」
「…そうです…純真無垢で、裏表がなく、誰からも好かれる…お姉さんは、まるで天使です…」
「…天使? …私が?…」
私は、驚いたというより、呆気に取られた…
葉問は、切れ者だと信じていたが、実は、ただのバカだったのかもしれん…
私は、遅まきながら、その事実に気付いた…
「…むろん…天使というのは、外観ではありません…中身…魂のことです…」
「…魂だと?…」
「…お姉さんには、誰もが、癒されるのです…まるで、冬に焚火を囲むように、お姉さんを前にすると、ホッとする…リンダもバニラも、仕事が休みのときには、いつもお姉さんと、いっしょにいる…それは、二人の魂が、お姉さんといると、安らぐからです…」
…コイツ…
…葉問…
やはり、バカだったのか?
私は、思った…
真面目な顔をして、私の魂が天使だとか、なんとか、わけのわからないことを言う…
まさに、バカ…
バカ認定だった…
だから、私は、
「…オマエは、バカか?…」
と、言ってやった…
普通は誰も面と向かって言えないが、さすがに頭に来たからだ…
「…私の魂が、天使だ、なんだと、わけのわからないことを言って…」
私が、怒ると、
「…さすがに、天使は、大げさ過ぎました…」
と、笑った…
「…ですが、間違ってはいません…」
「…なんだと?…」
「…お姉さん?…」
「…なんだ?…」
「…お姉さんは、自分の魅力に気付いていないだけです…」
「…私の魅力?…」
「…お姉さんの周りには、いつもひとが集まります…どうして、集まるのか、自分で、よく考えてみることです…」
葉問が言う…
それだけ、言うと、
「…では、今日は、これで、失礼します…」
と、葉問が言った…
すると、葉問の表情が一変した…
これまでのどこか、毒気のある表情が、一変して、真面目な顔になった…
葉尊に戻ったのだ…
「…葉尊…オマエか…」
「…ハイ…そうです…お姉さん…なにか、あったのですか?…」
「…なんでもない…なんでもないさ…」
私は、言った…
葉問が、今、言ったことを葉尊に言っても、仕方がないからだ…
「…でも、お姉さん…」
「…私が、なんでもないといったら、なんでもないのさ…」
私は、力強く言った…
すると、
「…ハイ…」
と、葉尊が黙った…
私は、満足だった…
葉尊が、それ以上、追及しないのもそうだが、葉問に会えたのも嬉しかったからだ…
…葉問か…
…一体、なんで、現れたのだろ?…
それを考えると、私の大きな胸が、期待と不安に揺れた…
まさに、さざ波のごとく、揺れた…
私の胸の中の期待と不安の表れだった…