第62話

文字数 4,596文字

 …お嬢様?…

 …矢口のお嬢様?…

 たしかに、お嬢様だ…

 夢でも、幻でも、なんでもない…

 なにしろ、私そっくりなのだ…

 この矢田トモコ、そっくりなのだ…

 見間違えるわけは、なかった…

 なかったのだ…

 同時に、背中に、冷や汗が流れた…

 嫌な予感がしたのだ…

 思えば、このお嬢様と、出会って、ろくなことがなかった…

 お嬢様の身代わりになって、他人に追われたり…

 逃亡者のような真似をしたこともあった(涙)…

 いわば、疫病神…

 この矢田トモコに、とって、疫病神のような存在だった…

 が、

 そのお嬢様を見て、あろうことか、マリアが、

 「…あ? …矢田ちゃんだ?…」

 と、声をかけた…

 当たり前だった…

 なにしろ、お嬢様は、私そっくり…

 私、矢田トモコ、そっくりなのだから…

 が、

 マリアの指摘に、

 「…アタシは、矢田ではない…矢口だ…」

 と、壇上のお嬢様は、答えた…

 「…矢口?…」

 と、マリア…

 「…そうだ…矢口トモコだ…矢田トモコではない…」

 「…矢田ちゃんじゃない? …たしかに、雰囲気が、違う…」

 マリアが、言った…

 「…矢田ちゃんのように、軽くない…」

 …私のように、軽くないだと?…

 …許せん!…

 …許せんゾ、マリア!…

 いかに、子供とはいえ、言っていいことと、悪いことがある…

 私は、思った…

 思ったのだ…

 すると、隣で、ヤンが、

 「…鋭い!…」

 と、感嘆の声を上げた…

 「…なんだと?…」

 「…お姉さんと、あの矢口のお嬢様の違いを、一目で見抜いた…」

 「…なに?…」

 「…きっと、マリア…将来、出世するわ…」

 私の隣で、ヤンが、感嘆の声を上げた…

 その声を聞いて、私は、不満だった…

 実に、不満だった…

 なぜかといえば、全然、私を褒めてないからだ…

 マリアだけを褒めているからだ…

 それが、強烈な不満だった…

 不満だったのだ…

 だから、

 「…たいしたことないさ…」

 と、私は、言った…

 「…誰でも、できることさ…」

 「…いいえ、そんなことない…」

 と、ヤンが、反論した…

 「…どうして、そんなことがないんだ?…」

 「…だって、マリアは、まだ3歳よ…3歳で、お姉さんと、あのお嬢様との違いを、一目で見抜いたのよ…」

 そう言われると、言葉もなかった…

 たしかに、マリアは、凄いと思う…

 が、

 それを素直に祝福することはできんかった…

 できんかったのだ…

 なぜかと、いえば、私とお嬢様の違いを、

 …軽さ…

 と、断言したからだ…

 見抜いたからだ…

 私自身、それが、痛いほど、わかっている…

 それが、わかっているからこそ、認めるわけには、いかんかった…

 たとえ、3歳の幼児とは、いえどもだ…

 大人げないといえば、大人げないが、これが、矢田トモコだった…

 私、矢田トモコだったのだ…

 「…所詮、子供の言った言葉さ…たいしたことないさ…」

 私は、言った…

 「…たまたま、言ったことが、的を得ただけさ…」

 私は、続けた…

 「…いわば、まぐれ当たりさ…」

 私が、断言すると、

 「…なに、お姉さん、マリアに対抗心を抱いているの?…」

 と、ヤンが、聞いた…

 「…対抗心だと? どういう意味だ?…」

 「…だって、マリアのことを、さんざん、悪く言っているから…」

 「…悪くだと? …冗談じゃないさ…私は、他人様の悪口を言う女じゃないさ…」

 私は、怒った…

 怒ったのだ…

 「…ヤン…オマエ、いい加減にしろ…そんな女の腐ったようなことを、言うんじゃないさ…女だと思われるゾ…」

 私が、言うと、隣で、ファラドが、

 「…お姉さんの言う通りです…」

 と、私に相槌を打った…

 「…他人様の悪口は、いけません…」

 …なんだと?…

 …コイツ、どうして、私の肩を持つ?…

 意外だった…

 なにしろ、他人様の悪口を言っているのは、私だった…

 この矢田トモコだったのだ…

 が、

 それが、わかっているくせに、どうして、私の肩を持つ…

 このファラドの狙いは、一体?

 私が、そんなことを、考えていると、ファラドが、

 「…男が悪口を言うのは、女の腐ったヤツと同じだと、この日本では、言うそうですね…」

 と、言った…

 それから、

 「…ボクもそう思います…アナタも、そう思うでしょ?…」

 と、ファラドが、ヤンに向かって、聞いた…

 おそらく、わざと聞いた…

 つまり、ファラドは、ヤンの正体を見切っている…

 男装したヤンの正体が、リンダ・ヘイワースであることに、気付いている…

 そう言いたいに違いなかった…

 …なるほど、そういうことか?…

 私は、思った…

 わざと、ファラドは、リンダに、オマエの正体は、当にお見通しだと、言いたいわけだ…

 私は、思った…

 と、なると、気になるのは、リンダの反応だ…

 リンダ=ヤンの反応だ…

 一体、どう答える?

 一体、どう反応する?

 私は、興味津々だった…

 が、

 リンダ=ヤンの反応はというと、

 「…ホント…その通り…」

 という至極、平凡なものだった…

 当たり障りのないものと、いってもいい…

 「…私もそう思います…」

 と、言って、ヤン=リンダは、ニッコリと、ファラドに微笑んだ…

 ファラドの顔が、一瞬、こわばった…

 明らかに、こわばった…

 おそらく、リンダの反応が、予想外だったのだろう…

 リンダ=ヤンの反応が、予想外だったのだろう…

 私は、思った…

 と、

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…矢田…どこを見ている?…」

 という声がした…

 私は、驚いた…

 まさか、いきなり、ここで、私の名前が出るとは、思わなかったからだ…

 一体、誰が、私の名前を呼んだのか、キョロキョロと、周囲を見回した…

 すると、

 「…矢田…どこを見ている?…」

 と、再び声が続いた…

 「…ここだ…壇上だ…」

 声が言った…

 やはりというか…

 声の主は、矢口のお嬢様だった…

 すると、周囲が、ざわめいた…

 「…似ている…」

 「…そっくり…」

 という声が、聞こえてきたのだ…

 当たり前だ…

 何度も言うように、私、矢田トモコと、壇上の矢口のお嬢様は、外見がそっくり…

 瓜二つといっていい…

 よーく見れば、私の方が、お嬢様より、1㎝背が高く、私の方が、お嬢様より、胸も大きいが、それは、二人が、並んで見なければ、わからない…

 二人が、並んで、見比べて見なければ、わからない…

 つまり、それほど、似ている…

 違いが、少ないということだ…

 私が、そんなことを、考えていると、壇上のお嬢様が、突然、

 「…似ているのは、当然です…アタシと矢田は、親戚です…」

 と、言った…

 …し、親戚?…

 …一体、いつから、親戚になったんだ?…

 私は、驚いた…

 驚いたのだ…

 「…といっても、遠い親戚です…アタシも最近、初めて知りました…」

 お嬢様が、言った…

 …なに?…

 …ホントか?…

 私は、驚いた…

 驚いたのだ…

 すると、周囲も、ざわつき出した…

 「…申し遅れましたが、アタシは、スーパージャパンの社長をしている、矢口トモコと言います…そして、あそこにいるのは、日本の総合電機メーカー、クールの社長夫人、矢田トモコです…」

 矢口のお嬢様が、言うと、一瞬、会場が、静かになった…

 ビックリするほど、静かになった…

 この会場にいる全員が、矢口のお嬢様の告白に、驚いたのだ…

 ビックリしたのだ…

 それから、すぐに、ザワザワと、騒ぎ出した…

 「…やっぱり…お金持ちは、お金持ちとつながっているのね…」

 とか、

 単純に、

 「…凄い…」

 とか、

 「…羨ましい…」

 という声が、あちこちから、聞こえてきた…

 そして、周囲の人間が、すべて、私と、矢口のお嬢様を代わる代わる見た…

 見たのだ…

 私は、文字通り、恥ずかしくって、仕方がなかった…

 まるで、見世物になった気分だった…

 私は、生まれつき、お金持ちでもなんでもない…

 実に、平凡な家庭に育った…

 だから、自分が、お金持ちと見られるのが、嫌だった…

 恥ずかしくて、仕方がなかった…

 私にとって、お金持ちとは、私ではない…

 もっと、生まれつき、豪邸に住み、フェラーリやロールスロイスを持っている人間だ…

 が、

 私は、そんな人間は、これまで、会ったことが、なかった…

 たまたま、葉尊と結婚して、お金持ちの仲間入りをした…

 が、

 私は、葉尊以外のお金持ちを知らない…

 リンダやバニラといった、世界的な著名人とも知り合って、仲良くなったが、やはりというか、リンダや、バニラの仕事仲間である、著名人は、誰一人知らないし、紹介されたこともなかった…

 だから、私は、ひとり…

 一人ぼっちだった…

 一見すると、金持ちの御曹司と結婚して、世界的な有名人と仲良くしているから、私まで凄いと思われているかもしれないが、そんなことは、まるでなかった…

 私は、なにも、変わらなかった…

 ビックリするほど、なにも変わらなかった…

 いつも、矢田ちゃんだった…

 結婚前も結婚後も矢田ちゃんだった…

 つまり、まるで、偉くもなんともないのに、偉くなったような扱いを受けるのが、嫌だった…

 恥ずかしかった…

 だから、私は、顔を真っ赤にして、下を見た…

 俯いたまま、床を見た…

 恥ずかしくって、顔を上げられなかったからだ…

 それを見て、

 「…もっと、堂々とすればいい…」

 という声がした…

 私は、顔を上げて、その声の主を見た…

 ファラドだった…

 「…堂々とすればいいだと?…」

 「…そうです…お姉さんは、お姉さんです…他人が、なにを言おうと気にすることはない…そんなものは、ただの雑音です…」

 「…雑音?…」

 「…周囲の人間が、自分をどう見ているかと、自分が、自分をどう見ているかと、一致する人間は、少ないです…」

 「…」

 「…そして、自分の実力を、過大評価していれば、周囲から笑われるが、アナタは、そうじゃない…」

 「…」

 「…ひとから、好かれる原因です…」

 ファラドが言って、私に、ニヤリと、笑った…

 笑ったのだ…

 この男…

 ファラドという男…

 ひとを見る目がある…

 この矢田トモコの美点がわかっている…

 だから、見る目がある…

 私は、思った…

 思ったのだ…

 ファラド本人は、否定するが、もしかしたら、ゲイかもしれない…

 イスラムでは、ゲイは、死刑だから、それを隠しているだけかもしれない…

 なにしろ、この巨乳の私に目もくれないのだ…

 生来、女に興味がないのかもしれん…

 だから、私が、最初に、ファラドに対して下した評価は、低かったが、少々修正しなくては、ならんのかもしれん…

 私は、思った…

 思ったのだ…

 が、

 私が、そんなことを、考えていると、壇上の矢口のお嬢様が、いきなり、

 「…これから、父兄の皆さんも含めて、ダンス大会を行います…景品は、わが、スーパージャパンの扱う、お菓子です…」

 と、告げた…

 すると、いきなり、扉が開いて、カートに山ほど、積まれた、お菓子が現れた…

 お菓子が積んだカートを引いているのは、スーパージャパンの社員に違いなかった…

 それを見た、子供たちの間から、歓喜の声が上がった…

 子供だから、

 「…キャー…」

 とか、

 「…ワー…」

 とか、単純なものだ…

 が、

 それを見て、満足げに、ニヤリと、お嬢様が、笑っていた…

 矢口のお嬢様の抜け目のなさを知っている私にすれば、それは、まさしく悪魔の笑いだった(笑)…

               

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