第141話

文字数 4,356文字

 「…私が、台北筆頭を救った?…」

 私は、驚いた…

 一体、私が、なにを、したと、言うんだ?

 意味が、わからんかった…

 だから、

 「…どういう意味だ?…」

 と、私は、舌鋒鋭く、オスマンに聞いた…

 が、

 答えたのは、オスマンでなく、リンダだった…

 「…今日、さっき、お姉さん…葉敬と、会ったでしょ? …それが、答えよ…」

 「…お義父さんと、会ったことが、答えだと? …どういう意味だ?…」

 「…忙しい葉敬が、わざわざ、台湾から、日本にやって来るわけないでしょ?…」

 「…」

 「…当然、やって来た理由がある…」

 「…理由、なんだ、それは?…」

 「…ファラドを間近に見ること…」

 「…なんだと?…」

 「…ファラド…オスマン…今回、台北筆頭を買収しようとした人間たちの能力を見定めること…」

 「…なんだと?…」

 そんなバカな…

 そんなバカなことが…

 いや、

 そのために、わざわざ、お義父さんが、台湾から、やって来たとは、思わんかった…

 思わんかったのだ…

 私は、リンダが、思いもしないことを、言ったので、文字通り、動揺した…

 が、

 オスマンは、もっと、動揺したに、違いなかった…

 だから、オスマンが、どんな表情をしているのか、知りたかった…

 が、

 わからんかった…

 私の目の前に、葉問が、立ち塞がっていたからだ…

 葉問が、私を守ってくれるのは、嬉しかったが、オスマンの表情が、わからんかったのは、嫌だった…

 オスマンが、どんな表情をしているのか、見たかったからだ…

 だから、

 「…葉問…オマエ、少しばかり、横に、動け…これでは、オスマンの顔が見えん…」

 と、私は、葉問に、文句を言った…

 すると、葉問が、

 「…ダメです…」

 と、私の頼みを、拒否した…

 「…なんだと?…」

 私は、頭に来た…

 「…葉問…一体、私を誰だと、思ってるんだ? …私は、オマエの、義理の姉だゾ…」

 「…それでも、ダメです…」

 葉問が、またも、拒否した…

 「…あの男は、なにを、しでかすか、わかりません…」

 葉問が、私を守る理由を、答えた…

 すると、

 「…フッフッフッ…」

 と、いう声が、聞こえ、それから、

 「…ハッハッハッ…」

 と、大きな笑い声に代わった…

 オスマンの声だった…

 「…まったく、このお姉さんには、勝てない…今、自分が、どんな状況に、置かれているのか、全然、わかってない…」

 オスマンが、実に、楽しそうに、笑う…

 「…この男が、必死になって、自分を守っているにも、かかわらず…まったく、自分の立場が、わかってない…」

 オスマンが、続けた…

 「…抜けているというか…なんというか…だが、どうしても、このお姉さんを、憎めない…このお姉さんを、傷つけることができない…」

 「…なんだと?…」

 私は、言った…

 なにより、このオスマンが、今、私を褒めたのか、けなしたのか、よくわからんかった…

 よくわからんかったのだ…

 「…ホント、得な性格だ…誰からも、愛される…稀有な存在だ…」

 オスマンが、笑いながら、続ける…

 「…まったく、アンタには、勝てない…いや、それは、オレだけじゃない…兄貴も、いや、兄貴だけじゃない…この世界の誰もアンタには、勝てない…心の底から、憎むことが、できない…」

 「…なんだと?…」

 私は、頭に来た…

 どう聞いていても、私を賛美する表現には、思えんかったからだ…

 だから、

 「…そこをどけ! 葉問!…」

 と、私は、大声を出した…

 「…私が今、オスマンをぶん殴ってやるさ…天罰をくれてやるさ…」

 「…どきません…」

 葉問が、答えた…

 「…なんだと?…」

 私は、頭に来た…

 この葉問が、またも、私の命令を拒否したからだ…

 「…葉問…オマエも、私の頼みを拒否するとは…偉くなったものだな…」

 私は、皮肉を言った…

 言わずには、いられんかった…

 だが、

 どうしていいか、わからんかった…

 ホントは、葉問を、ぶん殴りたいところだが、それは、できん…

 できんかったのだ…

 なにしろ、葉問は、私を守ってくれているのだ…

 だから、どうして、いいか、わからんかった…

 私が、そう思って、悩んでいると、

 「…パーン…」

 と、誰かを叩く音がした…

 私は、急いで、その音のする方向を見た…

 な、なんと、

 マリアがファラドの頬を叩いていたのだ…

 「…遅い!…」

 マリアが、怒鳴った…

 「…アンタ…出て来るのが、遅い…遅すぎ…」

 マリアが、激怒する…

 私は、慌てて、マリアにぶたれたオスマン? ファラド? が、どんな表情をしているのか、見た…

 このマリアとオスマン? の姿は、私の位置からも、見えたからだ…

 要するに、葉問の大きなカラダに遮られて、見えない場所では、なかったからだ…

 「…ゴメン…マリア?…」

 オスマン? が、素直に謝った…

 サウジの皇子が、マリアに頬をぶたれて、素直に、謝った…

 私は、驚いたが、一方で、簡単に、納得もした…

 つまりは、それほど、オスマン? は、マリアに、首ったけと、いうことだ…

 「…ゴメンじゃ、すまないの…」

 マリアが、怒った…

 私は、そのマリアの姿を、見た…

 この矢田そっくりだった…

 両腕を、組んで、足を広げ、威厳を保っていた…

 しかも、少しばかり、鼻の穴を広げて、だ…

 そして、それは、リンダも、気付いたらしい…

 「…あのマリアの姿…お姉さん、そっくり…」

 と、リンダが、呟いた…

 「…きっと、お姉さんを、真似たのね…マリアは、お姉さんが、大好きだから…」

 と、笑った…

 「…私が、大好き?…」

 「…マリアにとって、お姉さんは、憧れ…」

 「…憧れ?…」

 「…お姉さんは、誰からも好かれる…誰からも、愛される…それが、マリアは、子供ながら、わかっている…だから、お姉さんに憧れる…お姉さんのように、なりたいと、思っている…」

 「…私のように、なりたい?…」

 「…演技や見せかけで、親切なひとを、演じたり、いいひとを、演じるのは、誰にでも、できる…でも、それは、大抵が、付き合えば、メッキが剥がれると言うか…実際の性格は、そうではないことが、バレる…」

 「…バレる?…」

 「…そう…バレる…でも、お姉さんは、違う…」

 「…違う? …どう、違うんだ?…」

 「…演じてない…素のまま…」

 「…素のまま?…」

 「…誰にも、気を遣わず、自分の思う通りに、生きる…でも、誰からも、愛される…誰からも、好かれる…」

 「…」

 「…そんな人間は、お姉さんだけ…だから、マリアもお姉さんに憧れる…」

 リンダが、しんみりと、言った…

 が、

 私は、信じんかった…

 この矢田トモコは、信じんかったのだ…

 なにしろ、リンダだ…

 リンダ・ヘイワースだ…

 ハリウッドのセックス・シンボルだ…

 抜群の美貌の持ち主だ…

 その抜群の美貌の持ち主が、この平凡な矢田トモコをいくら、持ち上げても、響くものが、なかった…

 絶世の美女が、いかに、私を持ち上げても、所詮は、上から目線…

 美貌では、勝っていると、言いたいに、決まっているからだ…

 だから、私は、信じんかった…

 信じんかったのだ…

 当たり前のことだ…

 なにより、そんな上っ面ばかりの言葉に騙される矢田トモコでは、なかった…

 この矢田トモコ、35歳…

 そんな言葉に、騙される矢田トモコでは、なかったのだ…

 だから、

 「…リンダ…」

 と、私は、言った…

 「…なに? …お姉さん?…」

 「…オマエ…自分が、少しばかり、私より、美人だからって、調子に乗ってるんじゃ、ないゾ…」

 「…私が、お姉さんより、少しばかり、美人って?…」

 リンダが、動揺した…

 明らかに、動揺した…

 「…そうさ…あくまで、少しばかりさ…オマエが、そんなパンツが見えそうは服を着て、オッパイが、見えそうな格好をしているから、美人に見えるのさ…」

 「…そんな…」

 「…そんなも、こんなも、ないさ…私も、オマエのように、背が高くて、もう少し、美人に生まれれば、オマエに勝てるさ…」

 私は、断言した…

 鼻の穴を広げて、断言した…

 すると、どうだ?

 リンダは、

 「…」

 と、なにも、言わんかった…

 きっと、リンダも、そう、思ったに違いなかった…

 だから、

 「…リンダ…オマエも、そのルックスだ…調子に乗るのは、わかる…だが、調子に乗り過ぎては、いかんゾ…」

 と、私が、念を押した…

 「…人間、調子に乗り過ぎると、ろくなことはない…だが、オマエは、運がいい…今、オマエの元には、この私が、いる…この矢田トモコが、いる…だから、いい…」

 「…どう、いいの?…」

 「…調子に乗ったオマエを注意してやる…そんな損な役回りをする人間が、他にいるか? …注意をすれば、大抵は、嫌われる…煙たがれる…が、それを、承知で、私は、オマエを、注意してやるんだ…感謝しろ…」

 私は、言った…

 心の底から、言った…

 自分でも、いいことを、言ったと、思った…

 が、

 リンダの反応は、なかった…

 なかったのだ…

 これほど、私が、リンダのためを、思って言ってやってるのに、なにもなかったのだ…

 だから、私は、情けないやら、恥ずかしいやら…

 きっと、情けをかける人間を間違えたのかも、しれんかった…

 リンダに情けをかけても、仕方がないのかも、しれんかった…

 だから、私は、ひとを見る目がない…

 今さらながら、思った…

 リンダ・ヘイワース…

 ハリウッドのセックス・シンボルだ、なんだと、言われているが、所詮は、顔とカラダだけの女だ…

 そう、思った…

 顔とカラダだけの女…

 つまり、頭は、ない…

 頭の中身がない、と、いうことだ…

 私は、今さらながら、そう思った…

 そのときだった…

 オスマンが、

 「…ちょっと、聞くが、今、オレは、どうすれば、いいんだ?…」

 と、言った…

 「…このお姉さんが、いきなり、横から、口を出して、わけのわからんことを、言い出して、すっかり、オレの出番が、なくなっちまった…」

 オスマンが、嘆いた…

 「…オレは、一体、どうすれば?…」

 「…そうね…だったら、お兄さんを助けてあげれば?…」

 リンダが、口を出した…

 「…マリアにぶたれて、どうしていいか、わからないみたいだから…」

 リンダが、言う…

 私は、リンダの言葉で、マリアを見た…

 たしかに、リンダの言う通りだった…

 腕を組んで、鼻息を荒くしたマリアがいて、その前で、オスマン? いや、ファラド? が、うなだれている…

 ありえん光景が、そこにあった…

 ありえん光景が、そこにあったのだ…

 マリア・ルインスキー、3歳…

 ファラド? 皇子、30歳…

 だが、30歳が、3歳にぶたれ、うなだれている…

 そんな、ありえん現実が、この矢田トモコの眼下で、繰り広げられていた…

               
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