第38話

文字数 6,187文字

 「…ファラド…」

 私が、その写真に写った人物の名前を叫ぼうとしたところ、

 「…イケメンだな…」

 と、矢口のお嬢様が、腕を組んで言った…

 …なんだと?…

 私は、驚いた…

 この矢口のお嬢様は、私そっくり…

 六頭身の幼児体型で、顔も、ほぼ同じ…

 そんなお嬢様が、この写真のイケメンといっしょになっても、似合わないこと、この上ない…

 爆笑ものだ(笑)…

 このお嬢様は、本当に、自分がわかっているのか?

 ふと、思った…

 もしや、東大を出ているのも、ウソかもしれない…

 ふと、そんな考えが脳裏をよぎった…

 すると、私のそんな表情に、気付いたのか、

 「…矢田…」

 と、いきなり、矢口のお嬢様が、声をかけた…

 「…なんでしょうか?…」

 「…オマエ…もしや、アタシが、このファラドを好きだと、勘違いしたわけじゃあるまいな…」

 「…いえ…そのようなことは?…」

 「…アタシが、このファラドをイケメンだと言ったのは、単なる客観的な意見だ…別に、アタシが、イケメン好きでもなんでもない…矢田…アタシは、イケメン好きのオマエとは違うんだ…」

 矢口のお嬢様が、断言した…

 私は、頭に来た…

 どうして、このお嬢様は、私のことを、それほど、知りもしないくせに、この私をイケメン好きだと、断言するのか?

 それが、疑問だった…

 たしかに、私は、イケメン好きだ…

 しかし、

 しかし、だ…

 それを、こともあろうに、夫の葉尊のいる前で、暴露するのは、いかがなものか?

 頭に来た私は、

 「…そういうお嬢様こそ…」

 と、言ってやりたくなった…

 そして、そう言おうと、私が、口を開きかえると、

 「…プッ…」

 と、目の前で、リンダが、吹き出した…

 リンダが、目の前で、爆笑したのだ…

 なんだ?

 なにが、おかしい?

 私が、なにか、おかしなことをしたのか?

 気になった…

 だから、思わず、

 「…リンダ…なにが、おかしい?…」

 と、私が、言おうとすると、その前に、

 「…リンダさん…なにか、おかしいですか?…」

 と、矢口のお嬢様が、冷静に聞いた…

 リンダは、笑いを抑えながら、

 「…だって、二人とも、同じ顔をして、なんだか、いがみあって…漫才みたい…」

 と、言った…

 …漫才?…

 これは、衝撃的だった…

 実に、衝撃的だった…

 この矢田はいい…

 平凡な家庭の出身だ…

 が、

 このお嬢様は、スーパージャパンのご令嬢…

 金持ちだ…

 この矢田といっしょにされて、激怒するのではないか?

 私は、それを恐れた…

 だから、すぐに、矢口のお嬢様の顔を見た…

 どういう反応をするのか、知りたかったからだ…

 が、

 矢口のお嬢様は、

 「…それは、リンダさんの言う通りです…」

 と、冷静に言った…

 「…同じ顔が二人いる…しかも、他人…血の繋がりもなにもない…その二人が、どういうやり取りをするのか、私が、リンダさんでも、気になります…」

 矢口のお嬢様が、至極、冷静に言った…

 が、

 私は、その言葉を鵜呑みにしなかった…

 その言葉を額面通りに、受け取らなかった…

 なぜなら、以前、この社長室で、この矢口のお嬢様は、私のことを、

 「…葉尊社長…いい女を妻に娶(めと)りましたな…」

 と、褒めた…

 私は、そのとき、それをただのお世辞と受け取ったが、違うかもしれない…

 今、思えば、自分を褒めたいのかもしれなかった…

 ハッキリ言えば、自分そっくりの私を、妻に娶(めと)ったから、葉尊は、見る目があると、言いたいのかもしれなかった…

 もっと、言えば、長身で、イケメンの葉尊が、私を妻にしたから、葉尊は、見る目があると、言いたかったのかもしれない…

 つまりは、この矢口のお嬢様は、イケメン好き…

 もっと、ハッキリ言えば、自分も葉尊のような長身のイケメンと結婚したいのかも、しれなかった…

 私は、それに、気付いた…

 気付いたのだ…

 すると、今まであった、矢口のお嬢様に対するコンプレックスが、きれいになくなった…

 私は、勝ったと、思ったのだ…

 矢口のお嬢様に勝ったと、思ったのだ…

 矢口のお嬢様は独身…

 一方、この矢田は、葉尊という長身のイケメンを夫に持っている…

 つまり、私の勝ち…

 この矢田の勝ちだ…

 矢田は、矢口よりも優れている…

 矢田は、矢口にプラス(+)と、書く…

 だから、矢口よりも優れている…

 私が、考えたことは、間違ってなかった…

 今さらながら、それを思った…

 それが、表情に出たのだろう…

 「…どうした? …矢田?…」

 と、矢口のお嬢様が、不思議そうに、訊いた…

 だから、私は、

 「…別に…」

 と、答えたが、思わず、ニンマリと、笑いだしそうだった…

 矢口のお嬢様の弱点を見つけたのだ…

 「…おかしなヤツだな…」

 矢口のお嬢様は、言って、

 「…このファラドだが、リンダさんは、すでに何者か知っていますね…」

 と、いきなり、リンダに訊いた…

 リンダは、

 「…ハイ…」

 と、頷いた…

 …なんだと?…

 私は、驚いた…

 驚愕した…

 たしか、以前は、このリンダは、この写真の主のファラドは知らないと言っていた…

 このファラドは、リンダ・ヘイワースの熱狂的なファンだと公言していた…

 が、

 それは、ウソ…

 なぜ、それが、わかったかと言えば、リンダ・ヘイワースのファンは、世界中にいる…

 その中には、いわゆるセレブも多い…

 その筆頭が、イギリス王室のウイリアム王子だ…

 つまり、世界中に知られた、セレブたちの間で、リンダ・ヘイワースのファンのネットワークができている…

 要するに、情報網だ…

 そのリンダ・ヘイワースの情報網の中で、サウジアラビアのファラド王子が、リンダ・ヘイワースのファンだという噂が聞いたことがなかった…

 だから、リンダは、ファラド王子が、自分のファンだと公言したのを、ウソだと、思ったのだ…

 …だったら、一体、このファラドは、何者なんだ?…

 と、私は、言いたかった…

 すると、先に、

 「…乗っ取り屋ですね…」

 と、夫の葉尊が告げた…

 「…乗っ取り屋?…」

 思わず、声を上げた…

 すると、リンダが、

 「…狙いは、私じゃない…クール…あるいは、台北筆頭…」

 と、告げた…

 私は、驚いた…

 文字通り、驚愕した…

 「…それって、まさか、クールを乗っ取るつもりか? 台北筆頭を乗っ取るつもりか?…」

 私は、大声で、叫んだ…

 叫ばずには、いられなかった…

 葉尊が、黙って、頷いた…

 私は、それで、この社長室に入って来たとき、どうして、この部屋の雰囲気が、異様に、重苦しいのか、理解した…

 今になって、わかった…

 要するに、このクールが乗っ取られようとしているのだ…

 重苦しい雰囲気に決まっている…

 が、

 なぜ、クールなのか?

 さっぱり、わからんかった…

 だから、

 「…どうしてだ? …どうして、クールが、狙われたんだ?…」

 と、訊いた…

 訊かずには、いられなかった…

 「…外国企業だからですよ…」

 葉尊が、苦々しく言った…

 「…どういう意味だ? 葉尊?…」

 「…このクールは、元は、日本の企業ですが、経営危機に陥り、台湾の台北筆頭の子会社になりました…だから、純粋な日本企業と違って、日本政府も、仮に、クールの買収を、他国の企業が、買収しようとしても、熱心に守ろうとは、思いません…」

 「…」

 「…矢田…このクールは、トヨタとは、違うということだ…」

 矢口のお嬢様が、口を挟んだ…

 「…どういう意味ですか?…」

 「…このクールも大きいが、従業員は、グループを含めても、五万にも満たない…トヨタは、その十倍に近い…」

 「…十倍…」

 「…いや、連結子会社だけでなく、その他を含めれば、もっと多いだろう…だから、そんなトヨタが、外国企業に狙われれば、日本政府も焦る…いわゆる外人が、経営者になれば、本社も、海外に移転するかもしれないし、リストラもまたえげつないものになるだろう…それが、わかっているから、日本政府も、買収をなにがなんでも、阻止しようとする…」

 「…」

 私は、矢口のお嬢様の説明に、言葉もなかった…

 が、

 どうして、クールなのか?

 どうして、クールを買収しようとしているのか、それがわからなかった…

 「…どうして、クールなんだ?…」

 私は、訊いた…

 「…サウジアラビアの改革…」

 今度は、リンダが言った…

 「…改革? …それが、クールの買収となんの関係があるんだ?…」

 「…大ありです…」

 と、葉尊が答えた…

 「…サウジは今、脱石油を目指しています…」

 「…脱石油だと?…」

 「…つまり、石油がなくなった後、どうするかです…」

 たしか、以前も、これと同じ話題になったことがある…

 私は、それを思い出した…

 あのときは、脱石油を目指している、ファラド王子が来日して、クールが、ファラド王子を接待する…

 脱石油を目指す、サウジに対して、クールは、太陽光発電や、風力発電等の実績があり、それをサウジに売り込むことで、商売になると思ったと…

 が、

 それが、どうして、クールの買収に繋がるのか、謎だった…

 「…だって、葉尊…以前、オマエは、アラブの王族を接待することで、商売になると、言っていたゾ…クールの製品を売ると…」

 「…それです…お姉さん…」

 「…なにが、それです、なんだ?…」

 「…アラブの王族は、金持ちです…だったら、クールの製品を購入するのではなく、クールごと、会社ごと、買収すれば、いいと、考えたのです…」

 「…なんだと?…」

 私は、驚いた…

 文字通り、驚愕した…

 「…さっきも言ったように、クールは、所詮、外国企業です…だから、日本政府も、純粋な日本企業と違って、クールの経営陣を守らない…」

 「…」

 「…ファラド王子は、それに、気付いたから、クールを買収しようと、思ったのでしょう…いわば、抜け目のない、策略家です…」

 「…抜け目のない、策略家…」

 随分、大層な物言いだった…

 ほめているのか、けなしているのか、わからなかった(笑)…

 「…また、こちらも、その狙いに、気付かなかった…まさか、そんな相手を、接待して、日本に、招待するなんて、バカもいいところです…」

 葉尊が、告げた…

 その顔には、後悔がありありだった…

 「…この矢口さんの情報がなければ…」

 …なんだと?…

 …矢口の情報だと?…

 …まさか、このお嬢様から、聞いたのか?…

 …情報を得たのか?…

 私は、驚いた…

 ただの六頭身の幼児体型では、なかったということか?

 いや、

 私そっくりの外観を持つ女だ…

 やはり、優秀…

 優れているに違いない…

 やはり、東大を出ているだけのことはある…

 やはり、ソニー学園出身の私とは、違うのかもしれない…

 ついさっきまで、この矢口のお嬢様が、本当に東大を出ているか、疑問を持った私だったが、すっかり、そんなことは、忘れていた(笑)…

 しかし、

 しかし、だ…

 この矢口のお嬢様は、一体、どこから、そんな情報を得たのだろう?…

 謎だった…

 だから、私は、

 「…お嬢様…お嬢様は、どこで、そんな情報を?…」

 と、聞いた…

 私は、さておき、世界中にファンのいる、リンダや、クール社長の葉尊を知らない情報をどこで、手に入れたのか? 

 ずばり、気になったのだ…

 「…ムスリムだ…矢田…」

 お嬢様は、答えた…

 「…ムスリム?…」

 「…そうだ…ムスリム…つまり、イスラム教徒が、教えてくれたんだ…」

 「…イスラム教徒?…」

 「…そうだ…以前、このクールの本社にやって来たときに、うちのスーパーで、イスラム教徒が、食べる食材…ハラールを扱いたいと、言っただろ?…だから、ちょうど、イスラム教徒のファラド王子を、このクールの葉尊社長が接待するから、そのパーティーに、招待してもらい、ムスリムの人脈を得たいと思ったんだ…」

 矢口のお嬢様が、説明した…

 そういえば、たしか、そんなことがあったような…

 「…ファラド王子は、当然のことながら、人脈も広い…知り会って、損はないと思ってな…」

 「…」

 「…だが、同時に、ファラド王子という人間が、どういう人間だか、わからない…だから、他に知り会ったムスリムから、情報を得ていると、たまたまファラド王子が、このクールを狙っているという情報を得て、それで、葉尊社長に伝えたんだ…」

 「…」

 「…矢田…この葉尊社長は、なんといっても、オマエの夫…私も以前、オマエに助けられたことがあった…だから、その情報を得て、いてもたっても、いられなくてな…」

 矢口のお嬢様が、相変わらずの上から目線で、言った…

 私は、頭に来たが、そんなことより、クールが、ファラド王子に、買収されれば、大変なことだ…

 その方が、はるかに、気になった…

 と、ここまで、考えて、気付いた…

 たしか、今日は、矢口のお嬢様が、経営するスーパージャパンで、扱う化粧品のCMに、リンダを、出演させるために、このクールに集まったのではないか?…

 それは、一体、どうなったんだ?

 「…あの…お嬢様…リンダのCMの件は…」

 私は、恐る恐る聞いた…

 聞きたくなった…

 「…矢田…それとこれとは、話が別だ…」

 「…別?…」

 「…そうだ…」

 矢口のお嬢様が、あくまで、上から目線で、言った…

 私は、それで、気付いた…

 気付いたのだ…

 このお嬢様の狙いに、気付いたのだ…

 このお嬢様は、ずばり、葉尊に恩を売るつもりだ!…

 クールが買収されるかもしれない情報を掴んだから、真っ先に、それを葉尊に伝えて、自分のスーパーで、扱う化粧品に、リンダを出演させることを、了承させようとしたに違いない…

 いや、

 このお嬢様の狙いは、葉尊ではない…

 葉尊の実父の葉敬だ…

 台湾の大財閥、台北筆頭のオーナーの葉敬に恩を売り、その結果、リンダを自社で扱う商品のCMに出演させる…

 それが、狙いだ…

 つまり、あくまで、商売…

 この矢田に世話になったからとか、いうセリフは、ウソ…

 ウソ八百もいいところだ…

 私は、騙されん!…

 騙されんゾ!…

 この矢口のお嬢様が、どんな詭弁を弄しようと、そんなことに騙される、矢田トモコではない…

 断じて、騙される矢田トモコではない!

 この矢口のお嬢様には、過去に煮え湯を飲まされてる…

 元々、信用できん女だ…

 なにしろ、私そっくりの顔と体型…

 私は、私を信用しない…

 だから、私そっくりな女も信用しない…

 そういうことだ…

 この矢口のお嬢様の抜け目のなさは、空前絶後…

 ありえんぐらいだ…

 これに、匹敵するのは、峰不二子ぐらい…

 あのルパン三世の峰不二子ぐらいだ…

 それぐらい信用できない(笑)…

 だが、あの峰不二子と、このお嬢様は、ルックスは、真逆…

 似ても似つかん(笑)…

 だが、中身は、いっしょ…

 どっちも似ても焼いても食えん女だ…

 私は、この矢口のお嬢様の話を聞きながら、

 「…葉尊…用心しろ!…」

 「…このお嬢様の言葉を鵜呑みにするんじゃない!…」

 「…どこまでが、本当で、どこまでが、ウソか、皆目見当がつかん!…」

 「…全面的に信用するな!…」
 
 と、言いたかった…

 現に、心の中で、何度も叫んでいた…

 が、

 お嬢様の前では、なにも言えんかった…

 私は、この矢口のお嬢様の前では、文字通り、女王陛下と、家臣の関係だった(涙)…

                

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