第16話

文字数 5,993文字

 …思わぬ展開だと?…

 …一体、どういう展開だ?…

 私は、思った…

 思いながら、夫の葉尊を見た…

 が、

 時間切れだった…

 葉尊が、時計を見て、

 「…もう、こんな時間だ…今日は、これから、出かける用事がある…」

 と、言った…

 「…どこに、行くんだ?…」

 と、私は、聞いた…

 「…経団連です…」

 「…経団連だと?…」

 「…ハイ…今度、アラブの王族が、やってきたときに、クールだけじゃなく、日本の企業も参加させて、もらいたいと、経団連の方から、要請を受けてまして…」

 「…そうか…」

 「…誰もが、同じ…せっかく、アラブの王族が、やって来るわけだから、日本の企業も、パーティーに参加して、とりあえず、顔を合わせたいわけです…」

 「…」

 「…アラブの王族が、堂々と、日本にやって来ることは、そんなに、あることじゃないですから…実は、これには、日本政府というか…経済産業省にも頼まれていて…」

 「…日本政府だと?…」

 これには、私も絶句した…

 …まさか?…

 …まさか?…

 話が、そんな大きなことになっているなんて?…

 想像もできんかった…

 が、

 考えてみれば、当たり前かもしれん…

 なにしろ、相手は、ハリウッドのセックス・シンボル…リンダ・ヘイワースだ…

 世界中に知られた美の化身だ…

 そんな、大物をパーティーに呼ぶのだ…

 普通なら、できんことだ…

 だから、クールが、リンダ・ヘイワースを、パーティーに呼べば、それを、聞きつけて、我も我もと、他の企業が、パーティーに参加したいと、言い出しても、不思議ではない…

 私は、そう思った…

 が、

 それだけではなかったかもしれない…

 「…やるわね…葉尊…」

 と、バニラが、口を出した…

 …どういう意味だ?…

 …一体、バニラは、なにを言いたい?…

 …謎だった…

 「…葉尊…アナタ、わざと、今度、アラブの王族がやって来るときに、リンダが接待すると、あちこちで、言って回ったでしょ?…」

 …なんだと?…

 …どういうことだ?…

 「…企業のお偉いさんは、世界中、どこでも、みんな男だらけ…女は、ごくわずか…そんな中で、ハリウッドのセックス・シンボルのリンダ・ヘイワースが、パーティーに参加するといえば、70歳のおじいちゃんも、一目、リンダを見たいと言い出すに決まっている…そうなれば、自然と、パーティーを主催するクールの株が上がる…」

 「…」

 「…それを見抜いて、わざと、あちこちで、リンダが、参加すると、触れ回っているんじゃないの?…」

 「…なにもかも、お見通しって、わけか…」

 葉尊が、苦笑した…

 私は、驚いた…

 まさか?…

 まさか、夫の葉尊が、そんな器用な真似ができるとは、思わなかったからだ…

 夫の葉尊は、真面目で、不器用な男…

 ただ、真面目で、融通の利かない男とばかり、思っていた…

 それが…

 こんな芸当ができるとは?…

 私は、夫の葉尊を見直した…

 見直したのだ…

 ただの融通の利かない、真面目な男ではなかった…

 ただのイケメンではなかった…

 長身のイケメンで、実は、頭も良かった…

 キレキレだった…

 うーむ…

 なんと、私にふさわしい!

 今さらながら、その事実に、気付いた…

 「…でも、それで、このバニラも安心した…」

 と、バニラが、ニヤリとした…

 「…安心? …どうして?…」

 と、葉尊…

 「…だって、そんな大規模なパーティーならば、私もリンダも、アラブにお持ち帰りされる危険は少ないわけでしょ?…」

 バニラが、語る…

 「…でも、案外、それを見越して、葉尊は、パーティーを大げさにしたわけ?…」

 バニラが、からかうように、言った…

 が、

 葉尊は、生真面目な顔で、バニラの言葉を否定した…

 「…すべては、父の指示さ…」

 「…葉敬の?…」

 「…クールは日本の企業…ただし、経営陣は、台湾から来ている…」

 「…」

 「…だから、まずは、日本に馴染まなきゃ、いけないし、そのためには、大規模なパーティーでもして、それをクールが主催するのが、一番の近道だと、教えられたのさ…それで…」

 「…そう…」

 バニラが短く、答えた…

 「…たしかに、葉敬らしい指示ね…」

 バニラは、言った…

 が、

 言いながらも、どこか、バニラの表情は、浮かない感じだった…

 それは、葉尊も、すぐに、気付いた様子だった…

 「…どうした? バニラ…なにか、不満なのか?…」

 葉尊の質問に、バニラが、苦笑した…

 「…これは、葉尊…アナタに言っても仕方がないことだけれども…」

 と、口を開いた…

 「…つくづく、私もリンダも、葉敬の手駒の一つだと、認識させられる…思わされる…」

 「…どういうことだ?…」

 と、葉尊…

 「…私もリンダも、世界に知られたモデルや、女優…だから、私たちが、パーティーに参加すれば、パーティーの格も上がるし、そこに、参加する人間も、そんなパーティーに参加できたことを、喜ぶ…大げさにいえば、パーティーに参加できたことが、名誉と、思える…」

 「…」

 「…それが、葉敬の狙い…つくづく、商売人だと思う…」

 そう言って、バニラは、ため息をついた…

 私は、バニラの気持ちがわかった…

 バニラが、なにを言いたいのか、わかった…

 バニラもリンダも、駒…

 葉敬の、手駒の一つに過ぎないと言いたいわけだろう…

 そして、バニラもリンダも、若く、美しいから、価値がある…

 駒として、利用価値がある…

 が、

 その若さも、美しさも失われたら、どうだ?

 その不安が、あるに違いない…

 葉敬は、商売人だから、利用できるものは、利用する…

 利用できるうちは、利用する…

 そんなスタンスかもしれない…

 だが、

 利用できなくなったら、どうする?

 利用価値が、なくなったら、どうなる?

 バニラは、不安なのかもしれない…

 バニラもリンダも、誰が見ても、美しいが、それは、なにより、若いから…

 どんな美人でも、50歳になれば、美人を売りにできない…

 40歳でも、無理…

 もっと、若く美しい女に、とって代わられる…

 それが、バニラは、わかっている…

 いや、

 バニラだけではない…

 リンダも、わかっている…

 そして、世間の女、誰もが、わかっている…

 だから、若さがなくなったときが、心配なのだろう…

 自分の唯一の武器…

 美人という武器がなくなる…

 おおげさにいえば、美人は、魔法…

 だから、美人は、魔法使い…

 たとえば、同じことでも、会社でも、学校でも、男に頼んだ場合、効果が違う…

 私のような平凡な女が頼んでも、男が、適当にスルーすることがあるが、美人が頼めば、真摯に向き合ってくれる…

 つまり、男の態度が、違うのだ…

 これが、魔法…

 美人という魔法の効果だ…

 が、

 その魔法も、いつかは、使えなくなるときがくる…

 それが、歳をとったとき…

 誰もが、一番それが、わかりやすいのが、AVの世界…

 いくら、キレイで、可愛くても、歳を取れば、あっと言う間に、需要がなくなる…

 それが、誰もが、わかりやすいほど、わかっている真実…

 しかも、

 しかも、だ…

 バニラもリンダも、その美人で、飯を食っている…

 世間には、バニラやリンダには、足元にも及ばないが、美人は、それなりにいる…

 が、

 美人を売りにして、生きている女は、ごくわずか…

 モデルや芸能人ぐらいのものだ…

 だから、美人を売りにする女は、若さが、なくなったときが、怖いのだろう…

 例えば、バニラのように、葉敬という大金持ちの愛人という、今の立場は、歳を取れば、微妙になる…

 バニラが、歳を取り、価値がなくなれば、葉敬は、別の、若い美人を愛人にする可能性が高いからだ…

 そして、そのときに、バニラは、どうすればいいか?

 不安に駆られるのだろう…

 私は、思った…

 と、

 思ったとき、ふと、

 …報いが来る!…

 と、私は、思った…

 予言した…

 このバニラ…バニラ・ルインスキーは、糞生意気な女…

 性根のねじ曲がった糞生意気な女だ…

 その女が、若さがなくなり、路頭に迷う…

 私はそれに気付いたとき…

 この矢田トモコの勝ちだと、気付いた…

 なぜなら、私は、平凡…

 美人でも、なんでもない…

 だから、歳を取っても、平気…

 なにも、変わらないからだ…

 ただ、歳を取っただけだからだ…

 美人を売りにする女は、美人でなくなったときが、怖い…

 が、

 この矢田トモコに、そんな心配はない…

 心配は、無用…

 自分が、美人でないことは、ちょっぴり、悔しいが、この、目の前のバニラや、あのリンダが、歳を取り、若さがなくなることを、恐れることを、思うと、そんな心配は、少しもしない、私が、良かった…

 若さが、なくなり、自分が、美人でなくなることで、周囲の人間の態度が、変わってくる…

 周囲の人間の対応が、変わってくる…

 それは、まるで、身近な例えでいえば、それなりに、世間で、知られた会社の経営者が、破産したようなもの…

 破産したことで、世間の人間の態度が、変わって来る…

 それまで、ちやほやした人間が、皆、いっせいに離れる…

 要するに、その人間に利用価値がなくなったから、離れるのだ…

 これは、会社でも、芸能人でも、同じ…

 その人間が、会社で、偉かったり、芸能界でも、それなりに、成功しているから、周囲が、チヤホヤする…

 それと、同じだ…

 美人の場合は、男の下心が大半だが、まあ、似たようなものだ(笑)…

 つまりは、美人でも権力でもなんでも、力を、持っている…

 それがなくなれば、周囲で、ちやほやした人間は、大半が離れるということだ…

 話が、いささか、長くなったが、バニラの天下も、もはやこれまで…

 後、何年、続くか、知らんが、いずれ、この矢田トモコの軍門に下るときがくる…

 美人という魔法がなくなり、ただの一般人になる…

 そして、私は、そのときも、今と同じ、クルールの社長夫人…

 葉尊の妻だ…

 つまり、私の勝ちだ…

 この生意気な女が、美人でなくなり、この矢田トモコが、社長夫人のまま…

 そのときは、このバニラを、私の秘書にでもして、こき使ってやる…

 私は、ふと、思いついた…

 あるいは、

 私の専用の使用人として、こき使ってやる…

 そう、思った…

 私は、決して、悪い人間ではない…

 性格も、決して、悪くはない…

 そう、信じている…

 が、

 それでも、このバニラは、許せんかった…

 このひとのいい、矢田トモコですら、許せんかったのだ…

 シンデレラの継母ではないが、いずれ、このバニラをこき使ってやる…

 せいぜい、今のうちに、調子に乗っていれば、いいさ…

 私は、思った…

 なぜか、バニラが、歳を取り、若さがなくなり、美人でなくなることを、恐れる不安に、同情するつもりだったが、それが、いつのまにか、バニラをこき使う、私の未来が見えた…

 はっきりと、見えたのだ(笑)…

 それに、気付いた今、私は、余裕をもって、バニラ…

 バニラ・ルインスキーを見ることができた…

 圧倒的な知名度を持つ、目の前の桁外れの美人を見ることができた…

 …せいぜい、今のうちに調子に乗っていれば、いいさ…

 …勝負は、二十年後…

 …いや、三十年後さ…

 そのときは、私の使用人にして、徹底的にこき使ってやるさ…

 それを、思うと、自然と、笑みがこぼれた…

 私の大きな口が、自然と、笑いだしそうだった…

 すると、それを見た、バニラが、

 「…なに…その笑い?…」

 と、怯えた…

 「…なに、その笑い? …私が、今、なにか、お姉さんに、面白いことでも言った?…」

 「…なんでも、ないさ…」

 私は、笑みをこぼしながら、言った…

 「…なんでも、ないって、そんな顔をして、なんでもない、わけは、ないでしょ?…」

 「…私が、なんでもないと言ったら、なんでもないのさ…」

 私は、笑いながら、言った…

 自分でも、自分の笑いが、止められなかったのだ…

 「…ちょっと、葉尊…なにか、言ってやって…」

 バニラが、葉尊に助けを求めた…

 葉尊は、戸惑ったが、

 「…お姉さん…その笑いは…」

 と、戸惑いつつも、私に聞いた…

 が、

 さすがに、夫の葉尊でも、将来、バニラをこき使ってやるなどという、本当のことは、言えない…

 それでは、この矢田トモコの性格が、悪く思われる…

 矢田トモコの人間性が、疑われるからだ…

 だから、夫の葉尊の質問にも、

 「…なんでもないさ…」

 と、答えるしかなかった…

 「…なんでもないって、お姉さん…でも、その笑いは…」

 葉尊が、戸惑う…

 しかしながら、いかに夫の葉尊でも、本当のことは、言えんかった…

 言えるはずが、なかった…

 すると、隣のバニラが、

 「…わかった…」

 と、大声を出した…

 …ナニッ?…

 …わかった?…

 私は、動揺した…

 私の性格の悪さが、夫の葉尊にバレては、困るからだ…

 だから、とっさに、なにか、言おうとしたが、その前に、バニラが、

 「…お姉さん…きっと、パーティーに出れるのが、嬉しいのよ…」

 と、答えた…

 「…パーティーに出れるのが、嬉しい?…」

 と、葉尊…

 「…このお姉さん…元々、目立ちたがり屋でしょ? …だから、パーティーで、注目されるのが、嬉しいのよ…」

 …目立ちたがり屋?…

 …この矢田トモコが?…

 私は、頭にきて、

 「…私は、目立ちたがり屋じゃなんかじゃないさ…」

 と、言おうとしたところ、夫の葉尊が、

 「…バニラ…お姉さんは、目立ちたがり屋なんかじゃないよ…」

 と、穏やかに言った…

 「…お姉さんは、そんなひとじゃない…」

 穏やかだが、力強い調子だった…

 私は、嬉しかった…

 夫の葉尊は、私をわかってくれていると、思ったのだ…

 と、同時に、

 …やはり、将来、バニラを、使用人にして、こき使うことはできん…

 と、諦めた…

 夫の葉尊に、

 「…お姉さんは、そんなひとだったんですか?…」

 と、言われるのが、辛かったのだ…

 やはり、夫の葉尊の前では、性格のいい、善良な矢田トモコを演じ続けなければならん…

 そう、気付いた…

 そう、考えると、自然と、私の顔から笑みが消えた…

 あれほど、楽しそうだった私の顔が、至極、真面目になった…

 むしろ、深刻な顔になったというのが、正しかった…

 そして、私は、夫の葉尊を見た…

 バニラではなく、夫の葉尊を見た…

 考えてみれば、今、この場所に、クールの社長夫人として、いれるのは、夫の葉尊のおかげ…

 葉尊と結婚できたから、ここにいれるのだ…

 だから、夫の葉尊は、私の恩人…

 この平凡な矢田トモコを、妻に選んでくれた大恩人だ…

 それを、思ったとき、どんなことが、あっても、この葉尊を裏切ってはならんと、思った…

 葉尊が、哀しむことも、してはいかんと、思った…

 結果、バニラを将来、私の使用人として、こき使う、私の夢は、潰えた…

 残念ながら、夢と消えた(涙)…

               
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