第88話

文字数 4,492文字

 「…ファラドに会いたくないか? だと?…」

 私は、仰天した…

 まさか…

 まさか…

 ここで、ファラドの名前が出るとは、思わんかった…

 いや、

 名前が出るのは、いい…

 それを、思えば、つい、今さっき、ファラドとオスマンの関係を、このリンダ=ヤンが、説明したばかりだ…

 が、

 まさか、

 「…ファラドと会いたいか?…」

 などと、聞かれるとは、思わんかった…

 思わんかったのだ…

 だから、

 「…リンダ…オマエ…ファラドの居場所を知っているのか?…」

 と、聞いた…

 すると、

 「…フッフッフッ…」

 と、笑って、ごまかした…

 私は、頭に来た…

 「…リンダ…ちゃんと、答えろ!…」

 私は、怒鳴った…

 私は、頭に来たのだ…

 他人様の家に、いきなり、やって来て、

 「…ファラドに会いたい?…」

 と、聞いて、私が、

 「…ファラドの居場所を知っているのか?…」

 と、真逆に、聞けば、答えない…

 まるで、私をからかっているようだ…

 だから、余計に、頭に来たのだ…

 「…オマエ…私をからかいに来たのか?…」

 と、怒鳴った…

 が、

 またも、

 「…フッフッフッ…」

 と、笑って答えない…

 私は、それを見て、我慢の糸が切れた…

 「…言いたくなければ、言わなくていい…さっさと帰れ!…」

 と、私は、怒鳴った…

 「…いいな!…」

 と、言って、玄関に向かって、歩き、玄関のドアを開けようとした…

 が、

 その姿を見て、さすがに、リンダの顔色が変わった…

 「…ちょっと…冗談よ…冗談…」

 リンダが、焦って言った…

 「…冗談だと?…」

 私は、怒って言った…

 「…そう…冗談…」

 「…冗談も、言っていいときと、悪いときがあるのさ…」

 私の怒りは、治まらなかった…

 「…今は、悪いときさ…」

 私が、あまりにも、怒るものだから、リンダが、驚いていた…

 「…お姉さん…どうして、そんなに怒るの?…」

 と、リンダが、聞いた…

 「…たかが、冗談じゃない…」

 リンダが、言ってから、

 「…なにか、お姉さん…いつものお姉さんじゃない…」

 と、言ってきた…

 「…なんだと?…」

 「…なんだか、ピリピリしている…」

 私は、リンダの言葉に、

 「…」

 と、答えられなかった…

 返答ができんかった…

 たしかに、自分でも、わからんが、妙にピリピリしている…

 原因は、わからんが、妙に、ピリピリしている…

 「…お姉さん…ひょっとして、アレ?…」

 「…アレとは、なんだ?…」

 「…やっぱり、マリアのこと?…」

 「…マリアのことだと?…」

 「…そう…マリアが、心配なんでしょ?…」

 私は、リンダの問いかけに、

 「…」

 と、答えられんかった…

 たしかに、言われてみれば、その通りかもしれん…

 が、

 私自身に、その自覚はなかった…

 が、

 それを否定することも、できんかった…

 たしかに、マリアのことも、心配だ…

 が、

 それを言えば、あのお嬢様…

 矢口トモコの動向の方が、もっと心配だ…

 なにしろ、あのお嬢様の経営するスーパー、スーパージャパンを、私の夫の葉尊の父、葉敬が、買収しようとしている…

 その事実の方が、はるかに、衝撃的だった…

 だから、ピリピリしているかも、しれんかった…

 自分でも、気付かぬうちに、ピリピリと、苛立っているのかも、しれんかった…

 実を言えば、マリアと、あの矢口のお嬢様を、比べれば、マリアの方が、私と、近いというか…

 よく、いっしょに、遊んでやっている…

 だから、本当は、マリアのことが、心配だといえば、いいのだが、正直、そこまで、マリアのことは、心配ではなかった…

 やはりというか、それは、私が、マリアの母親ではないからだろう…

 そして、私は、一度しか、会っていないが、あのオスマン殿下を信頼できた…

 信用できる人間だと、思った…

 それも、これも、私が、他人だからだろう…

 よく言えば、冷静に、オスマン殿下を評価できる…

 これが、母親のバニラの立場ならば、やはり冷静では、いられないだろう…

 信頼できる…

 信用できる…

 と、思いながらも、一抹の不安がある…

 それが、肉親というものだろう…

 私は、思った…

 だから、バニラのことを、悪く言うことは、できん…

 むしろ、バニラが、微笑ましいというと、大げさだが、バニラを見直した…

 バニラが、あれほど、マリアを可愛がっているとは、思わんかった…

 可愛がっていることは、わかっていたが、今回の件で、それが、一層わかった…

 だから、

 「…マリアのことは、心配さ…だが、もっと、心配なことがある…」

 と、言った…

 「…もっと、心配なことって?…」

 「…矢口のお嬢様さ…」

 「…あのお嬢様…お姉さん、そっくりの…」

 「…そうさ…」

 「…どうして、心配なの?…」

 「…どうしてと、言われても…」

 私は、言い淀んだ…

 どうしてと、言われても、正直、答えることは、できんかった…

 あのお嬢様のスーパーが、私の夫の実父、葉敬に買収されるかもしれん…

 正直、私は、あのお嬢様と出会って、ロクなことは、なかった…

 いつも、利用された…

 ただ、利用された…

 外見が、私そっくりだからだ…

 が、

 不思議と、憎めんかった…

 なぜだかは、わからない…

 私と同じ外見だから、親近感があるのかもしれない…

 いや、

 それ以上に、私が、あのお嬢様に、性格の悪さとか、意地の悪さを感じないのが、大きいのかもしれない…

 接していれば、相手の性格がわかる…

 あのお嬢様は、生粋のお嬢様にも、かかわらず、妙にずる賢いところがあるが、なぜか、憎めん…

 ハッキリ言って、何度も煮え湯を飲まされたが、憎めん…

 心の底から、憎むことが、できんかったのだ…

 そんなことを、考えていると、

 「…お姉さん…優しいんだ…」

 と、リンダが、言った…

 「…優しい? …私が?…」

 意外な言葉だった…

 これまで、言われたことがない言葉だった…

 「…だって、そうでしょ? …お姉さん…あの矢口さんに、さんざ、利用されたようなことを、以前、言っていたでしょ? それなのに、心配するなんて…」

 言われてみれば、その通り…

 その通りだった…

 ぐうの音も出なかった…

 「…もっとも、それが、お姉さんのいいところだけれども…」

 「…私のいいところだと?…」

 「…なんていうか、お姉さんって、憎めないのね…いっしょにいると、結構ズルいところも、あって、ひとを出し抜こうとするんだけれども、肝心のときに、ためらっちゃたり…優柔不断っていうか…ひとがいいというか…」

 「…」

 「…そして、お姉さんの友人たちは、皆、お姉さんのそんな姿を見てる…だから、お姉さんは、信頼される…信用される…愛される」

 「…」

 「…矢口さんも、同じ…」

 「…お嬢様も、同じだと?…」

 「…例外じゃない…だから、安心して、お姉さんを、利用した…利用できた…」

 「…私を利用できた?…」

 「…マリアの通うセレブの保育園のお遊戯大会…あそこで、矢口さんは、自分を宣伝するつもりだった…」

 「…自分を宣伝だと?…」

 「…自分が、広告塔になって、子供たちと、AKBの恋するフォーチュンクッキーを踊る…その姿を、テレビで、流して、少しでも、自分に、いえ、スーパージャパンに親しみを持って、もらう戦略だった…私をCMに出演させて、有名になった商品を、スーパージャパンで、独占的に契約して、販売する…その他、イスラムのハラール食品を、大手のスーパーに先駆けて、スーパージャパンで、販売する…すべて、自社の宣伝…スーパージャパンの売り上げを上げるため…」

 「…」

 「…そして、その目的は、達成されたかに、見えた…」

 「…達成にされたかに、見えただと?…」

 「…そこに、思わぬ邪魔が入った…」

 「…邪魔?…」

 「…葉敬よ…」

 「…お義父さん?…」

 「…葉敬が、スーパージャパンに興味を示した…」

 「…」

 「…いえ、正確に言えば、葉敬が、興味を示すように、葉敬に接触した人間がいた…」

 「…誰だ、それは?…」

 「…ファラドよ…お姉さん…」

 「…ファラドだと?…」

 「…そうよ…葉敬の趣味が、スーパー巡りだと知って、葉敬に近付いた…いえ、それ以前に、マリアの背景を探った…」

 「…マリアの背景だと?…」

 「…鈍いわね…お姉さん?…」

 「…なにが、鈍いんだ?…」

 「…ファラドは、オスマンを追い落とそうとして、その機会を窺っていた…そして、オスマンが、マリアを、気に入っていることに、気付いた…」

 「…」

 「…だから、これを利用しない手はない…まずは、マリアの背景を探った…マリアの父親は、誰で、母親は、誰なのか? …どんな家庭の娘なのか、をね…」

 「…」

 「…その結果、思がけないことが、わかった…」

 「…思いがけないことだと?…」

 「…マリアの母親と父親…」

 「…それが、どうかしたのか?…」

 「…バニラは、警戒して、決して、保育園には、姿を見せない…お手伝いさんに、マリアの送迎をさせて、決して、自分の姿は、見せない…世界でも、有名なモデルの、バニラ・ルインスキーが、マリアの母親だと、知れれば、自分の仕事に影響が出る…まさか、23歳の若さで、3歳のマリアの母親だと、世間に知られるわけには、いかない…」

 「…」

 「…そして、葉敬…」

 「…お義父さん?…」

 「…マリアの父親が、葉敬だと、バレるのは、もっと困る…」

 当たり前のことだった…

 が、

 ファラドは、偶然にも、マリアを、調べて、その事実を知った…

 そして、それを利用しない手は、ないと、考えたに違いなかった…

 「…そして、あの矢口さんが、お姉さんとルックスが瓜二つだと知った…しかも、あの矢口さんが、お遊戯大会のスポンサーになって、お菓子を提供するという…正直、お姉さん、そっくりの矢口さんだから、なにか、目的があると、ファラドは、気付いた…同時に、そのときを、狙って、オスマンを拉致すれば、いいとも、ファラドは、考えた…」

 「…」

 「…つまりは、すべてのきっかけは、オスマンが、マリアを気に入ったこと…それを、オスマンを追い落とそうと考えたファラドが、利用したことよ…」

 なんと!

 すべてのきっかけが、マリアだとは、思わんかった…

 そんなこと、夢にも、考えんかった…

 私は、驚いた…

 驚いたのだ…

 「…で、リンダ…オマエは、その内幕を、誰に聞いたんだ?…」

 私は、聞いた…

 まさか、自分で、考えたわけでも、あるまい…

 誰か、この女に知恵をつけた人物がいる…

 それを、考えたのだ…

 すると、

 「…お姉さん…鈍いわ…」

 と、またも、私を鈍いと、罵倒した…

 私は、頭に来た…

 「…鈍いだと?…なにが、鈍いんだ?…」

 「…だって、考えてみて…こんなこと、私に、告げる人間なんて、私の周りでは、一人しか、いないでしょ?…」

 私は、リンダの言葉に、しばし、考え込んだ…

 しばし、悩んだ…

 その結果、一人の人物の名前が浮かんだ…

 っていうか、あの人物しか、思い浮かばんかった…

 あの男しか、考えつかんかった…

 「…葉問か?…」

 私は、言った…

               
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