第164話

文字数 3,309文字

 …コレが、最後の機会さ…

 私の心の中で、悪魔の声が囁いた…

 …このリンダの邪魔をしてやれ!…

 悪魔の声が、囁いた…

 思えば、このリンダとも、色々あった…

 思えば、このリンダも悪い女ではない…

 が、

 この私を軽く見ているというか…

 尊敬していない面が、あった…

 六歳年上のこの矢田トモコを尊敬していない面が、かなり、あった…

 それを、思えば、許せんかった…

 許せんかったのだ…

 今日を最後に、このリンダとも、二度と会うことも、あるまい…

 明日からは、他人…

 他人だ…

 いや、

 今、現在も、他人なのだが、明日以降は、二度と会うこともあるまい…

 生涯二度と会うことも、あるまい!…

 それを思うと、このチャンスを逃せば、二度と、このリンダを痛い目に遭わすことは、ことはできん…

 できんと、思ったのだ…

 …どうする?…

 …わざと、焦らすか?…

 焦らして、この女を困らせてやるか?

 私は、悩んだ…

 悩んだのだ…

 すると、

 「…もう、お姉さん…早くして…」

 と、リンダが、金切り声を上げた…

 私は、そのリンダの声を聞いて、決めた…

 邪魔をすることを、決めた…

 なぜなら、リンダの声が、耳障りだったからだ…

 リンダの金切り声が、耳障りだったからだ…

 「…イターッ!…」

 と、声を上げて、わざと、その場に倒れた…

 わざと、倒れた…

 途端に、

 「…どうしたの? …お姉さん?…」

 と、リンダが、焦った声を上げた…

 「…わからんさ…足を挫いたかも、しれんさ…」

 私が、苦渋の表情で、言った…

 「…ウソォ!…」

 リンダが、叫んだ…

 「…もう、時間が、ないのに…」

 リンダが、苦渋の表情を浮かべた…

 …やってやったさ…

 私は、内心、ほくそ笑んだ…

 …リンダの邪魔をしてやったさ…

 私は、思った…

 私は、足を痛がるフリをして、リンダを見た…

 リンダは、実に、困った顔をしていた…

 その顔を、見るのは、実に、愉快だった…

 実に、痛快だった…

 が、

 それを、信じんものが、いた…

 この矢田の近くに、いた…

 バニラだった…

 「…このクソチビ…痛がったフリをしてんじゃ、ねえよ…」

 バニラが、叫んだ…

 「…痛がったフリって?…」

 リンダが、驚く…

 「…お芝居よ…リンダ…」

 「…お芝居?…」

 「…そうよ…このクソチビは、リンダの邪魔をしているのよ…」

 そう言うと、いきなり、リンダは、この矢田を、思いっきり、蹴とばそうとした…

 なにしろ、バニラは、180㎝の長身の大女だ…

 その大女に蹴りを入れられては、堪らん…

 私は、とっさに、そのバニラの蹴りをかわした…

 ひらりと、かわした…

 とっさに、カラダを動かしたのだ…

 運動神経抜群の、この矢田トモコだから、できたことだった…

 が、

 それが、いかんかった…

 ふと、見ると、リンダと、バニラが、冷ややかな目で、私を見ていることに、気付いた…

 気付いたのだ…

 「…お姉さん…ウソだったの?…」

 真っ先に、声を上げたのは、リンダだった…

 …しまった!…

 私は、思った…

 つい、バニラの蹴りを避けて、しまった…

 が、

 避けんわけには、いかんかった…

 大柄なバニラの蹴りを、まともに、食らえば、小柄な、この矢田のカラダは、見るも、無残に、吹っ飛ぶからだ…

 だから、避けんわけには、いかんかった…

 「…このクソチビは、根性が、ひん曲がってるのさ…」

 バニラが、吐き出すように、言う…

 「…リンダが、このクソチビのために、急いでるのに…テメエは…」

 …リンダが、私のために?…

 …一体、どういう意味だ?…

 私は、思った…

 が、

 それを、聞くわけには、いかんかった…

 さすがに、間が悪すぎた…

 だから、どう言っていいか、わからんかった…

 「…すまんかったさ…」

 と、素直に、詫びれば、いいが、できんかった…

 私のお芝居が、バレたのだ…

 なんと、言っていいか、わからんかった…

 が、

 なぜか、リンダは、怒らんかった…

 「…まあ、いいわ…」

 と、言っただけだった…

 「…とにかく、時間が、ないの…早くしましょう…」

 と、言って、私の手を取った…

 「…お姉さん…ギャグをかますのは、止めてね…」

 リンダが、優しく、言った…

 「…今は、そんなときじゃ、ないのよ…」

 リンダが、どこまでも、優しく言った…

 が、

 当然ながら、怒っていた…

 その証拠に、目が、笑ってなかった…

 いや、

 笑ってない、どころでは、ない…

 明らかに、怒っていた…

 その青い目に、憎悪を浮かべていた…

 私は、ブルった…

 正直、ブルった…

 この矢田トモコは、気が弱い…

 そんなリンダが、怒った、青い目で、見つめられると、どうして、いいか、わからんかった…

 ただ、

 「…すまんかったさ…」

 と、小さく言った…

 小さく蚊の鳴くような声で、言った…

 「…ゆ…許してくれ…」

 と、付け加えた…

 そうでも、せんと、リンダの怒りが、治まらんと、思ったからだ…

 すると、背後から、

 「…まったく、このクソチビは、調子いいんだから…」

 と、私を罵倒するバニラの声が、聞こえた…

 「…ホントなら、こんなクソチビ…すまきにして、東京湾に沈めて、やりたい気分だぜ…」

 …すまき?…

 …すまきって、なんだ?…

 初めて、聞く言葉だ…

 だから、

 「…すまきって、なんだ?…」

 と、つい、聞いてしまった…

 すると、リンダが、

 「…すまきっていうのは、日本の江戸時代、ござで、カラダを巻いて、川に投げ込むことよ…よく、リンチで、使った…」

 と、バニラの代わりに、説明してくれた…

 「…ござ?…ござって、なんだ?…」

 「…畳の表面の…」

 このリンダの表現で、やっと、わかった…

 つまり、このバニラは、こともあろうに、この矢田を、畳の表面で、カラダを巻いて、東京湾に、投げ込もうと言うんだ…

 人間の言うことではなかった…

 まさに、鬼畜の所業だった…

 だから、私は、バニラに向かって、

 「…オマエは、ひどい女だな…」

 と、言ってやった…

 「…ひどい? …どっちが?…」

 バニラが、怒った…

 「…リンダが、こんなに、急いでるのに、足を引っ張るのと、どっちが、ひどいの…」

 バニラが、激怒する…

 さすがに、このリンダの言葉に、反論できんかった…

 だから、ただ、

 「…すまんかったさ…」

 と、詫びた…

 「…許してくれ…」

 とも、付け加えた…

 すると、バニラが、

 「…言葉じゃないの!…」

 と、怒鳴った…

 「…誠意を見せろってこと!…」

 と、付け加えた…

 「…誠意?…」

 「…そうよ…誠意よ…」

 …誠意…

 もちろん、意味はわかるが、どうして、いいか、わからんかった…

 よく誠意は金で示せ、と、世間で、言うが、その金もなかった…

 だから、

 「…すまんかった…」

 と、言って、ポケットから、キットカットを一つ出した…

 「…バニラ…許してくれ…」

 バニラに頭を下げて、詫びた…

 すると、だ…

 なぜか、バニラの態度が、急変した…

 まだ、私が、差し出した、キットカットも、受け取らないにも、かかわらず、

 「…そんな、許してくれなんて…」

 と、まるで、少女が、恥じらうような態度に変わった…

 私は、わけが、わからんかった…

 さっぱり、わけが、わからんかった…

 「…お姉さん…マリアのことを、よろしくお願いします…」

 と、丁寧に、頭を下げた…

 それで、ようやく、気付いた…

 私が、持ち歩いているキットカットを差し出したことで、バニラは、マリアのことを、思い出したのだ…

 マリアは、キットカットが、好物…

 それを、思い出したのだ…

 まさに、キットカットさまさまだった…

 キットカットに、頭が、上がらんかった…

 だから、

 「…わかったさ…」

 と、答えた…

 「…マリアの面倒は、しっかり、見てやるさ…」

 と、約束した…

 すると、

 「…ありがとうございます…」

 と、再び、丁寧に、バニラが、私に頭を下げた…

 まさに、キットカットさまさまだった…

 ありえん展開だった…

 ホントは、この矢田が、100%悪いに、関わらず、なぜか、優位に立った…

 まさに、ありえん展開だった…

 ありえん展開だったのだ(笑)…

               
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