第9話
文字数 1,170文字
*
三奈は目を輝かせて聞いていた。
「その他に、演劇や映画、作家、漫画家。イラストレーター、編集者。それに学生たちが暮らしている」
そして、ぼくのように何者かになろうとしている有象無象の人間たちが。
中通りの行きつけの店の前を通るたびに、一軒ずつ説明した。
長串を刺した洋風ギョウザと長崎チャンポンが美味しい『ワールドギョウザ』、古本屋の『都丸書店』、時々ライブをやるカレー屋さん『レッドーハウス』。
二百円もあれば満腹になる『長井食堂』、三奈はそれぞれの店を興味深そうに覗きこんでいた。ぼくの足元を見るたびにくすくすと笑った。
歩くたびにポニーテールが、左右に揺れた。
「ひょっとしたら、ポニーテールを結ぶ位置を高めにしてるんじゃない?」
「わかりますか。気合いを入れるときはいつも高くするんです」
「女性はちょっとしたことで、雰囲気が変わるんだな。会社の時は大人しそうだったよ。どっちが、ほんとうのきみなのかな」
「どっちだと思いますか?」
三奈はポニーテールを揺らして、いたずらっぽい目をぼくに向けた。
*
河辺さんは、中通りの突き当たりを左に少し歩いたところにあるアパートに住んでいる。
白ペンキの木の柵に囲まれた庭があって、香りが良いライラックの紫色、藤色、紅色などの小花がたわわに房咲きしていた。
白ペンキの木戸を抜けてレンガ敷きの通路の先がアパートの入り口になっている。
「素敵なところですね」
「一階の端の部屋なんだ」
庭の花々が風に大きく揺れている。
「あっ!」
後ろを付いてきた三奈の声で振り返った。
「どうかした?」
三奈は、赤い花にとまっている白い蝶を見ていた。
風に吹き揚げられないように、必死にしがみついているみたいだった。
「いえ、別に」
三奈は視線をぼくに戻した。
「部屋にはアパートの入り口じゃなくて、庭から入るんだよ」
河辺さんが出かける時は、ガラス戸の内カギをかけないで、雨戸を閉めた状態にしてある。だから、雨戸が開いていると、部屋に誰かがいることがわかるのだ。
「カギをかけないんですか!」
「そう、本人がいない時でも自由に出入りしていいんだ」
庭から部屋を覗くと、富田が一人で待ち構えていた。
「河辺さんは?」
ガラス戸を開けて声をかけた。
「高橋と一緒に買い出しに行きました」
「買い出し?」
「浦山さんが、もの凄くかわいい女性を連れてくると教えたんですよ」
「会ってもないのに適当なこと……」
否定も肯定もしにくくて、口ごもってしまった。
横にちらりと目をやると、三奈は伏し目がちに笑った。
「俺の勘は当たるんです。もの凄くかわいいです」
富田は、三奈に視線を向けて言った。
ぼくは恥ずかしそうにしている三奈を、富田に紹介した。
「俺は、富田俊一。ザ・ラタイ座というところで舞踏をやってます。小説を書いてて、最年少で芥川賞を取ります」
三奈は目を輝かせて聞いていた。
「その他に、演劇や映画、作家、漫画家。イラストレーター、編集者。それに学生たちが暮らしている」
そして、ぼくのように何者かになろうとしている有象無象の人間たちが。
中通りの行きつけの店の前を通るたびに、一軒ずつ説明した。
長串を刺した洋風ギョウザと長崎チャンポンが美味しい『ワールドギョウザ』、古本屋の『都丸書店』、時々ライブをやるカレー屋さん『レッドーハウス』。
二百円もあれば満腹になる『長井食堂』、三奈はそれぞれの店を興味深そうに覗きこんでいた。ぼくの足元を見るたびにくすくすと笑った。
歩くたびにポニーテールが、左右に揺れた。
「ひょっとしたら、ポニーテールを結ぶ位置を高めにしてるんじゃない?」
「わかりますか。気合いを入れるときはいつも高くするんです」
「女性はちょっとしたことで、雰囲気が変わるんだな。会社の時は大人しそうだったよ。どっちが、ほんとうのきみなのかな」
「どっちだと思いますか?」
三奈はポニーテールを揺らして、いたずらっぽい目をぼくに向けた。
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河辺さんは、中通りの突き当たりを左に少し歩いたところにあるアパートに住んでいる。
白ペンキの木の柵に囲まれた庭があって、香りが良いライラックの紫色、藤色、紅色などの小花がたわわに房咲きしていた。
白ペンキの木戸を抜けてレンガ敷きの通路の先がアパートの入り口になっている。
「素敵なところですね」
「一階の端の部屋なんだ」
庭の花々が風に大きく揺れている。
「あっ!」
後ろを付いてきた三奈の声で振り返った。
「どうかした?」
三奈は、赤い花にとまっている白い蝶を見ていた。
風に吹き揚げられないように、必死にしがみついているみたいだった。
「いえ、別に」
三奈は視線をぼくに戻した。
「部屋にはアパートの入り口じゃなくて、庭から入るんだよ」
河辺さんが出かける時は、ガラス戸の内カギをかけないで、雨戸を閉めた状態にしてある。だから、雨戸が開いていると、部屋に誰かがいることがわかるのだ。
「カギをかけないんですか!」
「そう、本人がいない時でも自由に出入りしていいんだ」
庭から部屋を覗くと、富田が一人で待ち構えていた。
「河辺さんは?」
ガラス戸を開けて声をかけた。
「高橋と一緒に買い出しに行きました」
「買い出し?」
「浦山さんが、もの凄くかわいい女性を連れてくると教えたんですよ」
「会ってもないのに適当なこと……」
否定も肯定もしにくくて、口ごもってしまった。
横にちらりと目をやると、三奈は伏し目がちに笑った。
「俺の勘は当たるんです。もの凄くかわいいです」
富田は、三奈に視線を向けて言った。
ぼくは恥ずかしそうにしている三奈を、富田に紹介した。
「俺は、富田俊一。ザ・ラタイ座というところで舞踏をやってます。小説を書いてて、最年少で芥川賞を取ります」