08 浦山 稔 ぼくの『ボーイズライフ』
文字数 2,464文字
ぼくの『ボーイズライフ』 浦山 稔
2023年11月22日(水)
ぼくと『ボーイズライフ』の出逢いは、散髪屋だった。
バス通りにある散髪屋には、順番を待つ客のために、週刊誌や漫画雑誌などが片隅に山積みしてあった。その中に『ボーイズライフ』があったんだ。
ぼくの目当てはもちろん漫画で、やはり山田さんと同じく、さいとうたかをの『007』にすっかり夢中になった。とにかく、かっこよかったんだ。
山田さんが、シリーズの第一弾、『 死ぬのは奴らだ』の扉絵と作品解説を用意してくれた。
*『007シリーズ』第一回の扉絵
*作品解説「007はこうしてうまれた」
掲載されたのは、1964年12月号で、表紙は読売ジャイアンツの王貞治選手だった。
さいとうたかをの『007シリーズ』は4作品、『 死ぬのは奴らだ』『サンダーボール作戦』『女王陛下の007』『 黄金の銃を持つ男』で全33話。 1964年12月号~1967年8月号に掲載された。
中学生になって、自転車を手に入れたので、ぐうんと世界が広がった。
『ボーイズライフ』は、本屋で立ち読みをしていたな。
一軒の本屋で長く立ち読みしていると、追い出されるので、ページ数を覚えて次の本屋へいき続きを読んでいたもんだった。
だから、新刊漫画や雑誌は買っていなくて、漫画はもっぱら古本屋で買っていた。
当時の小遣いは、ひと月分をまとまてもらっていて、中1で300円、中2で400円、中3で500円と毎年、100円アップしていたんだ。
貸本漫画は、薄いかぶ厚いかで、10円と20円にわけられていた。
週刊誌の『少年サンデー』『少年マガジン』や月刊誌の『少年』『ぼくら』『冒険王』『少年クラブ』『少年画法』『少年ブック』は10円だった。
月刊誌や学年誌の付録は、バラバラにして5円だったり、袋にまとめてあるものは10円だったりした。
山田さんに「お気に入りの作品は何ですか?」とメールで訊くと、「好きな作品は、やはり寺田ヒロオの『背番号0』ですかね」と返信があった。
*『背番号0』画像は1964年5月号。
「物語は、中学生になってからの学園生活のお話しで、野球部ではなく新聞部に入部して
からの活躍が書かれています。1964年4月から連載です」
掲載漫画の一覧を見ると、人気キャラクター作品『オバケのQ太郎』『おそ松くん』なんかも掲載していた。
知らなかったなぁ。
山田さんのメールには「他には横山光輝の『片目猿』が好きでした」とも書いてあった。
「片目」って言葉は、いま放送局や新聞社などが自主規制している、いわゆる「放送禁止用語」だ。
使う場合は「片方の目」「隻眼」「独眼」等に書き換えるように指導しているみたい。
小説を書く場合にも、神経を使うんだ。
昭和三十年代の子どものころは、日常的に口にしていたものだから、つい書いてしまうことがある。
読み返して気が付くと、どうしたものかと悩んでしまう。
読んで、その言葉だけで傷つく人がいるかもしれないけど、リアリティを損なう場合は、そのままにしているんだ。
ケンカ相手を傷つけるために、わざというんだから忖度しないよな。
勝新太郎主演の映画『座頭市』シリーズなんて、テレビで放映された時なんかは、言葉がカットされて違和感だらけだったよ。
この『片目猿』ってタイトルで再販できるのかな?
ぼくの好きな宮谷一彦『魂の歌』の画像をお願いしたんだ。
「宮谷一彦は、一回だけでした。全18ページ。1967年12月号です」
創刊号に白土三平の漫画が掲載されていたことを知って驚いた。
だって、スカイダイビングの表紙の『ボーイズライフ』に『ざしきわらし』なんてミスマッチだよな。(山田甲八「私の『ボーイズライフ』」に画像があります)
この他にも『白土三平劇場』と銘うって、全8話(1967年1月号~1967年8月号)を掲載しているけど、山田さんが書いているように全て貸本漫画『忍法秘話』の再録なんだ。
普通、あり得ないことだ。
『ボーイズライフ』創刊時の編集長は、後に『ビッグコミック』を創刊したし、長井勝一『「ガロ」編集長 私の戦後マンガ出版史』筑摩書房(1982年)によると、小学館は『カムイ伝』を欲しくて『ガロ』を買収しようとしたみたいだし、大人の事情がありそうだよな。
白土三平が『ビッグコミック』でカムイ外伝 第二部(1982年~1987年)を描いていた頃、1ページの原稿料が10万円と噂されていた。
ぼくの原稿料は1ページ5千円だったから、20ページの短編一本分だ。
白土三平だと、20ページで200万円だもんな~。
でも、『ガロ』で『カムイ伝』を描いていたころは、原稿料が0円だったというから、自分の信念を貫いて勝ち取った原稿料だ。
羨ましいとか妬んだりするよりも、逆に輝かしい勲章だと思って尊敬度が増したよ。
ちなみに手塚治虫は、1ページ2万円以上にはしないと決めていたそうだ。
その理由は、原稿料を高くすると、注文が減るからだというんだ。
一本でも多くの作品を描きたいという、これも信念だよな。
もちろん噂なんだけどね。
原田さんに『ボーイズライフ』は全部で何冊、出版されているかを教えてもらった。
「創刊から休刊まで全77冊です。私は一冊持っていませんので76冊です」
そして、最後に一番気になっていたことを訊いたんだ。
「『ボーイズライフ』の購入価格、一番安い値段と高い値段を教えてください」
「貸本屋で大体50円くらいて売ってくれました。古本目録では1,500〜2,000円くらいですかね」
山田さんが、『ボーイズライフ・コレクション』をコンプリートする「最後の一冊」を明かさないのは、その本の「古本価格が高騰するからにちがいない」とぼくは睨んでいる。
4万5千冊の漫画コレクターの言動は、古書の市場価格にものすごい影響を与えるんだろうな。
終わり。
2023年11月22日(水)
ぼくと『ボーイズライフ』の出逢いは、散髪屋だった。
バス通りにある散髪屋には、順番を待つ客のために、週刊誌や漫画雑誌などが片隅に山積みしてあった。その中に『ボーイズライフ』があったんだ。
ぼくの目当てはもちろん漫画で、やはり山田さんと同じく、さいとうたかをの『007』にすっかり夢中になった。とにかく、かっこよかったんだ。
山田さんが、シリーズの第一弾、『 死ぬのは奴らだ』の扉絵と作品解説を用意してくれた。
*『007シリーズ』第一回の扉絵
*作品解説「007はこうしてうまれた」
掲載されたのは、1964年12月号で、表紙は読売ジャイアンツの王貞治選手だった。
さいとうたかをの『007シリーズ』は4作品、『 死ぬのは奴らだ』『サンダーボール作戦』『女王陛下の007』『 黄金の銃を持つ男』で全33話。 1964年12月号~1967年8月号に掲載された。
中学生になって、自転車を手に入れたので、ぐうんと世界が広がった。
『ボーイズライフ』は、本屋で立ち読みをしていたな。
一軒の本屋で長く立ち読みしていると、追い出されるので、ページ数を覚えて次の本屋へいき続きを読んでいたもんだった。
だから、新刊漫画や雑誌は買っていなくて、漫画はもっぱら古本屋で買っていた。
当時の小遣いは、ひと月分をまとまてもらっていて、中1で300円、中2で400円、中3で500円と毎年、100円アップしていたんだ。
貸本漫画は、薄いかぶ厚いかで、10円と20円にわけられていた。
週刊誌の『少年サンデー』『少年マガジン』や月刊誌の『少年』『ぼくら』『冒険王』『少年クラブ』『少年画法』『少年ブック』は10円だった。
月刊誌や学年誌の付録は、バラバラにして5円だったり、袋にまとめてあるものは10円だったりした。
山田さんに「お気に入りの作品は何ですか?」とメールで訊くと、「好きな作品は、やはり寺田ヒロオの『背番号0』ですかね」と返信があった。
*『背番号0』画像は1964年5月号。
「物語は、中学生になってからの学園生活のお話しで、野球部ではなく新聞部に入部して
からの活躍が書かれています。1964年4月から連載です」
掲載漫画の一覧を見ると、人気キャラクター作品『オバケのQ太郎』『おそ松くん』なんかも掲載していた。
知らなかったなぁ。
山田さんのメールには「他には横山光輝の『片目猿』が好きでした」とも書いてあった。
「片目」って言葉は、いま放送局や新聞社などが自主規制している、いわゆる「放送禁止用語」だ。
使う場合は「片方の目」「隻眼」「独眼」等に書き換えるように指導しているみたい。
小説を書く場合にも、神経を使うんだ。
昭和三十年代の子どものころは、日常的に口にしていたものだから、つい書いてしまうことがある。
読み返して気が付くと、どうしたものかと悩んでしまう。
読んで、その言葉だけで傷つく人がいるかもしれないけど、リアリティを損なう場合は、そのままにしているんだ。
ケンカ相手を傷つけるために、わざというんだから忖度しないよな。
勝新太郎主演の映画『座頭市』シリーズなんて、テレビで放映された時なんかは、言葉がカットされて違和感だらけだったよ。
この『片目猿』ってタイトルで再販できるのかな?
ぼくの好きな宮谷一彦『魂の歌』の画像をお願いしたんだ。
「宮谷一彦は、一回だけでした。全18ページ。1967年12月号です」
創刊号に白土三平の漫画が掲載されていたことを知って驚いた。
だって、スカイダイビングの表紙の『ボーイズライフ』に『ざしきわらし』なんてミスマッチだよな。(山田甲八「私の『ボーイズライフ』」に画像があります)
この他にも『白土三平劇場』と銘うって、全8話(1967年1月号~1967年8月号)を掲載しているけど、山田さんが書いているように全て貸本漫画『忍法秘話』の再録なんだ。
普通、あり得ないことだ。
『ボーイズライフ』創刊時の編集長は、後に『ビッグコミック』を創刊したし、長井勝一『「ガロ」編集長 私の戦後マンガ出版史』筑摩書房(1982年)によると、小学館は『カムイ伝』を欲しくて『ガロ』を買収しようとしたみたいだし、大人の事情がありそうだよな。
白土三平が『ビッグコミック』でカムイ外伝 第二部(1982年~1987年)を描いていた頃、1ページの原稿料が10万円と噂されていた。
ぼくの原稿料は1ページ5千円だったから、20ページの短編一本分だ。
白土三平だと、20ページで200万円だもんな~。
でも、『ガロ』で『カムイ伝』を描いていたころは、原稿料が0円だったというから、自分の信念を貫いて勝ち取った原稿料だ。
羨ましいとか妬んだりするよりも、逆に輝かしい勲章だと思って尊敬度が増したよ。
ちなみに手塚治虫は、1ページ2万円以上にはしないと決めていたそうだ。
その理由は、原稿料を高くすると、注文が減るからだというんだ。
一本でも多くの作品を描きたいという、これも信念だよな。
もちろん噂なんだけどね。
原田さんに『ボーイズライフ』は全部で何冊、出版されているかを教えてもらった。
「創刊から休刊まで全77冊です。私は一冊持っていませんので76冊です」
そして、最後に一番気になっていたことを訊いたんだ。
「『ボーイズライフ』の購入価格、一番安い値段と高い値段を教えてください」
「貸本屋で大体50円くらいて売ってくれました。古本目録では1,500〜2,000円くらいですかね」
山田さんが、『ボーイズライフ・コレクション』をコンプリートする「最後の一冊」を明かさないのは、その本の「古本価格が高騰するからにちがいない」とぼくは睨んでいる。
4万5千冊の漫画コレクターの言動は、古書の市場価格にものすごい影響を与えるんだろうな。
終わり。