第18話  咲雪のいるところ。 5

文字数 1,184文字


 ぼくがシーツを取ろうとすると、子猫が「シャーッ」と両方の前足を振って威嚇する。
 シーツを持って帰ることが、この部屋にきた目的だということをアピールする必要がある。
 ぼくはなんとか子猫からシーツを奪い返した。
「あなたは拾ってくるだけで、ちっとも世話をしない。かえって可哀想よって、母によく叱られたわ」
 子猫は咲雪さんの足にまとわりついている。
「わざわざ探しているわけでも無いのに、出会っちゃうのよね。そうすると放っておけないのよ」
 咲雪さんにおなかをくすぐられて子猫は、寝ながら回転をする。
 窓の下で自動車の止まる音がした。

 咲雪さんが顔をしかめると、「その中に入って」
 犬に命令するように、カーテンを指した。
 ぼくをカーテンの陰に押し込む時に、背中に咲雪さんの手が触れた。
 ぼくは体を硬くした。

 小さくノックの音に続いてドアを開ける音。男の声が聞こえる。ぼくは両膝を抱えて、息をひそめた。咲雪さんが部屋を出て行った。
 目はぶら下がっている咲雪さんの服に張り付く。手を伸ばして、触りたくなる衝動を抑えた。
 甘い香りと、体臭の混じった匂いが嗅覚を刺激する。

 自動車が走り去る音がして、しばらくすると咲雪さんが戻ってきた。
「明日、必要な服を届けてもらったのよ」
 カーテンを開けて入って来た咲雪さんは、ハンガーに吊ってあるスーツをレールに引っ掛けた。
 素足の膝の裏が無防備に目の前にある。頭の中でサイレンが鳴った。
ヤバい! 
 と思った瞬間、ぼくは両手で抱きついて咲雪さんの太ももに頬を押し付けていた。
 ひんやりと冷たい感触に、はっとして離れた。馬が後ろ足で蹴り上げるシーンが浮かぶ。両手を顔の前で構えた。

「発情してるの?」
 咲雪さんが座り込んで、顔を近づけてきた。
 ぼくは咲雪さんを見つめる。
 口角がゆっくりと上がっていく。目を閉じると、咲雪さんの匂いが強くなる。唇が熱いものに触れた。

 不意に咲雪さんが立ち上がると、カーテンの外へ出て行った。
 取り残されたぼくは、汗をびっしょりかいている。このまま消えてしまいたい。
「オレンジとソーダー。どっちがいい?」
 何事も無かったような咲雪さんの声。
「ソーダーがいいです」ぼくはカーテンから這い出た。
 ふたりとも、いま起こったことに気付かないようなふりをした。
 ぼくの靴は、ドアの脇に置いてある開閉式のゴミBOXの中に入っていた。
 汚くて捨てたんじゃなくて、咲雪さんが隠したと思いたい。


 街灯の下を、シーツを胸に抱いてぼくは歩いた。
 時々、立ち止まって振り向く。咲雪さんの部屋は煌々と輝いていた。
 二日続けて咲雪さんの部屋の灯りは消えていた。
 三日目に明るい窓を見たとき胸が高まった。
 階段を昇ろうと指を鉄製の手すりに伸ばした。その冷たさにはっとする。
 咲雪さんの部屋に行く理由が見つからない。
 足を踏み出すことが出来なくなった。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み