第3話 ぼくのいるところ。 3
文字数 1,197文字
*
「そのTシャツ、すでに青とは言えないね」
女性は呆れたように言った。
十時過ぎの店内は空いていた。
窓際の席に向かいあう。店内に充満しているカレーの匂いをヒクヒクと嗅ぐ。
ウエイトレスが置いた水をひと息で飲み干した。
「アイスコーヒーでいい?」
「ホットで」
ぼくが答えると「カレーも食べる?」さり気なく訊いてくれた。
「食べます!」
すかさず答える。
メニューを穴のあくほど見て、インド風カレーの大盛り、ハンバーグをトッピングする。
「漫画家の先生たちは忙しいので、頼まれちゃったの」
女性は岡島咲雪(さゆき)と名乗った。
漫画の原作を書いていると言ってから、横の椅子に置いたリュックに手を入れた。
「実はね」と切り出すのをぼくはさえぎった。
「今日、求人を見た時に、ここだと思ったんです。すぐに中村橋に来てマンションを探しましたが、一時間歩いても見つけることが出来ませんでした」
電話と同じことを言った。
「もう、決まっちゃったのよね」
そう言うと咲雪さんは、リュックから取り出した白い封筒を「これ、交通費」とテーブルの真ん中に置いた。
「三日、いや一週間、働かせて下さい。その間のお金はいりません。一週間だけ、僕にチャンスを下さい」
「あたしにアピっても無駄よ。言付かって来ただけだから」
コップに残っている氷を口に入れた。
その固まりを奥歯で噛み砕くと、頭蓋骨の中に鋭い痛みが走った。
ぼくは両手で頭を押さえた。
「そんなに落胆されてもさ」
咲雪さんの誤解を、ぼくは訂正しなかった。
「描いたものも持って来てないみたいだし」
「カバンごと盗まれました。紙とペンさえあれば、すぐに描きます」
「盗まれたの?」
眉をあげて訊いた。
「過去がぎっしり詰め込んであったのが無くなって、かえってスッキリしました」
「そうかぁ。そういう考えの人なんだ」
ソファーに深くもたれ込んだ咲雪さんは、しばらくぼくを見つめていた。
「スケッチブックを買ってくるわ」
咲雪さんが立ち上がったので、ぼくは腰を浮かせた。
「キミはここで待っていてよ」
「ここの分のお金を、置いて行って下さい」
咲雪さんの目が大きくなった。
「あたしは逃げないわよ」
リュックの後ろポケットからサイフを取り出した咲雪さんは、千円札を二枚、封筒の横に並べた。
赤いリュックを背負った咲雪さんが店を出て行くのを見届けてから、ぼくは封筒に手を伸ばして、テーブルの下で開け口を広げる。
千円札が一枚入っていた。慎重に元の位置に戻す。
ウエイトレスがカレーを運んでくると、おおい被さるように鼻を近づけた。腹がキュルルと鳴り続ける。
咲雪さんが、A4サイズのスケッチブックを持って戻って来た。
「食べてればよかったのに」
「いただきます」
カレーを山盛りにすくったスプーンを口に入れた。
スパイシーな味が脳からつま先まで染み渡る。
いっきに掻きこみたい衝動を抑えて、じっくりと味わう。
「そのTシャツ、すでに青とは言えないね」
女性は呆れたように言った。
十時過ぎの店内は空いていた。
窓際の席に向かいあう。店内に充満しているカレーの匂いをヒクヒクと嗅ぐ。
ウエイトレスが置いた水をひと息で飲み干した。
「アイスコーヒーでいい?」
「ホットで」
ぼくが答えると「カレーも食べる?」さり気なく訊いてくれた。
「食べます!」
すかさず答える。
メニューを穴のあくほど見て、インド風カレーの大盛り、ハンバーグをトッピングする。
「漫画家の先生たちは忙しいので、頼まれちゃったの」
女性は岡島咲雪(さゆき)と名乗った。
漫画の原作を書いていると言ってから、横の椅子に置いたリュックに手を入れた。
「実はね」と切り出すのをぼくはさえぎった。
「今日、求人を見た時に、ここだと思ったんです。すぐに中村橋に来てマンションを探しましたが、一時間歩いても見つけることが出来ませんでした」
電話と同じことを言った。
「もう、決まっちゃったのよね」
そう言うと咲雪さんは、リュックから取り出した白い封筒を「これ、交通費」とテーブルの真ん中に置いた。
「三日、いや一週間、働かせて下さい。その間のお金はいりません。一週間だけ、僕にチャンスを下さい」
「あたしにアピっても無駄よ。言付かって来ただけだから」
コップに残っている氷を口に入れた。
その固まりを奥歯で噛み砕くと、頭蓋骨の中に鋭い痛みが走った。
ぼくは両手で頭を押さえた。
「そんなに落胆されてもさ」
咲雪さんの誤解を、ぼくは訂正しなかった。
「描いたものも持って来てないみたいだし」
「カバンごと盗まれました。紙とペンさえあれば、すぐに描きます」
「盗まれたの?」
眉をあげて訊いた。
「過去がぎっしり詰め込んであったのが無くなって、かえってスッキリしました」
「そうかぁ。そういう考えの人なんだ」
ソファーに深くもたれ込んだ咲雪さんは、しばらくぼくを見つめていた。
「スケッチブックを買ってくるわ」
咲雪さんが立ち上がったので、ぼくは腰を浮かせた。
「キミはここで待っていてよ」
「ここの分のお金を、置いて行って下さい」
咲雪さんの目が大きくなった。
「あたしは逃げないわよ」
リュックの後ろポケットからサイフを取り出した咲雪さんは、千円札を二枚、封筒の横に並べた。
赤いリュックを背負った咲雪さんが店を出て行くのを見届けてから、ぼくは封筒に手を伸ばして、テーブルの下で開け口を広げる。
千円札が一枚入っていた。慎重に元の位置に戻す。
ウエイトレスがカレーを運んでくると、おおい被さるように鼻を近づけた。腹がキュルルと鳴り続ける。
咲雪さんが、A4サイズのスケッチブックを持って戻って来た。
「食べてればよかったのに」
「いただきます」
カレーを山盛りにすくったスプーンを口に入れた。
スパイシーな味が脳からつま先まで染み渡る。
いっきに掻きこみたい衝動を抑えて、じっくりと味わう。