11 浦山 稔  『ヤングコミック』大・大・大好き! 3 宮谷一彦

文字数 1,432文字


 いよいよ『宮谷一彦』だ~。
 まずは、いつものようにフリー百科事典『ウィキペディア』のお世話になります。
                    ※掲載に問題があれば即刻削除します。
『宮谷 一彦(みやや・かずひこ)』
 1945年~2022年。大阪府出身。
 先進的な漫画技法と文学的な作風によって1960年代後半から1970年代前半にかけてカリスマ的な人気を博した。





 石ノ森章太郎に憧れ、漫画家になることを目指す。高校在学時より、休みの度に上京し、石ノ森章太郎の仕事場を訪ねて漫画の制作過程を直に学ぶ。
 卒業後に改めて上京し、国分寺に下宿、漫画家を目指すもうまくいかず、四日市に戻り、就職してイラストを描く仕事につく。
 1967年、「ねむりにつくとき」『COM」5月号、月例新人賞受賞作でデビュー。
 




 1969年、『ヤングコミック』で革命集団によるクーデターを描いた「太陽への狙撃」、1970年執筆の「性蝕記」がヒットし時代の寵児となる。
 


          *1971年07月二〇日 発行虫プロ商事。 定価320円


 1971年、右翼の実力者の娘と駆け落ちをして話題となる。
 彼女との恋愛は、私漫画作品『ライク ア ローリング ストーン』の中でも描かれている。
 また、当時出版された単行本には宮谷と妊娠5が月の妻のヌード写真が掲載されている(しかし2人はその後離婚)。
 1973年には梶原一騎と組み、グレート東郷をモデルとしたプロレス漫画「プロレス地獄変」を執筆。
 その後も政治や若者の風俗を描いた作品を多数発表するかたわらシュールな作品も発表する。 
 1976年に『ヤングコミック』に連載された「肉弾時代」は、三島由紀夫と思われる人物を題材に過剰なまでのナルシシズムを描き高い評価を得た。





 学生運動の熱気が冷めて以降、70年代末から徐々に発表する作品数が減っていく。1980年、『ビッグコミックスピリッツ』創刊号より「虎の娘」を連載するも12話で終了となる。以降の作品は数えるほどしかない。執筆活動を行っていない時期は文化財の保護や野鳥を保護する仕事をしていたという。現在はインターネットを使っての発表が主である。





 2017年、『ライク ア ローリングストーン』が初単行本化されると共に、Amazon Kindleによる復刻が始まっている。

2021年、『ヤングキングアワーズ』8月号に、1999年の「白鷺心中」以来22年ぶりの雑誌メディア掲載作となる「虎の娘(序)トラウマ」が発表される。
 ただしこれは新作ではなく、1981年に連載が終了した前記「虎の娘」のスピンオフ作品として執筆されるも長らく未発表となっていた作品に一部手を加えたものであった。
 2022年6月28日午後6時ごろ、心不全により死去[5]。千葉県内の自宅で倒れているところを発見されたという。76歳没。

 画風は当時として異質なほど緻密であり、スクリーントーンを重ね貼りしたり、その表面を削って絵の立体感や材質感等を表現する技法は宮谷とそのアシスタントたちが確立したといわれている。大友克洋をはじめとする多くの漫画家に多大な影響を与えた。
はっぴいえんどのアルバム「風街ろまん」のジャケット画も手がけている[6]。





 ぼくが一番好きな漫画家だったのに、出身が同じ大阪だということも、去年に亡くなっていたことも知らなかった。
 76歳か……。




浦山 稔  『ヤングコミック』大・大・大好き! 4 に続く。
 

 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み