第39話 これは これは これは 24 『横みち友の会』の人々

文字数 1,584文字


『マリネエンタープライズ』という名前のプロダクションは、漫画原作者の牛次郎が声をかけて作ったばかりだった。
 漫画部門には、たがわ靖之、左近士諒、制野秀一、そして2人のアシスタントがいた。
 原作部門は、3人でそのうちの1人は女性で法政大学の4回生だった。
 

 漫画原作者の牛次郎の名前は、週刊少年マガジンの「釘師サブやん」(1971年から連載)で知っていたけど、たがわ靖之、左近士諒、制野秀一さんのことは全くしらなかった。

 
『牛次郎(ぎゅう・じろう)』(ウィキペディア)より引用。』
 1940年生まれ。東京市浅草区出身。
 漫画原作者・僧侶・小説家・作曲家・建築家。
 フリーライターとして週刊現代やプレイボーイにも関わる一方、パチンコを題材とした小説原稿「釘師」をベースとした「釘師サブやん」(作画:ビッグ錠)で劇画原作者としてデビュー。その後もビッグ錠とのコラボレーションを続け『包丁人味平』『スーパーくいしん坊』で一世を風靡。





 牛次郎の経歴も、今回の投稿で初めて知ったんだけど、もの凄い人生の荒波を生き抜いている人だと知って驚いているんだ。

 ペンネーム「牛次郎(ぎゅう・じろう)」は、劇画界をぎゅうじろうとの意味だと聞いた覚えがある。

 漫画部門の5人は、みんな横山プロダクションから移ってきたということはすぐに知ったのだが、ぼくが『横みち友の会』のことを忘れてしまっていたので、話題にすらあがらなかった。

『たがわ 靖之(たがわ やすゆき)』
 1946年~2000。熊本県熊出身。
 漫画家を目指し高校卒業後上京、横山まさみちのアシスタントとなる。翌年、貸本漫画『あぁ青春特別号「初恋」』(横山プロ)で貸本漫画デビュー。1974年、『週刊漫画ゴラク』掲載「黄金大作戦」で一般漫画誌デビュー。 
 1976年、『週刊少年サンデー』に史村翔原作で寿司をテーマにした読み切り料理マンガ「命にぎり」を執筆。その後の1978年に『週刊漫画TIMES』に「鉄火の巻平」を連載。以降、劇画誌で料理漫画を中心に執筆。





 普通は1人の先生に複数のアシスタントなんだけど、3人の先生にぼくを含めて3人のアシスタントだから、それぞれワンツーマンで担当するのかと思っていたら、そうではなくてアシスタント全員で3人を担当するんだ。

 つまり、宣誓が締切が終ってやれやれと、身体を休めているときに、ぼくたちは違う先生の締切に追われるのだ。先生たちの締切が重なったり、原稿が遅れたりすると悲惨な状態になることはわかって貰えると思う。

『左近士 諒(さこんじ・りょう』
1947年生れ。
横山まさみちに師事し、1972年「ピンキーターゲット」にてデビュー。





 ぼくは牛次郎の豪邸の2階を宿舎として用意してもらっていたんだけど、寝床はプロダクションの押し入れの上段だった。

 今も覚えている夢があるんだけど、ぼくが原画の背景にスクリーントーンを貼っていると、横から指が出てきて、次々と剥がしていくんだ。
 ぼくは怒ることなく貼り続け、指は剥がし続ける。

 夢から覚めてから、面白話としてみんなに言ったところ、誰も笑わなかった。

 締切に間に合わないときは、数人が助っ人としてきたが、彼らも横山プロダクションだったんだ。

 ぼくの後から入ったアシスタンド・中野喜雄は、後輩になるんだけれど、年上で絵がうまかったんだ。
 人物の背景ではなくて、大きなコマをすぐに任された。

 原稿を取りに来た編集者と知り合いだったことがわかった。
「あれ、どうしてアシスタントやってるの?」
「結婚したもので」
 売れないとお金にならない持ち込み原稿を描くよりも、定収入を得られるアシスタントを選択したのだ。
すでにプロデビューしていたのだ。

 すぐに独立したが、牛次郎ではなくて、梶原一騎の原作「人間兇器」をえがいている。






 これは これは これは 19 に続く。

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