第36話 

文字数 1,059文字


 少し落ち着いて周りを見ることができた。
 木の床の室内は広く、張り出している壁以外は全て取り外してあった。
 壁には横長の棚がふんだんにあって、等間隔に仕切られていた。
 本や衣装箱、照明機器などに分類してあった。
 窓は防音のためか二重になっていたが、そこから見える鬱蒼(うっそう)とした木立ちが涼しさを感じさせる。
「座長さんやメンバーは、富田が姿を消したことをどう考えているんですか?」
「ここは、来る者は拒まず。去る者は追わずだ。三か月、連絡がなければ荷物を処分すると、最初に言ってある」
「探してみてもいいですか?」
「上には誰もいないが、見てくればいい。念の為に便所と風呂もな。それに、蚊や虫に襲われることを覚悟するなら、裏庭のガレージの中もな」
「二階には、一人で行ってもいいんですか」
「盗まれる物は何もない。それに、隠して持ち出すことも出来ない」
 座長は、ぼくが股間を隠していた右手に目をやった。

 ぼくは一階の便所や風呂場を覗いてから、台所の横にある狭い階段を上がった。
 磨き込んで黒光りしている廊下は、踏みしめると軋(きし)んだ音をたてた。
 廊下の両側に並んでいる襖(ふすま)の片側は全て開かれていて、心地のいい風が股間を通り抜ける。
 階下から、何かを暗誦するような低く抑揚のない声が聴こえてきた。
 ひとつの音階からゆるやかに次の音階へと変化していく。
 ぼくはそれを聴きながら、軋む廊下をゆっくりと進んだ。

 部屋は六畳であったり、八畳であったりした。
 どの部屋にも家具らしいものは置いてなくて、窓の下に三段のカラーボックスが二個、横にして並べてあるだけだった。
 その中に、私物らしい本や箱などが詰めてある。
 部屋ごとにカラーボックスが白色であったり、黄色であったり、緑色、橙(だいだい)色だったりと異なっている。
 壁や襖で仕切られた六部屋は、カラーボックスの上に置いてある小物の色や種類で男女の棲み分けが想像できた。

 部屋に入ってカラーボックスの中を見て、富田の所持品を探した。
 夕日の射す一番奥の六畳間、黄色のカラーボックスの中に『限りなく透明に近いブルー』の単行本を見つけた。
『群像』の六月号や大型の封筒などと一緒に横積みしてある。
 封筒には原稿がはいっているようだ。

 富田はここで暮らしていたのか……。
 小説はカラーボックスの上、それとも寝そべって書いていたのか。
 この開け放された空間の中で孤独を保ち続けることは、ぼくにはとうてい出来ない。

 風に乗って運ばれる階下からの声が、何か祈りであるように思えた。
 
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