第11話 準備は、わいがや 6 オマケの漫画原画 1
文字数 2,023文字
2023・10・29(日)
今では信じられないことなんだけど、漫画家が描いた原稿が、漫画本を買ったオマケに付いていた時代があったんだ。
ぼくの手元に、いま13枚の原画がある。
*
山田さん。オマケ漫画を発見しました!
ここからは、漫画原稿の裏にいろいろ書いてありました。
ビクトリー作画会と裏書きしてある漫画原稿の1枚に、
<大石まどか氏>と記入してあったので、
『大石まどか』でネット検索すると、ヒットしたのは女性の演歌歌手だけでした(笑)。
まだまだ多くの漫画家が埋もれたままになっていますね。
旭丘光志の原画です。
ネットで検索すると、旭丘光志(あさおか・こうじ、1938年1月2日 - )は、樺太豊原市出身の作家、ジャーナリスト、デザイナー、漫画家、シナリオライター
とありました。才能豊かな人だったようです。
(裏面の文字)旭丘光志氏 皆殺し
ビクトリー作画会の文字が書いていました。
ヤフオクで、 <「皆殺し」 旭丘光志/大長編本格劇画 文華書房> が出品されていましたよ。
ぼくの好きな、沼田 清(ぬまた・きよし)もありました。
フリー百科事典『ウィキペディアによると、1941年10月~1996年。京都府出身。
「手に石」という16ページの短編を描き上げ、日の丸文庫に持ち込んだところ、貸本誌『影』への掲載が決まりデビュー作となる(1962年)。
19歳で貸本漫画にデビューしたようですね。
かっこいい探偵物語を描いていて、K・元美津(ケー もとみつ)と共に、アメリカのテレビドラマを見ているような感じで、夢中になって読んでいました。
東京日の丸文庫 沼田清 サスペンスミステリー 犬堪助探偵シリーズ 罪と罰(SSS事件)
まんだらけ Mandarake より 画像拝借。
ちなみに、K・元美津は、1935年4月~1996年。京都府出身。
京都の中学校の同級生に山森ススムがいて、共に漫画を描き始めたという。
働きながら貸本出版社に漫画を持ち込んで、1957年、セントラル文庫より「彼奴らを逃がすな」で貸本漫画デビュー。
二人とも、京都出身で、1996年に亡くなっている。妄想で、死期を感じた二人が、お互いに最後の漫画を描くなんてことを小説に書いても面白そうだな。
それにK・元美津と、ぼくの大好きな山森ススムが同級生だったとは驚きだ。
三人に共通しているのは、手塚治虫と、さいとうたかおの中間といってもいいかもしれないが、しゃれた線画だと思う。柔かいペンタッチは、京都の風土と関係があるのかな。
やばい! あれこれ考えたり。調べ始めると時間ばかり経ってしまうので、どんどんやばくなる。
やばいのは、毎日投稿している『無花果(いちじく)』なんだけど、まずは、これを書き終わらないといけない。
沼田 清 下の絵を小下2枚で撮影したのは、裏面に <少年キング㉔ 「怪獣王子」> と書いてあるからだ。ペンタッチの違いが気になるけど、とにかく写したんだ。
上段 1コマ 青年の顔
表面左上に横書きで <1967-6-4> と手書きしてある。
下段 セリフの漢字には全てルビがふってある。
「犯人はもう逃げちまったよ。わからんのか! くそをっ!」
「非常線を張るよう連絡するんだッ!」
上段 (裏面の文字)
スピリット作画会 少年キング㉔ 「怪獣王子」一号
住所と氏名をスタンプで押印
下段 (裏面の文字)
沼田清先生の原画 少年キング㉔ 「怪獣王子」より一号
『怪獣王子』(かいじゅうおうじ)は、1967年10月2日から1968年3月25日までフジテレビ系で毎週月曜19:30 - 20:00に全26話が放送された、「日本特撮株式会社」製作の特撮テレビ番組。カラー作品。提供はロッテ一社。
漫画版
『少年画報』 1967年1月号 - 1967年12月号・作画:石川球太。
1968年1月号 - 1968年3月号・作画:光山しょうじ。
『週刊少年キング』 1967年1号 - 1967年48号・作画:園田光慶。
1967年49号 - 1968年10号・作画:渡おさむ。
沼田清の名前が出てこないのは、どうしてなのかな?
それに、上段のコマは園田光慶の絵に間違いないし、下段は沼田清ですよね。
共作というのも考えられないし、沼田清の裏書が単に間違っているだけかもしれません。
これは、山田さんに書庫で『週刊少年キング』 1967年発行の
㉔は24号か、それとも<1967-6-4>を調べてもらうしかない!!
よろしくお願いします。
どうやら、『スピリット作画会』、『ビクトリー作画会』と裏に書いてあるのは、単行本のオマケではないようです。
この作画会についてもご存じなら、教えてください。
準備は、わいがや 7 に続く。
今では信じられないことなんだけど、漫画家が描いた原稿が、漫画本を買ったオマケに付いていた時代があったんだ。
ぼくの手元に、いま13枚の原画がある。
*
山田さん。オマケ漫画を発見しました!
ここからは、漫画原稿の裏にいろいろ書いてありました。
ビクトリー作画会と裏書きしてある漫画原稿の1枚に、
<大石まどか氏>と記入してあったので、
『大石まどか』でネット検索すると、ヒットしたのは女性の演歌歌手だけでした(笑)。
まだまだ多くの漫画家が埋もれたままになっていますね。
旭丘光志の原画です。
ネットで検索すると、旭丘光志(あさおか・こうじ、1938年1月2日 - )は、樺太豊原市出身の作家、ジャーナリスト、デザイナー、漫画家、シナリオライター
とありました。才能豊かな人だったようです。
(裏面の文字)旭丘光志氏 皆殺し
ビクトリー作画会の文字が書いていました。
ヤフオクで、 <「皆殺し」 旭丘光志/大長編本格劇画 文華書房> が出品されていましたよ。
ぼくの好きな、沼田 清(ぬまた・きよし)もありました。
フリー百科事典『ウィキペディアによると、1941年10月~1996年。京都府出身。
「手に石」という16ページの短編を描き上げ、日の丸文庫に持ち込んだところ、貸本誌『影』への掲載が決まりデビュー作となる(1962年)。
19歳で貸本漫画にデビューしたようですね。
かっこいい探偵物語を描いていて、K・元美津(ケー もとみつ)と共に、アメリカのテレビドラマを見ているような感じで、夢中になって読んでいました。
東京日の丸文庫 沼田清 サスペンスミステリー 犬堪助探偵シリーズ 罪と罰(SSS事件)
まんだらけ Mandarake より 画像拝借。
ちなみに、K・元美津は、1935年4月~1996年。京都府出身。
京都の中学校の同級生に山森ススムがいて、共に漫画を描き始めたという。
働きながら貸本出版社に漫画を持ち込んで、1957年、セントラル文庫より「彼奴らを逃がすな」で貸本漫画デビュー。
二人とも、京都出身で、1996年に亡くなっている。妄想で、死期を感じた二人が、お互いに最後の漫画を描くなんてことを小説に書いても面白そうだな。
それにK・元美津と、ぼくの大好きな山森ススムが同級生だったとは驚きだ。
三人に共通しているのは、手塚治虫と、さいとうたかおの中間といってもいいかもしれないが、しゃれた線画だと思う。柔かいペンタッチは、京都の風土と関係があるのかな。
やばい! あれこれ考えたり。調べ始めると時間ばかり経ってしまうので、どんどんやばくなる。
やばいのは、毎日投稿している『無花果(いちじく)』なんだけど、まずは、これを書き終わらないといけない。
沼田 清 下の絵を小下2枚で撮影したのは、裏面に <少年キング㉔ 「怪獣王子」> と書いてあるからだ。ペンタッチの違いが気になるけど、とにかく写したんだ。
上段 1コマ 青年の顔
表面左上に横書きで <1967-6-4> と手書きしてある。
下段 セリフの漢字には全てルビがふってある。
「犯人はもう逃げちまったよ。わからんのか! くそをっ!」
「非常線を張るよう連絡するんだッ!」
上段 (裏面の文字)
スピリット作画会 少年キング㉔ 「怪獣王子」一号
住所と氏名をスタンプで押印
下段 (裏面の文字)
沼田清先生の原画 少年キング㉔ 「怪獣王子」より一号
『怪獣王子』(かいじゅうおうじ)は、1967年10月2日から1968年3月25日までフジテレビ系で毎週月曜19:30 - 20:00に全26話が放送された、「日本特撮株式会社」製作の特撮テレビ番組。カラー作品。提供はロッテ一社。
漫画版
『少年画報』 1967年1月号 - 1967年12月号・作画:石川球太。
1968年1月号 - 1968年3月号・作画:光山しょうじ。
『週刊少年キング』 1967年1号 - 1967年48号・作画:園田光慶。
1967年49号 - 1968年10号・作画:渡おさむ。
沼田清の名前が出てこないのは、どうしてなのかな?
それに、上段のコマは園田光慶の絵に間違いないし、下段は沼田清ですよね。
共作というのも考えられないし、沼田清の裏書が単に間違っているだけかもしれません。
これは、山田さんに書庫で『週刊少年キング』 1967年発行の
㉔は24号か、それとも<1967-6-4>を調べてもらうしかない!!
よろしくお願いします。
どうやら、『スピリット作画会』、『ビクトリー作画会』と裏に書いてあるのは、単行本のオマケではないようです。
この作画会についてもご存じなら、教えてください。
準備は、わいがや 7 に続く。