第5話

文字数 1,137文字


 ぼくがアパートから出て壁伝いに狭い通路を抜けようとしたときに、富田が入って来て道をふさいだ。
 富田とは不思議によく出会う。
 作務衣(さむえ)姿で剃髪なので目につきやすいからかもしれないけど、曲がり角で出合い頭にぶつかりそうになったこともある。
「浦山さん、凄い新人が出てきました」
 手に持っている雑誌を突き出した。
 見ると、月刊雑誌『群像』の六月号だった。

「群像新人賞の受賞作を読んでください。村上龍の『限りなく透明に近いブルー』を!」
 富田の三白眼が興奮で血走っている。
 作家志望の富田は、早稲田大学の文学部に籍を置いているけど、『ザ・ラタイ座』という舞踏グルーブに属していて、阿佐ヶ谷にあるラタイ館で共同生活をしていた。
「駅で待ち合わせをしているんだ。話はあとで聞くからさ」
「何を言ってるんですか! これは、詩人である浦山さんにとっても、エポックを画する作品です!」
 富田が、ぼくを部屋に押し返そうとする勢いで言った。
 ぼくは、同人誌に漫画とは別に詩やエッセイも書いていて、富田は文章を評価してくれていた。
「ちょっと、声を落とせよ。喧嘩してると思って見ているよ」
 ぼくの身長は富田より、顔半分ぐらい高い。
 剃ったあたまの向こうに、中通りからこちらを気にして立ち止まっている人がいた。
「喧嘩じゃないから、ほっとけばいいですよ」
「だからさ、人と会う約束をしてるんだ。先に高橋と話してくればいいよ。日曜だからバイトは夜からのはずだし部屋にいると思う」
「ヤツは読みが浅すぎて駄目です。俺は浦山さんと話したいんです」
 富田の迫力に負けて少し後ずさった。
 ちょっとした用事なら、いつものように富田を受け入れたけど、今日は大事な約束をしていた。
 ぼくは踏み止まって、富田の両肩を押し返した。
 手のひらに張りのある筋肉を感じる。ぼくより背は低いけど、体感を鍛えている富田はびくともしなかった。
「浦山さん、待ち合わせの相手は女性ですね」
 富田が言い当てた。

 アルバイト先で知り合った豊橋三奈とは、駅の改札口で二時に待ち合わせていた。
「そう。高円寺を案内するんだ」
 ぼくの言葉で、富田が道を譲ると思ったけどまだ動かない。
「ここの部屋に連れてくるつもりなんですか?」
「いや、もう河辺さんに頼んで、部屋を使わせてもらうことになっている」
 近くに住んでいる河辺さんはレコードを収集していてオーディオデッキも揃えていた。
 フローリングの八畳の部屋は上品な雰囲気があるので、ぼくたちは居間のようにして使わせてもらっている。
 あと一カ所、本人が留守をしていても自由に使える部屋があった。
「やっぱそうですよね。美沙子さんも二度と来たくないって言ってますから」
 美沙子さんは、富田が熱をあげている女性だ。

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