第27話 これは これは これは 12 新事実!
文字数 2,465文字
ニュースが飛び込んできたので、それを先に書くことにするよ。
2023・12・1(金)
*
おはようございます。
昨日、漫画仲間の所へ行ってきました。
そこで本の整理を手伝った所、『少年キング』のダブり本を数冊譲ってもらいました。
夜遅く帰宅したものですから、さっきその本をチェックした所、以前画像を送っていただいた
園田光慶の『怪獣王子』の絵ではないかな?
というのがありましたので、画像を送ります。
『怪獣王子』の画像は 1967年6月11日 24号の表紙です。
しかし、これは表紙絵ですので大きさが違うのではと思ったけど、絵の構図ですので間違いないかと思います。
チェックお願いします。
また、その人にも『無花果』と『貸本あれこれ』を、その場で教えましたので今頃読んでいるのではないかな?
今月上旬は、他に頼まれた原稿書きがありますので、すぐに連絡が出来ないと思いますので、その時はごめんなさいです。
ついでにまだあった貸本原稿の画像を送ります。
旭丘光志の一ページと佐藤よしろうの次号予告と読者投稿ページです。
後ひとつは、あだち充の11歳(小6)の時の投稿作品です。流石すごいですの一言です。
『旭丘光志』の原画
『佐藤よしろう』の原画。
*原画では、写植が貼ってあるが、印刷は白ヌキ文字になっている。
『佐藤寿朗(さとう・としろう)』
1936年 ~2018年。福島県出身。
別名 佐藤トシロー、佐藤よしろう、北竜一郎、三上タローなど。
1954年、会津若松市の印刷所でデザイナーしながら、佐藤トシローの名前で、『アサヒグラフ』、『読売グラフ』に投稿し入選する。福島民報、福島民友に社会漫画を掲載。
1957年、会津漫画研究会に入会、同年9月に上京。
1958年、佐藤よしろうの名前で、貸本漫画のあかしや書房やひばり書房から短編作品を発表。
1959年、同郷の平田昭吾の紹介で手塚治虫と会い師事。手塚作品を手伝う。
1960年、少年誌『少年クラブ増刊号』などに作品発表するが、主に劇画作家として貸本専門の単行本を発表。東京トップ社のスリラーシリーズ、剣豪伝シリーズなど多数の作品を発表。
1966年、平田昭吾の運営する智プロに誘われ参加。手塚の「火の鳥」、「マグマ大使」、「ブラックジャック」などを手伝う。
*
いいな、いいな。
漫画仲間が通える場所にいるなんて、いいな。
話がはずむんだろうな。
おまけに、ダブってる漫画本を譲ってくれるんだもんな。
『類は友を呼ぶ』だ。
「気の合う者や似通った者同士は、自然に寄り集まって仲間を作る」って、これぼくたちもだよな。
*
山田さん。
画像と情報。ありがとうございます。
友人の方に、『無花果(いちじく)』もPRしていただき、これもありがとうございます。
その友人の方は『貸本あれこれ』に思い出を書く気はないですか?
画像付きの原稿は大歓迎です(笑)。
浦山 稔
*
『無花果(いちじく)』と『貸本あれこれ』を書くのに追われていたので、画像を見ないで返信をした。
『園田光慶の怪獣王子』
ようやく、明日の投稿原稿ができたので、熱いコーヒーを飲みながら山田さんが送ってくれた画像を見た。
ぼくが持っているオマケの原画。
表面左上に <1967-6-4> と手書きしてある
山田さんが、
<『怪獣王子』の画像は 1967年6月11日 24号の表紙です。>
と教えてくれた日にちと違うのは、週刊誌の発売が早いからだろう。
(裏面の文字)
スピリット作画会 少年キング㉔ 「怪獣王子」一号
住所と氏名をスタンプで押印
『第11話 準備は、わいがや 6 オマケの漫画原画 1』
で書いたことなんだけど、ここでも書いておくね。
『怪獣王子』
1967年10月2日から1968年3月25日までフジテレビ系で放送された。
毎週月曜19:30 ~20:00に全26話。『日本特撮株式会社』製作の特撮テレビ番組。
カラー作品。提供はロッテ一社。
漫画版
『少年画報』 1967年1月号 ~1967年12月号・作画:石川球太。
1968年1月号 ~1968年3月号・作画:光山しょうじ。
『週刊少年キング』 1967年1号 ~1967年48号・作画:園田光慶。
1967年49号 ~1968年10号・作画:渡おさむ。
どうやら、これは園田光慶の原画ではないようだ。
なにしろ『週刊少年キング』だもんな。
『少年画報社』が原画を切り刻んで、読者プレゼントすることは考えられないよな。
新事実!
と大げさに書いたのは、本物の原画の中に、偽物が混ざっていたってことなんだ。
でも上手いよな。このカットを書いた人。
*
2023・12・3(日)
今晩は。山田甲八です。
『怪獣王子』の画像の件ですが、なんとなく判りました。
浦山さん所有の『怪獣王子』の絵は私が送った画像とは大きさが違うと思います。
キングのは表紙ですから、本来なら大きいはず。
浦山さんの所有のには、裏に 荒井政良志の印がありましたね。
しかも絵は10cm四方位でしたね。
これが園田光慶の原画だったら大きい筈です。
結論です!
この絵は荒井政良志さんの投稿作品という事です。
その絵が紛れて送られてきたのではないかと、思うのですが、どうでしょう?
背景の効果線も違いますから、似顔絵投稿作品ではないかと思います。
浦山さんはどう思いますか?
*
山田さんは、ぼくが持っている漫画の原画のことを気にしてくれていたんだな。
ありがたいことだ。
おかげで、ずっと引き出しの隅で眠っていたのに、こうして脚光を浴びることになった。
*
山田さん。
じつは、ぼくも同じことを考えていたんですよ。
貸本漫画と違って。『週刊少年キング』ですものね。
『少年画報社』が原画を切ってプレゼントする必要はありませんよね。
これで、書くネタがひとつ出来ました(笑)。
浦山 稔
これは これは これは 13 に続く。
2023・12・1(金)
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おはようございます。
昨日、漫画仲間の所へ行ってきました。
そこで本の整理を手伝った所、『少年キング』のダブり本を数冊譲ってもらいました。
夜遅く帰宅したものですから、さっきその本をチェックした所、以前画像を送っていただいた
園田光慶の『怪獣王子』の絵ではないかな?
というのがありましたので、画像を送ります。
『怪獣王子』の画像は 1967年6月11日 24号の表紙です。
しかし、これは表紙絵ですので大きさが違うのではと思ったけど、絵の構図ですので間違いないかと思います。
チェックお願いします。
また、その人にも『無花果』と『貸本あれこれ』を、その場で教えましたので今頃読んでいるのではないかな?
今月上旬は、他に頼まれた原稿書きがありますので、すぐに連絡が出来ないと思いますので、その時はごめんなさいです。
ついでにまだあった貸本原稿の画像を送ります。
旭丘光志の一ページと佐藤よしろうの次号予告と読者投稿ページです。
後ひとつは、あだち充の11歳(小6)の時の投稿作品です。流石すごいですの一言です。
『旭丘光志』の原画
『佐藤よしろう』の原画。
*原画では、写植が貼ってあるが、印刷は白ヌキ文字になっている。
『佐藤寿朗(さとう・としろう)』
1936年 ~2018年。福島県出身。
別名 佐藤トシロー、佐藤よしろう、北竜一郎、三上タローなど。
1954年、会津若松市の印刷所でデザイナーしながら、佐藤トシローの名前で、『アサヒグラフ』、『読売グラフ』に投稿し入選する。福島民報、福島民友に社会漫画を掲載。
1957年、会津漫画研究会に入会、同年9月に上京。
1958年、佐藤よしろうの名前で、貸本漫画のあかしや書房やひばり書房から短編作品を発表。
1959年、同郷の平田昭吾の紹介で手塚治虫と会い師事。手塚作品を手伝う。
1960年、少年誌『少年クラブ増刊号』などに作品発表するが、主に劇画作家として貸本専門の単行本を発表。東京トップ社のスリラーシリーズ、剣豪伝シリーズなど多数の作品を発表。
1966年、平田昭吾の運営する智プロに誘われ参加。手塚の「火の鳥」、「マグマ大使」、「ブラックジャック」などを手伝う。
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いいな、いいな。
漫画仲間が通える場所にいるなんて、いいな。
話がはずむんだろうな。
おまけに、ダブってる漫画本を譲ってくれるんだもんな。
『類は友を呼ぶ』だ。
「気の合う者や似通った者同士は、自然に寄り集まって仲間を作る」って、これぼくたちもだよな。
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山田さん。
画像と情報。ありがとうございます。
友人の方に、『無花果(いちじく)』もPRしていただき、これもありがとうございます。
その友人の方は『貸本あれこれ』に思い出を書く気はないですか?
画像付きの原稿は大歓迎です(笑)。
浦山 稔
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『無花果(いちじく)』と『貸本あれこれ』を書くのに追われていたので、画像を見ないで返信をした。
『園田光慶の怪獣王子』
ようやく、明日の投稿原稿ができたので、熱いコーヒーを飲みながら山田さんが送ってくれた画像を見た。
ぼくが持っているオマケの原画。
表面左上に <1967-6-4> と手書きしてある
山田さんが、
<『怪獣王子』の画像は 1967年6月11日 24号の表紙です。>
と教えてくれた日にちと違うのは、週刊誌の発売が早いからだろう。
(裏面の文字)
スピリット作画会 少年キング㉔ 「怪獣王子」一号
住所と氏名をスタンプで押印
『第11話 準備は、わいがや 6 オマケの漫画原画 1』
で書いたことなんだけど、ここでも書いておくね。
『怪獣王子』
1967年10月2日から1968年3月25日までフジテレビ系で放送された。
毎週月曜19:30 ~20:00に全26話。『日本特撮株式会社』製作の特撮テレビ番組。
カラー作品。提供はロッテ一社。
漫画版
『少年画報』 1967年1月号 ~1967年12月号・作画:石川球太。
1968年1月号 ~1968年3月号・作画:光山しょうじ。
『週刊少年キング』 1967年1号 ~1967年48号・作画:園田光慶。
1967年49号 ~1968年10号・作画:渡おさむ。
どうやら、これは園田光慶の原画ではないようだ。
なにしろ『週刊少年キング』だもんな。
『少年画報社』が原画を切り刻んで、読者プレゼントすることは考えられないよな。
新事実!
と大げさに書いたのは、本物の原画の中に、偽物が混ざっていたってことなんだ。
でも上手いよな。このカットを書いた人。
*
2023・12・3(日)
今晩は。山田甲八です。
『怪獣王子』の画像の件ですが、なんとなく判りました。
浦山さん所有の『怪獣王子』の絵は私が送った画像とは大きさが違うと思います。
キングのは表紙ですから、本来なら大きいはず。
浦山さんの所有のには、裏に 荒井政良志の印がありましたね。
しかも絵は10cm四方位でしたね。
これが園田光慶の原画だったら大きい筈です。
結論です!
この絵は荒井政良志さんの投稿作品という事です。
その絵が紛れて送られてきたのではないかと、思うのですが、どうでしょう?
背景の効果線も違いますから、似顔絵投稿作品ではないかと思います。
浦山さんはどう思いますか?
*
山田さんは、ぼくが持っている漫画の原画のことを気にしてくれていたんだな。
ありがたいことだ。
おかげで、ずっと引き出しの隅で眠っていたのに、こうして脚光を浴びることになった。
*
山田さん。
じつは、ぼくも同じことを考えていたんですよ。
貸本漫画と違って。『週刊少年キング』ですものね。
『少年画報社』が原画を切ってプレゼントする必要はありませんよね。
これで、書くネタがひとつ出来ました(笑)。
浦山 稔
これは これは これは 13 に続く。