第41話 これは これは これは 26 『マリネエンプラ』左近士諒

文字数 1,276文字


 左近士さんは、面倒見のいいお兄さんタイプ。
 身長が173センチのぼくより少し高いので、Tシャツや古着をよく貰った。
 なにしろ、身体ひとつで上京して、所持金も残り少なくなっていたから助かったんだ。





「おい、オヤジ。金に糸目はつけねえから、うまくて一番安いモノを作ってくれ」
 ぼくが考えた食べ物やでいうセリフを、一番面白がってくれたのが左近士さんだった。

『横山プロの部屋』というサイトがあるんだ。
  https://nishimitsu.com/2nd/yokoyama/index.htm
<「横山プロの部屋」は横山まさみち先生をはじめとする、貸本時代に所属していた先生方のファンページです。>
 そこに、「横山プロメンバー紹介」のコーナーがあって、
『反抗期』(昭和41年6月中旬発行)
 ※横みちプロ、オールメンバー短篇誌に次のように書いてあったということだ。
 そのまま引用させてもらいます。

左近士諒
 1966年(昭和41年)1月、横山プロダクションに入社。
 サコンジ・リョウと読む。大分県別府市出身。
 かわった名だが、ペンネームでなく本名。
 好きな俳優はデビッド・ジャンセン。テレビドラマ「逃亡者」の大ファン。放映以来一度もみのがしたことがない。その題名・内容までおぼえきっている。
 なにしろ仕事熱心で、描いている時がいちばんたのしいとか。
 プロメンバー一同が釣などにさそってもなかなか動かない時がある。
 その身長と共に、きっとのびる。
  




 少し怖がりなところがあったので、いたずらで、脅かせようと思って、最終電車で自宅に帰る左近士さんを、白いシーツを被って後をつけたんだ。
 途中で気づかれて、「浦山くんだろ」と声をかけられたけど、黙ってそのまま追いかけたんだ。
 深夜の住宅街の路上で、「やめてくださいよ、浦山くん」と怒りのためか声が震えていた。
 ぼくは白い布を被ったまま走り寄って、「気を付けて帰ってください」といった。

 それから、数日間は、左近寺さんは帰る前に、「浦山くん、今夜はやめてくださいよ」と毎回注意されたんだ。





 年末の忘年会の店にいくのに、たまたまぼくと左近士さんが事務所に最後までいたことがあったんだ。
 カギをかけていけば間に合う時間だったんだけど、たまたまテレビで『十二人の怒れる男』を放送していてさ。
 ふたりで時計を気にしながら見ていたんだ。
 古い映画だから、もう何階も観ているんだけど、時間ギリギリまで粘っていて、どちらともなくアイコンタクトで最後まで観ることにしたんだ。
 名作は惹きつける力が強過ぎるんだよな。

 遅刻して怒られたかどうかは覚えていないけど、テレビに見入っている映像は頭の中に幸せな瞬間の記憶として残っているんだ。





 そうそう、草野球チームをやっていたので、事務連絡で、長谷川法世性とかやくみつるとか、いろんな漫画家へ電話をしたんだ。

 その時の会報みたいなものを書いて編集していたんだけど、どこかに残っているはずだ。
 これは、いよいよ「ゴミ」の中から探し出さないといけないな。s





 これは これは これは 27 に続く。
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