04 鵜飼雅則  「不世出の女性マンガ家」うらたじゅんさんの死。 1

文字数 2,307文字

「不世出の女性マンガ家」うらたじゅんさんの死。 1  鵜飼雅則
                        2023年11月17日(金)

■偲ぶ会
 2019年7月6日、東京の西新宿で、マンガ家でイラストレーターのうらたじゅんさんを偲ぶ集いがあって、参加した。
 うらたさんはこの年の2月7日にがんで亡くなられていた。

 案内をいただいたのは、集いの発起人の一人、貸本マンガ史研究会の三宅秀典さんだった。
 三宅さんには、大阪で、山田甲八さんの漫画コレクションを展示するときお世話になっていた。(「私と『山田甲八・漫画コレクション』」参照)





 会場には、呼びかけ人の北冬書房の高野慎三さんや三宅さん以外に、私がお名前を知っている方では作家の岡崎武志さん、編集者で作家の南陀楼綾繁さん、つげ義春さんの息子さんの柘植正助さんなどがおられた。

 正助さんは、つげさんの作品によく描かれているので、「この方が正助さんか」と遠目でその姿を追ったりした。

 うらたじゅんさんは、1954年11月6日の生まれだ。
 1998年『幻燈』創刊号でマンガ家として全国誌デビュー。同年『ガロ』でもデビュー。
主な作品集に『眞夏の夜の二十面相』(2003年8月15日、北冬書房)(装丁・三宅秀典)、『嵐電』(北冬書房)(2017年3月17日、装丁・三宅秀典)、『冬のプラネタリウム』 (2015年5月9日、北冬書房)などがある。

 没後の2019年12月20日 、第三書館から全作品を収録した『ザ・うらたじゅん­ 全マンガ全一冊­』が刊行された。

 




















■うらたじゅんさんと三池炭鉱
 私がうらたさんの作品をはじめて読んだのは、京都の寺町・二条にあった「三月書房」(二〇二〇年末で閉店)のマンガ本のコーナーに置かれていた作品集『眞夏の夜の二十面相』だった。

 その中の「天王寺夏日記」は、私が大阪で一番好きな新世界界隈が詩情あふれるタッチで描かれていて、私はいっぺんにうらたさんのファンになった。

 また、小学校の校門の前で、言葉巧みに子どもにヒヨコや亀などを売りつける男を描いた「思い出のおっちゃん」は、子どもの頃、私にも同じような体験があったので心に染みた。





 この本にはマンガ作品以外に、詩や日記(「道草日記2002~2003」)などが収録されていた。日記を読み進むと、しばしば「三池炭鉱」という言葉が出てきて、私は少し驚いた。

「川向こうの町に住む義理の母(夫の母)は、とても芯の強い人で、私が尊敬する女性の一人です。義母は九州の三池炭鉱で生まれ、幼いときに炭坑の落盤事故で父親を亡くし、小学校も充分に通わぬまま働きに出たので、満足に読み書きができませんでした。
(中略)
 しかし、老いてからコツコツと漢字の勉強をして、新聞の文字を全て読めるようになりました。やっと新聞の文字を読めるようになった達成感が嬉しくて、義母は毎日時間をかけて新聞の文字を隅から隅まで読んでいます。」





「懐も少々寒いですが、イーエスブックで『1960年・三池』を注文してしまいました。三池炭鉱の労働争議の記録写真です。」

「三池炭田は、福岡県と熊本県の両県にまたがる農村地帯に位置し、北九州の工業地帯からはなれ地理的に孤立していたので、「三井」資本が独裁支配していた。」

「義母の父親の初次郎さんは、三池・万田坑の坑夫だったが、昭和五年に落盤事故で亡くなった。まだ三〇代前半だった。」


 『フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋。
1954年11月  大阪市旭区に誕生
1967年 中学入学『マンガ家入門』を読み、ケント紙にマンガを描きはじめる。
    『COM』『ガロ』と出会い影響を受ける。マンガ研究会で肉筆回覧誌を作る。
1970年 高校入学 美術部で油絵を描く。アンデパンダン、ビエンナーレ展などを観に行く。
1974年 京都、沖縄などを転々と移り住みながら、その間に全国各地を旅する
1975年 京友禅の絵付けの見習いをする。以後大阪府下に住み、職を転々。
1976年 フリーライターの荒木ゆずると結婚。長女誕生。
1987年『おんな便利屋奮戦記』(海風社)でイラストレーターとして仕事を始める。
    仕事仲間と同人誌『クラウン』を作る。
    夜は居酒屋「灯屋」でアルバイト。店の友人たちと同人誌『夏休みの友』を作る。
1997年 初の単行本『赤い実のなる木』発行
1998年『幻燈』創刊号(北冬書房)でマンガ家として全国誌デビュー
2002年 胃がん手術
2006年『嵐電』(北冬書房)刊行。食道がん手術。
2007年 ビリケンギャラリーにて初個展
2008年 読売新聞夕刊に連載された唐十郎さんの小説「朝顔男」の挿絵と題字を担当。
2010年 乳がん手術
2014年 再発乳がん手術
2019年2月7日 64歳で死去

作風
「エッチな時もあれば、けだるいときもあり、ナンセンスとシュールとギャグがびみょーに混ざったりしていて、つまり何でもあるのです」(幻堂主人評)

幻堂評曰く、「うらたじゅんのマンガを読むと、なんだか懐かしい気分になる、嬉しくもなってくる、ほのぼのともするし、せつなくなることもある」

つげ義春は「“うわばみのおキヨ”は傑作です」とのコメントを残した。

「皮肉だが、病気と死が作品を生んだ」と夫の荒木は記す。

主な作品[1]
2003年『眞夏の夜の二十面相』(北冬書房)
2006年『嵐電』(北冬書房)
2015年『冬のプラネタリウム』(北冬書房)
2019年12月23日 『ザ・うらたじゅん 全マンガ全一冊』(第三書館)


 「不世出の女性マンガ家」うらたじゅんさんの死。 2 に続く。

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