第6話

文字数 1,480文字


 マージャン部屋として使われているぼくの部屋に美沙子さんが顔を出したときに、中に入ってすぐに気分が悪くなったと言って、富田を残して帰ってしまったことがあった。
「あれは、ただの二日酔いだろ」
 体調を崩したことを部屋のせいにしている美沙子さんを、ぼくは好きではなかった。
「わかりました。ぼくが先に河辺さんの部屋に行って、みんな追い出しておきますよ。掃除もしておきますから」
「それはいいよ。河辺さんにも逢ってもらいたいと思ってるんだ」
「そんなことをすると、河辺さんに持っていかれますよ。あっちは会社員だしエリートみたいだし、浦山さんとは生活レベルが違い過ぎますから」
 富田の放つ一撃は、悪気がないだけに深く突き刺さる。

 突然、後ろから声が飛んで来た。
「いつまで、そこでグダグダやってるんだ!」
 不動産会社の窓から、部屋を紹介してくれた中井さんが顔を出している。
「女を待たせちゃいかん。早く駅へ行きなさい!」 
 中井さんは、それだけを言うと顔をひっこめた。
 ぼくは富田を追い立てて中通りに出た。
 強い風に髪の毛が飛ばされて顔を覆った。
 三か月ぐらい切ってないので、伸び放題になっている。

 髪を両耳にかけて、薄手のパーカーのフードを被った。
「浦山さん、室内履きのスリッパでいいんですか?」
 富田がぼくの足元に目を落として言った。
「いいんだ。本気で付き合いたいと思っている人だから」
「試すってことですね。浦山さんを丸ごと受け容れることが出来る人かどうかを」
 富田が唇を舐めて、ケケケッと笑った。
「もう、ほんとに急ぐんだ」
 まだ話かけようとする富田に、ぼくは背を向けた。
「応援しますよぉ!」
 富田の大きな声が追いかけてきた。

 通行人たちの視線を浴びながら駅へ急いだ。
 室内履きのスリッパが、アスファルトをひたひたと踏む音を立てていた。

 去年の十一月に、生活費が残り少なくなったので求人雑誌から給料のいいところを探した。
 旅行雑誌の広告取りの仕事で、基本給プラス歩合制だったけど、頑張ればけっこうな収入になりそうなので決めた。
 求人には広告代理店と旅行雑誌の出版会社と書いてあった。
 だけど、とっても怪しい会社だったんだ。
 新大久保駅から歩いて十分ぐらいのところにある雑居ビルの三階のワンフロアーに三十名ぐらいが働いていた。
 旅行雑誌は出していたけど、一般の書店に並ぶような本ではなくて、百パーセント広告収入で成り立っている雑誌だった。
 ほかにも、有名な週刊誌や月刊誌の広告ページを買い取り、分割して数十倍の価格で売るようなことをしていた。
『地元に愛されるお店特集』とかのタイトルで、小さな囲み広告を並べてあるやつだ。
 特集の内容が決まれば、地方の電話帳や新聞を見ながら電話で営業をする。
 営業のやり方はみんなバラバラで、自分勝手にやっていた。
「地元の皆様から愛されているお店と聞いております」とか「東京のリサーチ会社から、地元で有名なお店だとの情報を得ました」とでたらめなことを言って相手を持ち上げる。
 住所と名前と短い紹介文しか入らない小さな囲み広告を、まるで一ページの全面広告のようにイメージさせるのだ。

 営業で得た広告代金の一部が基本給に上乗せされる。
 ぼくも初日から、机の上に職業別電話帳のページをひろげて、片っ端から電話を掛けた。
 たまたまその日に、三件引っかかった。まぐれでしかなかったけど、周りからは初日で獲るのはすごいと褒められて、気分は悪くなかった。
 みんなの営業のやり方を見ていると工夫がない。
 一度断わられると次の相手に電話をする。その繰り返しだ。

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