第20話 これは これは これは 5 貸本漫画の原画 4
文字数 2,143文字
2023・11・3(金)
浦山です。こんにちは。
山田さん、鵜飼さん。
『貸本漫画』を11月1日に投稿したところ、思わぬ反響があり、急遽2日の午後9時に第02話も投稿しました。
総合ランキングが46位だったのに、先ほど10位内に上昇していました。
ランキングの魅力に惑わされて、山田さんには、急遽新しい画像をお願いして、お騒がせしたことを、お詫びします。
好調なので、ネタが途切れるまで毎日投稿を続けていこうと考えています。
ご協力、提案、応援をお願いします。
『自己紹介』と『お願い』を添付していますので読んでください。
*
浦山さん
第02話、拝読しました。素晴らしい筆力に感動します。
自己紹介文、明日中にお送りしたいと思います。
*
こんにちは。
返信、返信、と続きますが画像送ります。
永島慎二作品は四冊です。
1巻には1960年発表作三作。
2巻3巻には『刑事』掲載の『漫画家残酷物語』シリーズが各5編づつ。
4巻には『ゴリラマガジン』の『人間劇場』シリーズ2編と短編、『刑事』最後の作品を収集しています。
中学に入って永島慎二を友人から教えてもらい、いっぺんでファンになり、『刑事』等の貸本劇画を貸本屋巡りをして買い求めました。
その本等はかなり読み回されてボロボロの状態でしたので、お店の人も安く売ってくれたのだろう、新書版の単行本が本棚が占領してきていたので、とにかくその時は永島慎二の自分だけのアンソロジー本を作ることだけしか考えてなかったので、前後の他の作品には目もくれず、永島作品のみ残し、他は処分したのです。
今思えば、なんと罰当たりな事をしたんだ、と、悔しいです‼︎ (ザブングルの加藤調で)
永島作品の裏から『つげ義春』のタイトルページ、『さいとうたかを』のラストページの裏から永島作品のスタートしてるいる…という具合。
こういうのは他の本をバラしている時アルアルなので、どちらを優先するか等時は大変苦労しました。
矢代まさこ作品は『風車』掲載作品二編。
『こだま』掲載作品ニ編。
『すすきと少女とまぼろしと』は『虹』掲載作品ニ編づつを綴じています。
これも後日その作品の載っている号を貸本屋巡りして買い求め直しました。
こういう事するとお金がかかります。
下元克己作品の『青春パレード』は『17才』という楳図かずおや佐藤まさあきらが載っていた貸本終焉頃に載っていた作品三編です。
この人の絵のデッサン力や動きの描写は凄く、ペーソスを含んだストーリーにいっぺんでファンになりました。
他の週間誌や月刊誌の製本本はまた後日詳しく書きますね。
また、プロフィールも書きます。
*
山田さん。
お宝の数々、ありがとうございます。
これは、1話まるまる使って、作り方とか、苦労話を書かないといけませんね。
いま、第03話を書き終わりました。
これからアップしますので、確認ねがいます。
問題があれば、その都度連絡していただければ、修正します。
では、次のお宝を待っています。
浦山 稔
*
さて、山田さんが送ってくれた手作りの作品集を楽しむ前に、貸本漫画の原画当てクイズを終わらせなくてはいけない。
残りは3人の漫画家。
<『オッス‼︎』31号の梅本さちおの一ページ。>
<バロン吉元の『鉄火野郎』の11巻『虎と竜』の一ページ。>
<古賀しんさく(新一)の『新吾シリーズ』の9巻『狂犬狩り』の一ページ。>
全て外す可能性はあるんだけど、ここはひとつ名推理を披露することにしよう。
『オッス‼︎』は青春物、バロン吉元の『鉄火野郎』と古賀新一の『新吾シリーズ』の『狂犬狩り』はタイトルからして劇画だ。
海で少年が遊んでいる作品は、梅本さちおに間違えないだろう。
<『オッス‼︎』31号の梅本さちおの一ページ。>
『梅本さちお(うめもと・さちお)』1943年~1993年。高知県出身。
『ボクにはボクの夢がある』(日の丸文庫)で貸本漫画デビュー。佐藤まさあき、ちばてつやのアシスタントを経て、1968年、『くじら大吾』を『週刊少年ジャンプ』創刊号から連載。
その後、専属契約を嫌ってジャンプを去り、1970年より『少年キング』(少年画報社)に花登筺の原作による『アパッチ野球軍』を連載。同作は翌年にテレビアニメ化され、ヒット作となっている。
ここからは、もう勘で選ぶしかない。
<バロン吉元の『鉄火野郎』の11巻『虎と竜』の一ページ。>
『バロン 吉元(よしもと)』 満洲生まれ、鹿児島県指宿市育ち。
武蔵野美術大学西洋画科を中退。柔道は黒帯の腕前。
1959年、『街』(セントラル出版)に投稿した『ほしいなあ』が入選、新人特別賞受賞。
その後、横山まさみちのアシスタントになり、ストーリーを学ぶ。
貸本漫画を本名「吉元正」の名義で発表し、青年誌へ活動の場を広げた。
ぼくは、1967年に創刊された『漫画アクション』(双葉社)の『柔侠伝』シリーズで名前を初めて知った。
『ああ青春』は読んでいたが、貸本漫画での記憶はない。
<古賀しんさく(新一)の『新吾シリーズ』の9巻『狂犬狩り』の一ページ。>
「これで、どうだ!!!」
あれっ、誰に向かっていっているんだ。
これは これは これは 6 に続く。
浦山です。こんにちは。
山田さん、鵜飼さん。
『貸本漫画』を11月1日に投稿したところ、思わぬ反響があり、急遽2日の午後9時に第02話も投稿しました。
総合ランキングが46位だったのに、先ほど10位内に上昇していました。
ランキングの魅力に惑わされて、山田さんには、急遽新しい画像をお願いして、お騒がせしたことを、お詫びします。
好調なので、ネタが途切れるまで毎日投稿を続けていこうと考えています。
ご協力、提案、応援をお願いします。
『自己紹介』と『お願い』を添付していますので読んでください。
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浦山さん
第02話、拝読しました。素晴らしい筆力に感動します。
自己紹介文、明日中にお送りしたいと思います。
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こんにちは。
返信、返信、と続きますが画像送ります。
永島慎二作品は四冊です。
1巻には1960年発表作三作。
2巻3巻には『刑事』掲載の『漫画家残酷物語』シリーズが各5編づつ。
4巻には『ゴリラマガジン』の『人間劇場』シリーズ2編と短編、『刑事』最後の作品を収集しています。
中学に入って永島慎二を友人から教えてもらい、いっぺんでファンになり、『刑事』等の貸本劇画を貸本屋巡りをして買い求めました。
その本等はかなり読み回されてボロボロの状態でしたので、お店の人も安く売ってくれたのだろう、新書版の単行本が本棚が占領してきていたので、とにかくその時は永島慎二の自分だけのアンソロジー本を作ることだけしか考えてなかったので、前後の他の作品には目もくれず、永島作品のみ残し、他は処分したのです。
今思えば、なんと罰当たりな事をしたんだ、と、悔しいです‼︎ (ザブングルの加藤調で)
永島作品の裏から『つげ義春』のタイトルページ、『さいとうたかを』のラストページの裏から永島作品のスタートしてるいる…という具合。
こういうのは他の本をバラしている時アルアルなので、どちらを優先するか等時は大変苦労しました。
矢代まさこ作品は『風車』掲載作品二編。
『こだま』掲載作品ニ編。
『すすきと少女とまぼろしと』は『虹』掲載作品ニ編づつを綴じています。
これも後日その作品の載っている号を貸本屋巡りして買い求め直しました。
こういう事するとお金がかかります。
下元克己作品の『青春パレード』は『17才』という楳図かずおや佐藤まさあきらが載っていた貸本終焉頃に載っていた作品三編です。
この人の絵のデッサン力や動きの描写は凄く、ペーソスを含んだストーリーにいっぺんでファンになりました。
他の週間誌や月刊誌の製本本はまた後日詳しく書きますね。
また、プロフィールも書きます。
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山田さん。
お宝の数々、ありがとうございます。
これは、1話まるまる使って、作り方とか、苦労話を書かないといけませんね。
いま、第03話を書き終わりました。
これからアップしますので、確認ねがいます。
問題があれば、その都度連絡していただければ、修正します。
では、次のお宝を待っています。
浦山 稔
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さて、山田さんが送ってくれた手作りの作品集を楽しむ前に、貸本漫画の原画当てクイズを終わらせなくてはいけない。
残りは3人の漫画家。
<『オッス‼︎』31号の梅本さちおの一ページ。>
<バロン吉元の『鉄火野郎』の11巻『虎と竜』の一ページ。>
<古賀しんさく(新一)の『新吾シリーズ』の9巻『狂犬狩り』の一ページ。>
全て外す可能性はあるんだけど、ここはひとつ名推理を披露することにしよう。
『オッス‼︎』は青春物、バロン吉元の『鉄火野郎』と古賀新一の『新吾シリーズ』の『狂犬狩り』はタイトルからして劇画だ。
海で少年が遊んでいる作品は、梅本さちおに間違えないだろう。
<『オッス‼︎』31号の梅本さちおの一ページ。>
『梅本さちお(うめもと・さちお)』1943年~1993年。高知県出身。
『ボクにはボクの夢がある』(日の丸文庫)で貸本漫画デビュー。佐藤まさあき、ちばてつやのアシスタントを経て、1968年、『くじら大吾』を『週刊少年ジャンプ』創刊号から連載。
その後、専属契約を嫌ってジャンプを去り、1970年より『少年キング』(少年画報社)に花登筺の原作による『アパッチ野球軍』を連載。同作は翌年にテレビアニメ化され、ヒット作となっている。
ここからは、もう勘で選ぶしかない。
<バロン吉元の『鉄火野郎』の11巻『虎と竜』の一ページ。>
『バロン 吉元(よしもと)』 満洲生まれ、鹿児島県指宿市育ち。
武蔵野美術大学西洋画科を中退。柔道は黒帯の腕前。
1959年、『街』(セントラル出版)に投稿した『ほしいなあ』が入選、新人特別賞受賞。
その後、横山まさみちのアシスタントになり、ストーリーを学ぶ。
貸本漫画を本名「吉元正」の名義で発表し、青年誌へ活動の場を広げた。
ぼくは、1967年に創刊された『漫画アクション』(双葉社)の『柔侠伝』シリーズで名前を初めて知った。
『ああ青春』は読んでいたが、貸本漫画での記憶はない。
<古賀しんさく(新一)の『新吾シリーズ』の9巻『狂犬狩り』の一ページ。>
「これで、どうだ!!!」
あれっ、誰に向かっていっているんだ。
これは これは これは 6 に続く。