10 浦山 稔 『ヤングコミック』大・大・大好き! 2 石井 隆
文字数 2,046文字
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『石井 隆』(いしい ・たかし)
1946年~2022年。宮城県出身。
早稲田大学商学部卒業。
早稲田大学ではシナリオ研究会に所属していたが、映画研究会へ転属。在学中から後に脚本家となった金子裕と組んで、雑誌のライターやカメラマンで生活していた。
卒業後の1970年、『事件劇画』誌で出木英杞のペンネームで劇画漫画家としてデビュー。
1975年頃より主に「ヤングコミック」誌等で執筆する。自作『天使のはらわた』(1977年)が大ヒットし、1978年から日活ロマンポルノにてシリーズ映画化される。
シリーズ第2作にて自ら脚本を手がけることとなり、脚本家としてもデビュー。
1970年代後半に巻き起こった扇情的な劇画ブームの中では、メランコリックな展開と読者を圧倒するタナトスを映画的構図と緻密な描画を駆使して導入、一貫して心魂を傾け続けた作品群により多くの作家とは一線を画し、脚光をあびた。
1988年に『天使のはらわた 赤い眩暈』で監督としてもデビュー。
監督する映画に同じ俳優が幾度も出演する傾向があり、竹中直人、椎名桔平、伊藤洋三郎、大竹しのぶ、余貴美子、片岡礼子などが複数作品に出演していた。
今回、初めて石井隆さんのプロフィルを知ったんだよ。
ぼくがそれまで知っていたのは、かって『三流エロ劇画のカリスマ』といわれていたことは知っていたんだけど、80年代初頭の、ぼくと付き合いのあった漫画家や漫画編集者といったごく狭い範囲での噂話だったんだ。
素顔を晒さない人、とにかく変わっている人。
これは、時々助っ人でアシスタントに行く漫画仲間の証言なんだ。
彼は、CDとプレーヤーを数枚持って行き、それを独りで聴きながらバックにペンを走らせているといっていたんだ。
えっ、独りなの? 疑問はあったけれど、深くは訊かなかった。
その友だちが、石井隆さんに頼まれていた日に、助っ人のダブルブツキングしてしまって、ぼくに代わりを頼んできたんだ。
ぼくは谷口ジローさんの元を離れて、自分の漫画を描いていたんだけど、時々助っ人のアシスタントをやっていた。
基本、食事付きで、まる1日・24時間拘束で1万円。交通費は別なんだけど、時給417円。実際にペンを握っている時間よりも、待ち時間が多いこともある。
嫌々ながら、石井隆さんに興味があったので、引き受けたんだ。
どうして嫌々ながらかというと、助っ人アシスタントを何回かこなせば食べていけるからだ。
当時のぼくの原稿料は、ページ5000円。
新人に割り当てられるページ数は多くて24枚、120000円。ぼくは月イチの読み切り作品の仕事はあったけど、更なる飛躍を目指して持ち込み原稿を描かないといけない状況だったんだ。
漫画アクションの編集者から、山本おさむ『ぼくたちの疾走』(1981年6月4日号~1985年7月3日号まで連載)の助っ人に行って欲しいと頼まれた時は、断ってしまったのも自分の作品を書き上げるためだった。
でも、新人が編集者の意向を断ると、やっぱり冷遇されてしまうんだよな。
まあ、才能があれば別なんだけど、若い頃は自分を信じていたんだなぁ。
あっ、それは、今も変わらない。ヤバイよな~。
とにかく、石井隆さんの1日アシスタントをやることにしたんだ。
電話での対応は石井夫人だった。
漫画の『名美』のイメージを勝手に抱いて、●●駅の改札口で待ち合わせ。
「長髪で背が高くて、痩せていて、ぶ厚いレンズのメガネをかけています」
これは、初対面の人と待ち合わせる時の決まりセリフ。
もの凄い偏食があり、もの凄く目が悪いのだ。
駅で立っていると、声をかけてくれた女性は、美人なんだけど高円寺のスナックでも見かけるような感じだった。千草さんごめんなさい。
マンションへ行く道すがら、食事を用意するために、「何か注文がありますか?」と訊かれたぼくは、「昔から肉類を食べない採食主義です。時代がぼくに追いついてきました」なんていったんだ。
きっと、テンバッテいたんだろうな。
マンションにつくと、石井隆さんと挨拶することもなく、部屋に通された。
石井夫人が、原稿を持って来て簡単に説明があるだけ。
もともと、石井隆さんのバックは特殊で、写真を下地にしているみたいなので、もっぱら、効果線、ベタ、スクリーントーン貼りぐらい。仕上げは石井夫人がしていたみたいだった。
部屋に独りで、ずっと軟禁状態。
音楽もない。友だちがCDとプレーヤーを持ち込んだ理由がわかった。
石井夫人の足音を待つだけの空白の時間が多かった。
なんだか、修業をしていたような24時間だったよ。
結局、石井隆さんとは会わないで帰ったんだ。
それからは、助っ人の要請を断ったんだ。
だから、映画監督になった時は、人とコミュニケーションを取れる人だったんだと驚いたよ。
『三流エロ劇画のカリスマ』なんていわれていたのが嫌だったのかな。
『ヤングコミック』大・大・大好き! 3 に続く。
『石井 隆』(いしい ・たかし)
1946年~2022年。宮城県出身。
早稲田大学商学部卒業。
早稲田大学ではシナリオ研究会に所属していたが、映画研究会へ転属。在学中から後に脚本家となった金子裕と組んで、雑誌のライターやカメラマンで生活していた。
卒業後の1970年、『事件劇画』誌で出木英杞のペンネームで劇画漫画家としてデビュー。
1975年頃より主に「ヤングコミック」誌等で執筆する。自作『天使のはらわた』(1977年)が大ヒットし、1978年から日活ロマンポルノにてシリーズ映画化される。
シリーズ第2作にて自ら脚本を手がけることとなり、脚本家としてもデビュー。
1970年代後半に巻き起こった扇情的な劇画ブームの中では、メランコリックな展開と読者を圧倒するタナトスを映画的構図と緻密な描画を駆使して導入、一貫して心魂を傾け続けた作品群により多くの作家とは一線を画し、脚光をあびた。
1988年に『天使のはらわた 赤い眩暈』で監督としてもデビュー。
監督する映画に同じ俳優が幾度も出演する傾向があり、竹中直人、椎名桔平、伊藤洋三郎、大竹しのぶ、余貴美子、片岡礼子などが複数作品に出演していた。
今回、初めて石井隆さんのプロフィルを知ったんだよ。
ぼくがそれまで知っていたのは、かって『三流エロ劇画のカリスマ』といわれていたことは知っていたんだけど、80年代初頭の、ぼくと付き合いのあった漫画家や漫画編集者といったごく狭い範囲での噂話だったんだ。
素顔を晒さない人、とにかく変わっている人。
これは、時々助っ人でアシスタントに行く漫画仲間の証言なんだ。
彼は、CDとプレーヤーを数枚持って行き、それを独りで聴きながらバックにペンを走らせているといっていたんだ。
えっ、独りなの? 疑問はあったけれど、深くは訊かなかった。
その友だちが、石井隆さんに頼まれていた日に、助っ人のダブルブツキングしてしまって、ぼくに代わりを頼んできたんだ。
ぼくは谷口ジローさんの元を離れて、自分の漫画を描いていたんだけど、時々助っ人のアシスタントをやっていた。
基本、食事付きで、まる1日・24時間拘束で1万円。交通費は別なんだけど、時給417円。実際にペンを握っている時間よりも、待ち時間が多いこともある。
嫌々ながら、石井隆さんに興味があったので、引き受けたんだ。
どうして嫌々ながらかというと、助っ人アシスタントを何回かこなせば食べていけるからだ。
当時のぼくの原稿料は、ページ5000円。
新人に割り当てられるページ数は多くて24枚、120000円。ぼくは月イチの読み切り作品の仕事はあったけど、更なる飛躍を目指して持ち込み原稿を描かないといけない状況だったんだ。
漫画アクションの編集者から、山本おさむ『ぼくたちの疾走』(1981年6月4日号~1985年7月3日号まで連載)の助っ人に行って欲しいと頼まれた時は、断ってしまったのも自分の作品を書き上げるためだった。
でも、新人が編集者の意向を断ると、やっぱり冷遇されてしまうんだよな。
まあ、才能があれば別なんだけど、若い頃は自分を信じていたんだなぁ。
あっ、それは、今も変わらない。ヤバイよな~。
とにかく、石井隆さんの1日アシスタントをやることにしたんだ。
電話での対応は石井夫人だった。
漫画の『名美』のイメージを勝手に抱いて、●●駅の改札口で待ち合わせ。
「長髪で背が高くて、痩せていて、ぶ厚いレンズのメガネをかけています」
これは、初対面の人と待ち合わせる時の決まりセリフ。
もの凄い偏食があり、もの凄く目が悪いのだ。
駅で立っていると、声をかけてくれた女性は、美人なんだけど高円寺のスナックでも見かけるような感じだった。千草さんごめんなさい。
マンションへ行く道すがら、食事を用意するために、「何か注文がありますか?」と訊かれたぼくは、「昔から肉類を食べない採食主義です。時代がぼくに追いついてきました」なんていったんだ。
きっと、テンバッテいたんだろうな。
マンションにつくと、石井隆さんと挨拶することもなく、部屋に通された。
石井夫人が、原稿を持って来て簡単に説明があるだけ。
もともと、石井隆さんのバックは特殊で、写真を下地にしているみたいなので、もっぱら、効果線、ベタ、スクリーントーン貼りぐらい。仕上げは石井夫人がしていたみたいだった。
部屋に独りで、ずっと軟禁状態。
音楽もない。友だちがCDとプレーヤーを持ち込んだ理由がわかった。
石井夫人の足音を待つだけの空白の時間が多かった。
なんだか、修業をしていたような24時間だったよ。
結局、石井隆さんとは会わないで帰ったんだ。
それからは、助っ人の要請を断ったんだ。
だから、映画監督になった時は、人とコミュニケーションを取れる人だったんだと驚いたよ。
『三流エロ劇画のカリスマ』なんていわれていたのが嫌だったのかな。
『ヤングコミック』大・大・大好き! 3 に続く。