第19話 咲雪のいるところ。 6
文字数 1,321文字
*
久し振りに野球の試合をした。
徹夜明けだったのでボロ負けだった。
対戦相手がガテラチームじゃなかったので、丸坊主の罰ゲームは無かった。
ただ、咲雪さんが応援に来なかったのが物足りない。
気になることも耳にした。
マリネでシャワーを浴びて、アパートに帰る途中、咲雪さんの部屋を訪ねたけど留守だった。
明日は休みなので、十時に起きて部屋へ行こう。
眠る前はそう考えていた。目を覚ますと、十二時を過ぎていた。
咲雪さんの部屋の灯りを見上げると、足音を忍ばせて階段を登った。
ドアを弱くノックする。子猫の小さな返事が聴こえる。ドアが開くと、咲雪さんが不機嫌な顔で子猫を抱いていた。
「あたし、辞めるかもね」
「どうして?」
「あたしの原稿がゴミ箱に捨てられていたのよ!」
右隣の壁がドンドンと叩かれたので、ぼくはボリュームを下げる。
「それって、冗談だったんだよ」
「どうして、うたはるとに分かるのよ」
「今日、野球のときに、あの二人が笑いながら話しているのを聞いたんだ」
「どういうことよ!」
再び右隣の壁が叩かれた。
咲雪さんが壁を睨み付ける。今にも壁を蹴りにいきそうなので、ぼくは咲雪さんの前に身体を入れた。
「だからさ、冗談でゴミ箱に隠したって言ってたよ。それを咲雪さんがパニクッたってさ」
言い終わらない間に突然、子猫を投げつけられた。
ぼくは「ウニャー!」と叫ぶ子猫を胸で受け止める。
鋭い痛みで手を離すと、Tシャツに爪を立てたままで子猫が滑り落ちる。
「かわいそうだよ」
左手で暴れる子猫を掴んで、右手でTシャツに食い込んだ爪を外そうとした。なかなか外れない。
「殴った?」
「えっ?」
「あのふたりと、あたしのために闘った? あたしがバカにされているのを黙って聞いていたの?」
「……殴ってないです」
やっと、爪とTシャツの分離に成功した。子猫を放すと、部屋を走って、窓の隙間から勢いよく飛出した。
「デナーズでドーナツを十個買ってきて」
「えっ?」
「十分よ」
咲雪さんは腕時計を見て言った。
「そんなの無理ですよ」
「十分で買ってくれば、キスをしてあげる」
ぼくが靴を履くと、「スタート!」後ろから咲雪さんが言った。
はやる気持ちを抑えて階段をゆっくりと降りた。
そして、足が舗装された道に着くとぼくは走る。家並が途切れ、道路に出ても自動車のライトの前を突っ切った。野球の試合に負けた罰ゲームを、ひとりで引き受けている感じだ。元々、罰ゲーム要員としてマリネというよりも咲雪さんに拾われた。
デナーズに飛び込むと、若い男の店員が驚いた表情でぼくを見る。目玉が上下している。Tシャツをつまんで広げると、白い生地に赤い血の色が汗と混ざっておかしな模様になっていた。
「ちょっと、引っ掻かれてさ」
猫にと言わない。
小指でも立てると絵になるかも。
咲雪さんのお気に入りのキャラメルチョコ、チョコレート・グレーズドを入れて五種類を二個ずつ注文した。
定員は素早くドーナツを函に入れる。
ぼくに協力してスピードアップをしているわけではない。早く追い払いたいのだろう。
店を出た時、すでに十分は過ぎていた。
それでもぼくは走った。
このドーナツを、少しでも早く咲雪さんに届けたい。
久し振りに野球の試合をした。
徹夜明けだったのでボロ負けだった。
対戦相手がガテラチームじゃなかったので、丸坊主の罰ゲームは無かった。
ただ、咲雪さんが応援に来なかったのが物足りない。
気になることも耳にした。
マリネでシャワーを浴びて、アパートに帰る途中、咲雪さんの部屋を訪ねたけど留守だった。
明日は休みなので、十時に起きて部屋へ行こう。
眠る前はそう考えていた。目を覚ますと、十二時を過ぎていた。
咲雪さんの部屋の灯りを見上げると、足音を忍ばせて階段を登った。
ドアを弱くノックする。子猫の小さな返事が聴こえる。ドアが開くと、咲雪さんが不機嫌な顔で子猫を抱いていた。
「あたし、辞めるかもね」
「どうして?」
「あたしの原稿がゴミ箱に捨てられていたのよ!」
右隣の壁がドンドンと叩かれたので、ぼくはボリュームを下げる。
「それって、冗談だったんだよ」
「どうして、うたはるとに分かるのよ」
「今日、野球のときに、あの二人が笑いながら話しているのを聞いたんだ」
「どういうことよ!」
再び右隣の壁が叩かれた。
咲雪さんが壁を睨み付ける。今にも壁を蹴りにいきそうなので、ぼくは咲雪さんの前に身体を入れた。
「だからさ、冗談でゴミ箱に隠したって言ってたよ。それを咲雪さんがパニクッたってさ」
言い終わらない間に突然、子猫を投げつけられた。
ぼくは「ウニャー!」と叫ぶ子猫を胸で受け止める。
鋭い痛みで手を離すと、Tシャツに爪を立てたままで子猫が滑り落ちる。
「かわいそうだよ」
左手で暴れる子猫を掴んで、右手でTシャツに食い込んだ爪を外そうとした。なかなか外れない。
「殴った?」
「えっ?」
「あのふたりと、あたしのために闘った? あたしがバカにされているのを黙って聞いていたの?」
「……殴ってないです」
やっと、爪とTシャツの分離に成功した。子猫を放すと、部屋を走って、窓の隙間から勢いよく飛出した。
「デナーズでドーナツを十個買ってきて」
「えっ?」
「十分よ」
咲雪さんは腕時計を見て言った。
「そんなの無理ですよ」
「十分で買ってくれば、キスをしてあげる」
ぼくが靴を履くと、「スタート!」後ろから咲雪さんが言った。
はやる気持ちを抑えて階段をゆっくりと降りた。
そして、足が舗装された道に着くとぼくは走る。家並が途切れ、道路に出ても自動車のライトの前を突っ切った。野球の試合に負けた罰ゲームを、ひとりで引き受けている感じだ。元々、罰ゲーム要員としてマリネというよりも咲雪さんに拾われた。
デナーズに飛び込むと、若い男の店員が驚いた表情でぼくを見る。目玉が上下している。Tシャツをつまんで広げると、白い生地に赤い血の色が汗と混ざっておかしな模様になっていた。
「ちょっと、引っ掻かれてさ」
猫にと言わない。
小指でも立てると絵になるかも。
咲雪さんのお気に入りのキャラメルチョコ、チョコレート・グレーズドを入れて五種類を二個ずつ注文した。
定員は素早くドーナツを函に入れる。
ぼくに協力してスピードアップをしているわけではない。早く追い払いたいのだろう。
店を出た時、すでに十分は過ぎていた。
それでもぼくは走った。
このドーナツを、少しでも早く咲雪さんに届けたい。