第46話 完
文字数 1,335文字
*
夜、二階に上がって私の部屋に入ってから河辺さんに電話をした。
東京行きを迷っていることを伝えた。
「会うことを楽しみにしていたけど、この時期だから無理はしないほうがいいかな」
私は富田の葬儀のことを詳しくおしえて欲しいと頼んだ。
「三奈ちゃんは凛としていた。美奈子さんが荒れて大変だった。三奈ちゃんのほうが宥めていたよ。理解しがたい関係だな」
「お子さんは?」
「恵まれなかったそうだ。美奈子さんが『子どもは残さなかったけど、作品を残した』と言ってた。三奈ちゃんもそうおもってるだろうな。『Mへの疾走』を何冊か貰ってきたから渡そうと思っていたけど、郵送しようか」
「もし行かなかったら、郵送をお願いします」
私は富田の小説を読んでみたいと思った。
窓際に置いてあるデスクの前に座る。
抽斗を開けて富田の死亡通知のハガキを取り出した。
何者にもなり得なかった私がこうして生き永らえている。
死亡通知の文面のしめくくりに、『富田三奈』の名前が書かれている。
このハガキの宛名に『浦山稔 様』と書かれた三奈の角張った筆跡を見たとき、私は過去の自分に、現在の自分が試されているような気がしたのだ。
抽斗の奥から、カードの束を取り出す。三奈が書いてくれた映画雑誌の著者カードだ。『映画芸術』も『映画評論』も『映画批評』も買い足して残してある。
ベッドに横になっても、眠れる気がしない。
私が東京行きにこだわっているのは、キャンセル料ではなくて、三奈と会いたいからなのかもしれない……。
そうか、私は三奈に会いたいのだ。
悪い夢を見るだろうなという確信めいたものがあった。
もう一度リビングへ下りて、「エレメンタリーホームズ&ワトソン inNY」を観た。
ソファーに横たわるっていると、いつの間にか眠ってしまった。
目覚めると、私はどうやら大きな部屋にいるようだ。
目のさきに横たわっている老婦人が、三奈だとわかる。こちらに向いている白い髪がポニーテールなのだ。
部屋を出て薄暗い廊下に立っていた。三奈が横たわっていた部屋に戻ろうとする。どこまで行っても廊下が続く。部屋はない。
それから、私はいつの間にか、書斎の中に立っている。
書架に並べてあるのは全て『富田俊一』の本だった。背表紙から『Mへの疾走』を探す。本を抜き出すと、帯に「友人であるMへ」と書いてあった。
ページを開くと文字で埋め尽くされていた。黒々と印刷してある文字の一行目を読もうとすると字が消えた。目を移すたびに次々に空白になっていく。目がどうかしてしまったのかと思った。ページをめくってみても文字は確かにあるのだが、読もうとするとさっと消えるのだ。
さらに、私はいつの間にか、三奈が横たわっている部屋にいる。
私はしばらく横に座って見つめていた。
ポニーテールは低いい位置で結ばれている。喉元に両手をのばして圧(お)す。
夢のはずなのに、三奈の脈動を感じる。力を入れると骨が折れた音がした。
それは、高円寺を室内履きのスリッパがアスファルトを踏みつける音よりも軽やかだった。
終わり
参考資料
●「なにが粋かよ―斎藤竜鳳の世界」
斎藤龍鳳 創樹社 1972年
●「自分の事は棚に上げて」
吉田拓郎小学館、1992年
夜、二階に上がって私の部屋に入ってから河辺さんに電話をした。
東京行きを迷っていることを伝えた。
「会うことを楽しみにしていたけど、この時期だから無理はしないほうがいいかな」
私は富田の葬儀のことを詳しくおしえて欲しいと頼んだ。
「三奈ちゃんは凛としていた。美奈子さんが荒れて大変だった。三奈ちゃんのほうが宥めていたよ。理解しがたい関係だな」
「お子さんは?」
「恵まれなかったそうだ。美奈子さんが『子どもは残さなかったけど、作品を残した』と言ってた。三奈ちゃんもそうおもってるだろうな。『Mへの疾走』を何冊か貰ってきたから渡そうと思っていたけど、郵送しようか」
「もし行かなかったら、郵送をお願いします」
私は富田の小説を読んでみたいと思った。
窓際に置いてあるデスクの前に座る。
抽斗を開けて富田の死亡通知のハガキを取り出した。
何者にもなり得なかった私がこうして生き永らえている。
死亡通知の文面のしめくくりに、『富田三奈』の名前が書かれている。
このハガキの宛名に『浦山稔 様』と書かれた三奈の角張った筆跡を見たとき、私は過去の自分に、現在の自分が試されているような気がしたのだ。
抽斗の奥から、カードの束を取り出す。三奈が書いてくれた映画雑誌の著者カードだ。『映画芸術』も『映画評論』も『映画批評』も買い足して残してある。
ベッドに横になっても、眠れる気がしない。
私が東京行きにこだわっているのは、キャンセル料ではなくて、三奈と会いたいからなのかもしれない……。
そうか、私は三奈に会いたいのだ。
悪い夢を見るだろうなという確信めいたものがあった。
もう一度リビングへ下りて、「エレメンタリーホームズ&ワトソン inNY」を観た。
ソファーに横たわるっていると、いつの間にか眠ってしまった。
目覚めると、私はどうやら大きな部屋にいるようだ。
目のさきに横たわっている老婦人が、三奈だとわかる。こちらに向いている白い髪がポニーテールなのだ。
部屋を出て薄暗い廊下に立っていた。三奈が横たわっていた部屋に戻ろうとする。どこまで行っても廊下が続く。部屋はない。
それから、私はいつの間にか、書斎の中に立っている。
書架に並べてあるのは全て『富田俊一』の本だった。背表紙から『Mへの疾走』を探す。本を抜き出すと、帯に「友人であるMへ」と書いてあった。
ページを開くと文字で埋め尽くされていた。黒々と印刷してある文字の一行目を読もうとすると字が消えた。目を移すたびに次々に空白になっていく。目がどうかしてしまったのかと思った。ページをめくってみても文字は確かにあるのだが、読もうとするとさっと消えるのだ。
さらに、私はいつの間にか、三奈が横たわっている部屋にいる。
私はしばらく横に座って見つめていた。
ポニーテールは低いい位置で結ばれている。喉元に両手をのばして圧(お)す。
夢のはずなのに、三奈の脈動を感じる。力を入れると骨が折れた音がした。
それは、高円寺を室内履きのスリッパがアスファルトを踏みつける音よりも軽やかだった。
終わり
参考資料
●「なにが粋かよ―斎藤竜鳳の世界」
斎藤龍鳳 創樹社 1972年
●「自分の事は棚に上げて」
吉田拓郎小学館、1992年