第16話 咲雪のいるところ。 3
文字数 1,080文字
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しばらく咲雪さんとは顔を合わせていない。
夜の十時過ぎに仕事が一段落して、去年の暮れに公開された映画『シャイニング』の話題で盛り上がった。スタンリー・キューブリックが、スティーヴン・キングの小説を映画化したことは知っていたけど、ぼくは観ていないので聞いているだけだ。
双子の霊やエレベーターからの血の洪水などよりも、徐々に狂ってゆくジャックニコルソンが怖いらしい。黒川さんがホラー映画を好きなことと、草津さんが極度の怖がりだということが分かった。
練馬のマンションに帰る草津さんを怖がらせると千円出すという黒川さんの提案に乗って、ぼくは白いシーツを持って外に出た。
人通りのない道を草津さんが中村橋駅へ向かって歩いている。
気付かれないように後をつける。どこで追いつこうかと考えていると、自販機の角で見失った。
シーツを被ったまま走った。
角を曲がっても中村橋駅へ行く道に草津さんの姿がない。
まさか?
急に動悸が高まった。咲雪さんのアパートに続く道に顔を向けた。
「何をしてるんだか」
背後からの声にぼくは飛び上がった。
振り向くと草津さんが、自販機の陰に隠れていた。
ぼくは草津さんの長い説教を、うなだれて聞くしかなかった。
駅へ向かった草津さんは、振り返って後ろを確かめた。
ぼくは自販機の横で、大きく手を振って見送った。
草津さんを怖がらせることに失敗したことよりも、さっきの胸の高まりが気になった。
足は咲雪さんのアパートへ向いた。
紅い生垣を過ぎるとアパートの前に立って見上げる。
入口から三番目の窓は、暗闇の中に沈んでいた。どこからか猫の泣き声が聴こえる。
こんな姿を咲雪さんに見つかると、どう思われるか心配になった。
急いで戻ることにする。シーツをマントのようにひるがえして走った。
前に自転車のライトが見えたので、ぼくは近くの電柱の陰にうずくまった。
咲雪さんじゃなくても、こんな格好を人に見つかるとヤバイことになる。
ぼくの近くでブレーキの音がした。
少しだけ顔を上げると、赤いスニーカーが見える。
「草津先生にどうしてあんなバカを連れて来たのかって、嫌味をいわれちゃったわよ」
不機嫌な声では無かった。
腕を組んでぼくを見下ろしている咲雪さんに、えへっと笑い顔を向けた。
「ちょっと、楽しいかなって思って」
「ついでにあたしも怖がらそうとしたのね」
「そういうわけでもないんですけど……」
「さっさっと立って、付いて来なさい」
咲雪さんは、シーツの端を持って自転車を漕いだ。
「そんなに引っ張らないで下さいよ」
ぼくは馬に引きずられる罪人のようだ。
しばらく咲雪さんとは顔を合わせていない。
夜の十時過ぎに仕事が一段落して、去年の暮れに公開された映画『シャイニング』の話題で盛り上がった。スタンリー・キューブリックが、スティーヴン・キングの小説を映画化したことは知っていたけど、ぼくは観ていないので聞いているだけだ。
双子の霊やエレベーターからの血の洪水などよりも、徐々に狂ってゆくジャックニコルソンが怖いらしい。黒川さんがホラー映画を好きなことと、草津さんが極度の怖がりだということが分かった。
練馬のマンションに帰る草津さんを怖がらせると千円出すという黒川さんの提案に乗って、ぼくは白いシーツを持って外に出た。
人通りのない道を草津さんが中村橋駅へ向かって歩いている。
気付かれないように後をつける。どこで追いつこうかと考えていると、自販機の角で見失った。
シーツを被ったまま走った。
角を曲がっても中村橋駅へ行く道に草津さんの姿がない。
まさか?
急に動悸が高まった。咲雪さんのアパートに続く道に顔を向けた。
「何をしてるんだか」
背後からの声にぼくは飛び上がった。
振り向くと草津さんが、自販機の陰に隠れていた。
ぼくは草津さんの長い説教を、うなだれて聞くしかなかった。
駅へ向かった草津さんは、振り返って後ろを確かめた。
ぼくは自販機の横で、大きく手を振って見送った。
草津さんを怖がらせることに失敗したことよりも、さっきの胸の高まりが気になった。
足は咲雪さんのアパートへ向いた。
紅い生垣を過ぎるとアパートの前に立って見上げる。
入口から三番目の窓は、暗闇の中に沈んでいた。どこからか猫の泣き声が聴こえる。
こんな姿を咲雪さんに見つかると、どう思われるか心配になった。
急いで戻ることにする。シーツをマントのようにひるがえして走った。
前に自転車のライトが見えたので、ぼくは近くの電柱の陰にうずくまった。
咲雪さんじゃなくても、こんな格好を人に見つかるとヤバイことになる。
ぼくの近くでブレーキの音がした。
少しだけ顔を上げると、赤いスニーカーが見える。
「草津先生にどうしてあんなバカを連れて来たのかって、嫌味をいわれちゃったわよ」
不機嫌な声では無かった。
腕を組んでぼくを見下ろしている咲雪さんに、えへっと笑い顔を向けた。
「ちょっと、楽しいかなって思って」
「ついでにあたしも怖がらそうとしたのね」
「そういうわけでもないんですけど……」
「さっさっと立って、付いて来なさい」
咲雪さんは、シーツの端を持って自転車を漕いだ。
「そんなに引っ張らないで下さいよ」
ぼくは馬に引きずられる罪人のようだ。