第46話 あれ あれ あれ 1 お宝発掘 平田弘史

文字数 1,771文字


 2024・1・7(日)

 年が明けて、2024年になった。
 しかし、能登地震、飛行機事故と、悲しい出来事が続き、新年の挨拶をすることも気が引ける幕開けとなってしまったな。
 これ以上、被害が広がらないよう祈るしかありません。

 こんな時に、ぼくのお宝を紹介するのはやりづらいのですが、気分転換になれば幸いです。

 まず、第一弾は『平田弘史のサイン入りのポスター』です。





 達筆で書かれている赤い文字は、





    「人生敵の囲みを 
     破り抜けて生きるが如し」


 これは、45年ぐらい前に、アメリカで展示会をするとのことで、資金協力のために買ったと思うんだ。
 漫画友だちが、平田弘史の実弟「とみ新蔵」のアシスタントだったので、その関係で買わされたんだけど、今となっては「お宝」に大変身だ~。

 ネットで調べると
 ≪1978年 昭和53(41歳)
 アメリカのサンディエゴで開催されたコミック・コンベンションに参加し、約40点の原画を出品。大絶賛を受ける。≫
 とあったので、ぼくの記憶に間違いがなかった。

 週刊誌大の原画を引き延ばしたと思うんだけど、カブラペンで描いた力強いペンタッチは到底真似ることは出来ない。

 丸めて置いておくとグシャグシャになってしまうと思ったので、全判の大きさの木枠に貼り付けたんだけど、こうして残っているんだから正解だったよね。





 そうそう、大友克洋の『AKIRA』の題字は平田弘史が書いたんだよ。
 このアイデアは編集者じゃなくて、大友克洋だと思うな。





『平田 弘史(ひらた ひろし)』 )ウィキペディアより引用。)
 1937年~2021年。東京都板橋区で生まれる。
 1945年3月に東京の空襲が激化したため奈良県天理市に移り住む。
 父母は天理教信者で、東京には布教のため移住していた。
 17歳の頃父親を亡くし、一家の生計を支えるため大阪の設備会社『近畿設備』で作業員の仕事をしていたが、中学校の先輩であった漫画家宮地正弘の勧めで大阪の貸本出版社日の丸文庫に原稿を持ち込む。
 1958年、短編漫画誌『魔像』第5集に掲載の「愛憎必殺剣」で漫画家デビュー。
 以降『魔像』の看板漫画家として時代劇を中心に、骨太な劇画を書き続ける。
 1965年上京し、白土三平の仲介で加治一生名義で発表した「愛」で『ガロ』に初登場。
 以降活躍の場を雑誌連載に移し、劇画ブームに乗って人気が出る。
 妥協を許さない創作の姿勢は、しばしば生活の困窮や作品の未完を招く。
 2013年、全業績により日本漫画家協会賞文部科学大臣賞受賞。
 2021年12月11日、心不全のため死去。84歳没。

 おっ!
『ガロ』に、加治一生名義で発表した「愛」で初登場って書いてある。
 なんとなく「加治一生」の名前に覚えがある。
 『ガロ』は全冊バラしたけど、作品は切り抜いて残してあるので、絶対にどこかのダンボール函に眠っているはずだ。
 
 発掘したら、報告しますね。

 単行本はたくさん持っていたんだけれど、見つかったのは『首代引受人』だけだった。
 画像を見ればわかると思うけど、本の状態が悪いので『まんだらけ』に売りにいく時に残したんだ。









山田さんに、お宝を報告したら、次の返信があった。

 平田弘史さんのサイン本二冊持っています。
 一冊は『平田弘史選集』全8巻が作られる前に、その出版社から作品リストを作成する為に、私が所有する貸本作品(魔像)を全てを一覧表にしてもらえないか?
 との問い合わせがありましたので、作成して送りました。
 やはり何作品かが向こうのリストに漏れがあったらしく、改めて私の所有する本のタイトル、ページ数等を調べて送ってくれ、とのことでした。





 その本の最終巻にリストが掲載されました。
 良かった良かった、少しは役に立ったナ、と思っていたら、暫くして御礼として先生直筆のサイン本が送られてきました。ヤッターです。

 あと一冊は、東京に住むマンガ友人が平田先生のサイン会で私の分まで本を購入してサインしてもらった本です。選集のリスト作成の話しをしていたので、その話しをしたら快く書いていただけたと友人は言っていました。

 地方に住んでいると、サイン会は滅多にないから、手に入ると本当に嬉しいものです。
 特に平田弘史先生のサインはレアですね。

   あれ あれ あれ 2 に続く。 
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