第19話 これは これは これは 4 貸本漫画の原画 3
文字数 2,394文字
2023・11・2(木) 午後2時。
浦山です。今度こそ大変です。
山田さん、鵜飼さん。
『貸本漫画』 が、驚いたことに、いま、ランキング『本日』で
1位になっています!!!
これは、4万5千冊の漫画本の威力だと思います。
多くの人が興味を抱いてくれたみたいです。
前のメールで、週1といっていましたが、この機を逃すことはない!
ということで、いま第02話を書いています(笑)。
早速、送っていただいた『みやはら啓一』の画像を使わせてもらいますよ。
そして、山田さんのメールをそのまま使わせてもらいますが、よろしいでしょうか?
漫画原画の検証を続けたいのですが、第02話の目途がついてからにしますね。
*
ランキング一位、やったー♪です♪♪。
また画像送りますので、お楽しみに!
やりがいが出てきます。
*
やっぱり、山田さんも、1位だとテンションが上がるんだな。
オリンピックも『銅』や『銀』よりも、やっぱり『金』メダルだもんな。
ぼくも『1位』になったものだから、俄然、書く気になるんだもんな。
ひょっとすると、しばらく続ける可能性もあるよな。
*
山田さん。
テンションが上がって、やる気が出ました!
できれば、下記の画像をお願いします。
いずれも、1枚の画像の中に入れて欲しいのです。
●画像・ 永島慎二、みやはら啓一、つげ義春、が描いた貸本漫画の表紙。
●画像・ 『ガロ』『COM』『ごん』の表紙。
●画像・ メビウスやフラゼッタの画集。
●画像・ 当時の学年誌や少年画報や少年等の表紙。
●画像・ 当時買った貸本漫画や新書版の単行本等の表紙。
無理をいいますが、お願いします。
文章のほうは、なんとか目途をつけます。
*
山田さん
追加でお願いします。
●画像・ 『刑事』『ゴリラマガジン』『こだま』の表紙の画像
浦山 稔
*
浦山です。第02話を投稿しました!
山田さん、鵜飼さん。
午後9時に、第02話を投稿しました!
しばらく続けてみようと考えています。
いま、書ける話題は3回分はあります。
画像の方、無理をいいますがお願いします。
*
ようやく、貸本漫画の原画の検証をしることが出来る。
本当は、『無花果(いちじく)』を書かないといけないんだけど、これを中途半端のままにしたくないんだ。
<さいとうたかをの『台風五郎』の12巻 『眠けざまし』、15巻 『死神狩り』、の各段コマ。>
『さいとうたかを』 1936年~ 2021年。
和歌山県生まれ、大阪府出身。東京都中野区、岩手県花巻市在住。
貸本漫画時代に劇画の分野を確立した人物の一人であり、一般漫画の世界に転向後も『ゴルゴ13』をはじめとする数々のヒット作品を生み出した、劇画界の代表的人物である。
また『さいとう・プロダクション』を設立し、各スタッフの分業体制により作品を制作するという方式を確立した。
スタッフの分業体制はきっちりと決まっていて、『さいとう・プロ』を辞めた友だちが、2年間いたけど、机しか描かせてもらえなかったといっていた。
これは実際に聞いたことなんだけど、その友だちとは音信不通になっているので、噂話だと思って欲しい。
さいとうたかをは、人物も石川フミヤス、武本サブロー、甲良幹二郎なんかが描いていたと噂されているので、コマの絵だけでは判断がしにくいのだ。(貸本時代は違ったかも)
しかし、今回は『段コマ』というヒントがあったので簡単だった。
*下の2冊がさいとうたかを『台風五郎』の表紙
<『影』45号の江波譲二と影丸譲也>
『江波 譲二(えなみ・じょうじ)』1938年(昭和13年)生まれ。東京出身の漫画家。
商業高校卒業後の1957年、日の丸(集英社)掲載「幕末珍騒動」で漫画家デビュー。貸本『トップ屋ジョーシリーズ』(ひばり書房)で人気漫画家となる。
南波健二と大仙プロを設立。その後は少年誌や青年誌の世界で活躍した。
南波健二とプロダクションを作っていたんだな。これも調べたくなったが、いまはやめておくことにする。
作品リストを見ると、貸本時代の漫画は、『トップ屋ジョー』しか紹介していない。
『小学一年生』から『小学五年生』と、主に学年誌で活躍していたことがわかった。『滝沢解』や『小池一夫』原作でも描いているのだから、長く漫画家を続けたようだ。
*原稿に色を塗らないで、色指定で印刷をしている。
『影丸譲也(かげまる・じょうや)』を調べると『影丸穣也』に改名していた。
読みは同じで、『譲』を『穣』に変更。
1940年~ 2012年。代表作は『空手バカ一代』『ワル』など。
ペンネームを変えていたことは知らなかった。
いつ、変えたんだろう?
調べてみたくなったが、これも諦める。
大阪市出身。幼少時に広島県に移る。無職でぶらぶらしていた時期に貸本漫画屋で借りたさいとう・たかをの『空気男爵』に影響を受け、漫画を描き始める。日の丸文庫や東光堂に原稿を持ち込むなどの経緯を経て、1957年、単行本『怪獣男爵』(あたみ出版)でデビュー。
日の丸文庫を中心に貸本漫画を執筆する。
『空手バカ一代』(原作・梶原一騎)『ワル』(原作・真樹日佐夫)等が有名。
センスのいいタッチが荒々しいく変わって行った。
梶原一騎が原作の『柔道一直線』の画を描いた永島慎二は、途中で投げ出して斎藤ゆずるに代わったんだけど、自分の漫画を守りたかったのかもしれないな。
残りの漫画家は3人。
<『オッス‼︎』31号の梅本さちおの一ページ。>
<バロン吉元の『鉄火野郎』の11巻『虎と竜』の一ページ。>
<古賀しんさく(新一)の『新吾シリーズ』の9巻『狂犬狩り』の一ページ。>
残りの画像は4枚。
ヤバイ!
デジャブだ。
また、朝になっている。
続きは、今日の午後だ~。
これは これは これは 5 に続く。
浦山です。今度こそ大変です。
山田さん、鵜飼さん。
『貸本漫画』 が、驚いたことに、いま、ランキング『本日』で
1位になっています!!!
これは、4万5千冊の漫画本の威力だと思います。
多くの人が興味を抱いてくれたみたいです。
前のメールで、週1といっていましたが、この機を逃すことはない!
ということで、いま第02話を書いています(笑)。
早速、送っていただいた『みやはら啓一』の画像を使わせてもらいますよ。
そして、山田さんのメールをそのまま使わせてもらいますが、よろしいでしょうか?
漫画原画の検証を続けたいのですが、第02話の目途がついてからにしますね。
*
ランキング一位、やったー♪です♪♪。
また画像送りますので、お楽しみに!
やりがいが出てきます。
*
やっぱり、山田さんも、1位だとテンションが上がるんだな。
オリンピックも『銅』や『銀』よりも、やっぱり『金』メダルだもんな。
ぼくも『1位』になったものだから、俄然、書く気になるんだもんな。
ひょっとすると、しばらく続ける可能性もあるよな。
*
山田さん。
テンションが上がって、やる気が出ました!
できれば、下記の画像をお願いします。
いずれも、1枚の画像の中に入れて欲しいのです。
●画像・ 永島慎二、みやはら啓一、つげ義春、が描いた貸本漫画の表紙。
●画像・ 『ガロ』『COM』『ごん』の表紙。
●画像・ メビウスやフラゼッタの画集。
●画像・ 当時の学年誌や少年画報や少年等の表紙。
●画像・ 当時買った貸本漫画や新書版の単行本等の表紙。
無理をいいますが、お願いします。
文章のほうは、なんとか目途をつけます。
*
山田さん
追加でお願いします。
●画像・ 『刑事』『ゴリラマガジン』『こだま』の表紙の画像
浦山 稔
*
浦山です。第02話を投稿しました!
山田さん、鵜飼さん。
午後9時に、第02話を投稿しました!
しばらく続けてみようと考えています。
いま、書ける話題は3回分はあります。
画像の方、無理をいいますがお願いします。
*
ようやく、貸本漫画の原画の検証をしることが出来る。
本当は、『無花果(いちじく)』を書かないといけないんだけど、これを中途半端のままにしたくないんだ。
<さいとうたかをの『台風五郎』の12巻 『眠けざまし』、15巻 『死神狩り』、の各段コマ。>
『さいとうたかを』 1936年~ 2021年。
和歌山県生まれ、大阪府出身。東京都中野区、岩手県花巻市在住。
貸本漫画時代に劇画の分野を確立した人物の一人であり、一般漫画の世界に転向後も『ゴルゴ13』をはじめとする数々のヒット作品を生み出した、劇画界の代表的人物である。
また『さいとう・プロダクション』を設立し、各スタッフの分業体制により作品を制作するという方式を確立した。
スタッフの分業体制はきっちりと決まっていて、『さいとう・プロ』を辞めた友だちが、2年間いたけど、机しか描かせてもらえなかったといっていた。
これは実際に聞いたことなんだけど、その友だちとは音信不通になっているので、噂話だと思って欲しい。
さいとうたかをは、人物も石川フミヤス、武本サブロー、甲良幹二郎なんかが描いていたと噂されているので、コマの絵だけでは判断がしにくいのだ。(貸本時代は違ったかも)
しかし、今回は『段コマ』というヒントがあったので簡単だった。
*下の2冊がさいとうたかを『台風五郎』の表紙
<『影』45号の江波譲二と影丸譲也>
『江波 譲二(えなみ・じょうじ)』1938年(昭和13年)生まれ。東京出身の漫画家。
商業高校卒業後の1957年、日の丸(集英社)掲載「幕末珍騒動」で漫画家デビュー。貸本『トップ屋ジョーシリーズ』(ひばり書房)で人気漫画家となる。
南波健二と大仙プロを設立。その後は少年誌や青年誌の世界で活躍した。
南波健二とプロダクションを作っていたんだな。これも調べたくなったが、いまはやめておくことにする。
作品リストを見ると、貸本時代の漫画は、『トップ屋ジョー』しか紹介していない。
『小学一年生』から『小学五年生』と、主に学年誌で活躍していたことがわかった。『滝沢解』や『小池一夫』原作でも描いているのだから、長く漫画家を続けたようだ。
*原稿に色を塗らないで、色指定で印刷をしている。
『影丸譲也(かげまる・じょうや)』を調べると『影丸穣也』に改名していた。
読みは同じで、『譲』を『穣』に変更。
1940年~ 2012年。代表作は『空手バカ一代』『ワル』など。
ペンネームを変えていたことは知らなかった。
いつ、変えたんだろう?
調べてみたくなったが、これも諦める。
大阪市出身。幼少時に広島県に移る。無職でぶらぶらしていた時期に貸本漫画屋で借りたさいとう・たかをの『空気男爵』に影響を受け、漫画を描き始める。日の丸文庫や東光堂に原稿を持ち込むなどの経緯を経て、1957年、単行本『怪獣男爵』(あたみ出版)でデビュー。
日の丸文庫を中心に貸本漫画を執筆する。
『空手バカ一代』(原作・梶原一騎)『ワル』(原作・真樹日佐夫)等が有名。
センスのいいタッチが荒々しいく変わって行った。
梶原一騎が原作の『柔道一直線』の画を描いた永島慎二は、途中で投げ出して斎藤ゆずるに代わったんだけど、自分の漫画を守りたかったのかもしれないな。
残りの漫画家は3人。
<『オッス‼︎』31号の梅本さちおの一ページ。>
<バロン吉元の『鉄火野郎』の11巻『虎と竜』の一ページ。>
<古賀しんさく(新一)の『新吾シリーズ』の9巻『狂犬狩り』の一ページ。>
残りの画像は4枚。
ヤバイ!
デジャブだ。
また、朝になっている。
続きは、今日の午後だ~。
これは これは これは 5 に続く。