第13話  ぼくのいるところ。 13

文字数 1,075文字


 翌日、矢野君が姿を見せなかった。
 二日後に来た時は、辞めると言い出した。
 草津さんが引き止めたのだけれど、次のアシスタント先が決まっていると断った。
 辞める理由を草津さんが訊いたが、黙っている。
 前から辞める準備をしていたみたいで意思も固い。
 矢野君が辞めるので、その部屋にぼくが住めることになった。
 なんだか、ぼくが追い出すみたいな感じで、どうも後味が悪い。

 草津さんに部屋の引き継ぎをするようにといわれて、矢野君と一緒にマンションを出た。
「ぼくのことが原因ですか?」
 単刀直入に切り出した。
「それはない」
 矢野君は即座に否定した。
「前のプロダクションは分業がきちっとしすぎていて、二年いたけど部屋の中しか描かしてもらえなかった。小さいプロダクションだと、いろんな背景が描けると思って来たんだ」
「ふうん。そうなんですか」
 ぼくは、あいまいに頷いた。
「だけどマリネは、仕事がキツイ。普通、先生ひとりに二、三人のアシスタントがいて、先生が休みのときはアシスタントも休める。ここは、三人も先生がいるから休みがない」
「ぼくはそう思わないです。野球も出来るし」
「俺は野球に付き合わされる時間を、自分の漫画を描く時間にあてたいよ」
「……」
 ぼくは肩をすくめるしかない。

 アパートは、中村橋の駅を越えて五分ほど歩いたところにあった。
 六畳に狭いキッチンとトイレが付いている。
 部屋は、まだ片付けられていなかった。
「荷物はしばらく置いていくよ。使用禁止って紙を貼っていないものは自由に使っていいからさ」
 矢野君は友達の部屋に転がり込むと言う。レコードプレーヤーやギターケース。使用禁止がほとんどだ。
 全く荷物が無いぼくとしてはありがたいとは思ったが、恩着せがましいのでむかついた。
「後になって荷物が無い何ていわないでくださいよ。それに部屋の掃除ぐらいは、やってから出ていって欲しいな」
 ぼくがいうと、矢野君は皮肉な笑い方をした。
「いずれマリネは破綻するよ」
 矢野君は宣言した。「考えてもみろよ。うたはるとは誰がみたって余剰人員だ。本居先生が追い出せって言った時、草津さんは自分で給料を出すって言ったそうだ」
「草津さんが……」
「これからプロダクションを立ち上げて行こうって時に、そんな甘いことをしていて成り立っていくと思うかい?」
 ぼくが黙っていると、矢野君は言い過ぎたと思ったのか口調を変えた。
「うたはるとがいるから俺も辞めやすい。感謝すべきかな」
 矢野君は、部屋の鍵をぼくの手に置いた。

 この瞬間から、臨時の補欠だったぼくが、正式にマリネのメンバーになった。
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