第27話

文字数 975文字

* 
 ぼくは三奈を初めて、河辺さんの部屋へ連れていった時のことを思い出した。
 庭の赤い花に、白い蝶がとまっていた。
 ぼくは三奈に、そのことを言った。
「わたしも驚いたの。きっと風が強かったから、近くの花にとまったんだと思う」
 三奈は、そう言い張った。
 ぼくたちはしばらく、ひらひらと飛ぶ蝶の様子を眺めていた。
 青い花にとまった白い蝶が、ゆっくりした動きで口をストローのように伸ばして蜜を吸っている。
「きみも、しばらく白い蝶だな」
 横にいる三奈に顔を近づけて言った。
「美沙子さんは、アゲハ蝶みたいね」
 三奈は聞き間違えて、自分のことを白い蝶だと言われたと思ったようだ。
 目の前に飛んで来た白い蝶が、三奈の頭のまわりを飛んでから花のほうへいった。

 三日間、三奈の部屋で過ごした。
 アパートに戻る通路に入ると、中井さんに呼び止められた。
 もしかしたら、三奈とのことを気付かれたのかと思ってどきっとした。そんなはずはないのに中井さんの顔を見ると、どうしても三奈とのことが後ろめたく感じてしまう。
「十号室の上条さんの面倒を見てくれて、ありがとよ」
 話は一週間前の深夜に、廊下で寝込んでいたおじさんのことだった。
 マージャンが終わってぼくの部屋から出て行った高橋たちが、酔っ払いが廊下で寝ていて通れないと戻ってきたのだ。
 顔見知りだったけど、どの部屋の住人かわからなかったので、ぼくの部屋に運び込んだのだ。ぼくが起きたときにはもういなかった。あの人が十号室の上条さんだったようだ。
「優しさに付け込んでくる人だから、お金は絶対に貸しちゃ駄目だよ」
 と注意された。

 数日後、上条さんと廊下で遭遇した時に「この前は面倒をかけちゃったな。ありがとな」
 と言われただけだった。
 貸せるお金がないことをわかってるみたいだ。
 しばらく三奈と一緒に『ぴあ』を持って、映画や演劇を観て回った。池袋では、洋画なら文芸座、邦画なら文芸地下で観る。
 そして、時間のある時は高田馬場の古本屋に寄ってから、三奈の部屋に泊まるかは、その時の状況しだいなので、ぼくのリックには、いつも数日分の下着とコンドームを入れていた。

 高円寺でもっと広くて陽当たりのいい部屋に移ろうかと思った。
 八月ぐらいまでは働かなくてもいいお金はある。
 だけど、いつまでも、こんな生活をしているわけにはいかないだろう。



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