第28話

文字数 1,370文字


 六月の日曜日に、高橋の友人、自称ロックシンガーの引っ越しを手伝いに行った。
 高円寺駅徒歩十分から徒歩十八分、四畳半台所なしから六畳台所付きへ微妙にレベルアップだ。
 リヤカーを半日三百円で貸してくれるところがあって、昼までに終わらせる為に大忙しだった。
その帰りに、河辺さんの部屋へ行くと富田が一緒だった。
「三奈ちゃん、今までいたけど浦山くんの部屋に戻ったよ」
 河辺さんがぼくの顔を見るなり言った。
「ちょっと、高橋の助っ人をやってました」
 富田がぼくを部屋で待っていたときに、三奈が訪れたので一緒に河辺さんのアパートにきたということだった。
「三奈ちゃんに、山口百恵が好きなことを言ってないですね。丸ごと見せるって言ってたじゃないですか」
「なんだか、言い出しにくくて……」
『横須賀ストーリー』がヒットしている山口百恵は、テレビのオーディション番組『スター誕生!!』からデビューした森昌子、桜田淳子の三人が、その時は中学三年生だったから『花の中三トリオ』と呼ばれたけど、今は高三トリオになっている。
歌もいいけど、やっぱり映画の山口百恵が好きだ。

 西河克己監督で『伊豆の踊子』『潮騒』『絶唱』と撮っていた。三浦友和が相手役なのは気に入らないけど。
 去年の夏に公開した森永健次郎監督『花の高2トリオ初恋時代』森昌子、桜田淳子と共演も観た。今年はすでに『エデンの海』も見たし、夏には『風立ちぬ』を観に行くつもりだ。
「あまり、自分のことを話してくれないってこぼしてたよ。それに、三奈ちゃんが、たくろうの他に郷ひろみも好きだってことを知ってた?」
「聞いてないです」
「去年、ジャニーズ事務所退所したことを心配していたよ。さすがに、郷ひろみのレコードは持っていないので、聴かせてあげられなかったけどね」

 郷ひろみは、今年の3月に封切りした『さらば夏の光よ』で映画初主演をしていた。ぼくに言えば一緒に観に行くのに……。
 それとも、劇場に一人で観にいってるかもしれないと思った。
「俺の作品を預けましたから、読んでください」
 富田は書き上げたばかりの小説を三奈に渡したと言った。
 そして、耳元でささやいた。
「河辺さんから、守りましたからね。安心してください」

 部屋に帰ると三奈が原稿に目を落としていた。
「もう少しで読み終わるから」
 覗き込んだぼくに言った。
 三十枚ほどの短編で、三奈が読み終わった原稿が裏返して置いてあった。ぼくはそれを手にとって、読み始めた。
 年上の女性にセックスを迫られる内容だった。セックス描写が激しいのはこの前に、高橋が言ったことに影響されてのことに違いない。

 モデルは美沙子さんのようだけど、現実は富田が追いかけている。願望を書いたようだ。
「よくわからない」
 読み終えた三奈の顔があからんでいる。富田にはそれなりの筆力があるということを実証していた。
「富田は、ほかになにか言ってなかったか?」
「別に、この小説をわたしに読んで欲しいって渡されたの」
「きみに……」
 富田はぼくにと言っていた。三奈が聞き違えたのだと思った。
「あなたが書いた漫画を、読ませてほしい」
「そうだね。自信作を書いたら、一番に読んでもらうから。そのうちに」
「いつもそう言って、先延ばしするのね」
 郷ひろみと山口百恵のことは、三奈が話さなかったし、ぼくも言い出さなかった。

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