第43話 

文字数 976文字


 私が六十歳の冬だった。
 河辺さんから久し振りに連絡があった。青森から高橋が東京へくるので、高円寺に集まることになったから、こないかという誘いだった。
 私は「必ず行きます」と返事をした。

 土曜日の夜、七時に高円寺駅改札前に集合とのことだった。
 私は昔のように、新幹線を使わないで各停電車で行くことにした。それだけで懐かしさが蘇ってきた。
 ネットで調べてみると新幹線は約四時間、乗り換えが二回。各停電車だと約九時間、乗り換えが九回になった。
 昔の各停は乗り換えなしで行った記憶がある。
 新幹線の本数が増えたために、各停で東京へ行く乗り換え回数が多くなった。便利になればなるほど、不便だったものはより不便になる。
 新幹線と各停電車の時間差は五時間だ。料金差が約四千円。時給にすれば八百円ぐらいになる。
 高円寺の頃だったら、八百円あれば一日を優雅に過ごせた。
 文芸座で洋画を二本観て、長井食堂で腹いっぱい食べて、映画雑誌の古本を買かってもマージャンの元手が残った。

 土曜日の夜は、高円寺に近い安いビジネスホテルを予約した。
 高円寺駅改札前に集合したのは、河辺さん、高橋、私を含めて五人だった。
 一次会の店で飲んでいる間に四人が遅れてきた。二次会を経て最後の店では、河辺さんと高橋、私の三人だけになった。そこに美奈子さんが乱入してきたのだ。
 一次会で帰った友人が『唐変木』に流れ、そこで私たちのことをしり、店を探して回ったとのことだった。
 美奈子さんは私に富田の本を読んだかと訊いた。
「富田の本が出版されているのもしらなかった」
「去年、自主出版した本だよ。みんなに送ったはず」
 河辺さんも高橋も受け取ったと言った。
「そういえば去年、富田から電話があったけど……」
 風呂に入っている最中だったので、妻に「あとで掛け直す」と伝えてくれと言った。
 しかし、私は掛け直さなかったし富田も掛けてこなかった。

 ただ富田も私が知らないところで、私のことを考えていたのだということを知った。
 もし、何の前触れもなく富田の姿を見たら、やはり同じ痛みを感じるのかもしれない。そう思ったのだ。
「富田の『Mへの疾走』を読んでごう思ったか訊きにきたのよ」
「『Mへの疾走』を自主出版したのか!」
 声が大きくなった。
 私はそんな本など読みたくない。
「読んだのですか?」
 河辺さんに訊いた。

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