137 知っている忍者 小山春夫 「甲賀忍法帖」(全3巻)
文字数 819文字
*
小山春夫の名前と漫画は、記憶にはっきりと残っている。
しかし、「甲賀忍法帖」の原作が山田風太郎だということを、いま初めて知ったんだ。
*
*
「甲賀忍法帖」(全3巻)
発行日 1963(昭和38)年5月
発行所 東邦図書出版社
発行人 ?
原作 山田風太郎
定価 200円
ページ数 136ページ
*
表紙
背表紙
登場人物紹介
中扉
裏表紙
*
*
『小山 春夫(こやま・ はるお)』 ウィキペディア より引用。
1934年1月19日生、新潟県中頸城郡出身。
中学卒業後、家が農家であったことと、自分が長男であったことから、家を継ぎ3年間の百姓生活を始める。
その傍ら、美術を通信教育で受ける。
その頃、たまたま山川惣治の模写を東京の少年画報社に送ったところ、上京の誘いを受け、それから少年画報社を訪れ会社の2階に住み込んだ。
18歳のときであった。
少年画報社での仕事の傍ら、御茶ノ水の文化学院の夜学に通い、本来は2年で済むところを4年も通ったという。
1956年、21歳の時に『少年画報』(少年画報社)に掲載された『探偵若さま』でデビュー、1年間の連載となった。
以後は、武内つなよし、桑田次郎、吉田竜夫(竜の子プロダクション)と漫画家のアシスタントを転々としていくうち、最も影響を受けることになる白土三平に出会う。
白土の赤目プロには9年間在籍し、『カムイ外伝』『サスケ』などの作品の作画を手掛けた。その他、赤目プロ名義でオリジナル作品も発表した。
*
商業誌の『少年画報』でデビューしたのに、貸本漫画の世界へ入っていったってことは、それだけ貸本漫画が勢いがあったってことだよな。
小山春夫の名前と漫画は、記憶にはっきりと残っている。
しかし、「甲賀忍法帖」の原作が山田風太郎だということを、いま初めて知ったんだ。
*
*
「甲賀忍法帖」(全3巻)
発行日 1963(昭和38)年5月
発行所 東邦図書出版社
発行人 ?
原作 山田風太郎
定価 200円
ページ数 136ページ
*
表紙
背表紙
登場人物紹介
中扉
裏表紙
*
*
『小山 春夫(こやま・ はるお)』 ウィキペディア より引用。
1934年1月19日生、新潟県中頸城郡出身。
中学卒業後、家が農家であったことと、自分が長男であったことから、家を継ぎ3年間の百姓生活を始める。
その傍ら、美術を通信教育で受ける。
その頃、たまたま山川惣治の模写を東京の少年画報社に送ったところ、上京の誘いを受け、それから少年画報社を訪れ会社の2階に住み込んだ。
18歳のときであった。
少年画報社での仕事の傍ら、御茶ノ水の文化学院の夜学に通い、本来は2年で済むところを4年も通ったという。
1956年、21歳の時に『少年画報』(少年画報社)に掲載された『探偵若さま』でデビュー、1年間の連載となった。
以後は、武内つなよし、桑田次郎、吉田竜夫(竜の子プロダクション)と漫画家のアシスタントを転々としていくうち、最も影響を受けることになる白土三平に出会う。
白土の赤目プロには9年間在籍し、『カムイ外伝』『サスケ』などの作品の作画を手掛けた。その他、赤目プロ名義でオリジナル作品も発表した。
*
商業誌の『少年画報』でデビューしたのに、貸本漫画の世界へ入っていったってことは、それだけ貸本漫画が勢いがあったってことだよな。