第44話 

文字数 1,192文字


 決まり悪そうに河辺さんはうなずいた。隣にいる高橋も同じ表情をした。
 三奈のセックス描写を読まれてしまった……。
 美沙子さんが来るまで富田や自主出版した本、そして三奈のことを口にしていないかったのは、私への気遣いだったのだ。
 富田からの電話は自主出版した『Mへの疾走』についてのことに違いない。
「Mはてっきり、わたしのことだと思っていたのに」
「えっ!」
「何をそんなに驚いているのさ」
「美沙子さんもMか」
「本質はSだけどね」
 高橋が冗談を言った。
「私は、初めから三奈のことだとわかっていました」
 三奈の名前を口に出来たことで、気持ちが軽くなった。
「ああ、そうか。三奈ちゃんもMだったわね」
「Mは浦山くんのことだ」
 河辺さんの言葉は衝撃だった。
「富田が私のことを書いていた……」
「いい本だよ。浦山くんは読むべきだと思う」
「本を読めばわかる。富田も愛をまっとうしたってことだね」
 美沙子さんが私に向き直った。
「富田はきみに『Mへの疾走』を読んでほしいはずよ」
 美沙子さんは、「富田が私のアドバイスのお陰で、いい作品を書けたと喜んでいた」と言ったが、私は覚えていなかった。
「三鷹の家にきた時に、女とのセックスで人と繋がるんじゃなくて、本質的な人と人の繋がりを書けって言ったのよ。だから、富田はきみとのことを小説に書いたの。何度も何度も書き直してさ。きにのことをずっと考え続けていたんだよ」
「どうして美沙子さんに、富田のことがわかるんですか? 富田が三奈と結婚した時に別れたでしょう」
 棄てられたとは言わなかった。
「今でも富田はわたしの愛人よ」
「そのことを三奈も知っているんですか?」
「きみは今でも三奈ちゃんを想っているみたいだけど、セックスは愛なの。愛はセックスの回数が増えるほど深くなるの。きみは、三奈ちゃんと数えるぐらいしかやってないでしょ。富田は何百回もやってんのよ」
「言い過ぎですよ」
 河辺さんが、穏やかな声でとめた。
「三奈ちゃんも幸せ者だよ。二人の男に愛されているんだもの」
 私はひどく酔って、タクシーでビジネスホテルへ行った。

 私の足元に黒い塊(かたまり)がうずくまっている。
 塊(かたまり)が誰かはわからないが、私の中には激しい怒りの感情があった。
  右足で蹴り上げる。ドスッ! 
  再び、右足で蹴り上げる。ドスッ!
  さらに、右足で蹴り上げる。ドスッ!
  蹴るたびに、足から頭に快感が走る。
 ドスッ! ドスッ! ドスッ! ドスッ!
 蹴り続ける。殺してしまってもいいと思って大きく蹴り上げた。

 腰の鈍痛で目が覚めた。
 宙を蹴って腰を捻ってしまった。
 夢の中でも、殺せないものなのか。と苦笑した。
 黒い塊(かたまり)は何だったのか? 富田なのか、三奈なのか。それとも私自身なのか。
翌日、ひどい二日酔いになった私は新幹線で帰った。
 私は、いまだに『Mへの疾走』を入手していない。

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