作品10  昭和34年 『魔像別冊』剣豪特集 「邪剣敗れたり」

文字数 1,186文字


  これが『魔像別冊』の第1号みたいなんだ。


 『魔像別冊』 「剣豪特集」 昭和34年6月1日号 


 表紙  木村忠雄






             発行    昭和34年・1959年6月1日号 
             発行所   日の丸文庫 光映社
             発行人   山田泰之
             編集人   中村勝一
             定価    150円
             ページ数  210ページ


 収録作品
 平田弘史        「邪剣敗れたり」(128ページ)
 水島新司        「無明暗闇剣士」(20ページ)
 山本正晴        「半四郎 故郷へ帰る」          


 水島新司        「無明暗闇剣士」(全20ページ)




 水島新司が『魔像』に、時代物作品を描いていたとは思わなかった。
『影』を中心に活躍していた印象が強い。
 1939年4月生まれだから20歳のころの作品だ。
 水島新司の時代物作品って、あまり知られていないんじゃないかな。
 もしかすると、お宝発掘かも。

 裏表紙





『水島新司』 ウィキペディアより引用。
 1958年、大阪の貸本漫画出版社『日の丸文庫』の漫画短編誌『影』の新人漫画コンクールにデビュー作『深夜の客』を投稿する[3]。評価としては次点であったが、審査員の一人だった佐藤まさあきがその才能を評価し、入選を強硬に主張。特別に特選二席として表彰される。

 その表彰式で社長の山田秀三に漫画家になりたい旨を直訴、「一年以内に漫画家になる」という条件で家族を説得し来阪する。

 山田宅に住み込み、日の丸文庫の編集の下働きの仕事をしながら寝る間を削って漫画を執筆、人気貸本漫画家となる。
 日の丸文庫では主にコメディ漫画を執筆。短編集『オッス!』シリーズや『水島新司爆笑シリーズ』、大阪のTV局制作ドラマ『番頭はんと丁稚どん』や『てなもんや三度笠』の漫画化などで人気を博す。
 1964年、日の丸文庫専属を経て独立、上京。
 *

 1960年(昭和35年)には、 冒険王で「くれない探偵 七つの顔の少年」を連載している。




 山本正晴、山本まさはるも『魔像』に、時代物作品を描いていたんだな。
 ぼくにとっては、みやはら啓一と並んで貸本漫画の良心みたいな存在なんだ。
 でも、改めて 『ウィキペディア』を読むと、
 1958年、『魔像3号』掲載(日の丸文庫)「遺恨一太刀」にてデビュー。
 と、ちゃんと書いてあった。
 思い込みって恐いな。
 1941年生まれだから18歳。
 
 平田 弘史がデビューして2年目に発表された長編作品だ。
 1937年2月生まれの平田 弘史が一番年上になるんだけれど、それでも22歳。
 3人の平均年齢は20歳!

 貸本漫画の魅力は作家が若いということだったのかもしれないな。





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