第06話 準備は、わいがや 1

文字数 2,550文字

◆2023・10・25(水)
 山田さんからは漫画の画像、鵜飼さんからは数多くのレポートと資料が届き始めているんだけれど、まだ具体的なことは何も決まっていない。
 わいわいがやがやと、やっている内になんとかなるんじゃないかな。
*
  おはようございます。浦山です。
 鵜飼さん、「山田甲八・漫画コレクション」訪問記を興味深く読ませてもらいました。
 (番外篇 鵜飼雅則 私と『山田甲八・漫画コレクション』参照)
 まぁ、ぼくの場合は「聴く」というのが正確なんですが、いちいちいうのも変なので、「読む」と書かせてもらいます。。
 鵜飼さんと山田さんの付き合いは、2017年5月から始まっているのですね。
 公共的なイベントを企画、推進していく力が凄いと思います。



 部屋に閉じこもって、脳内であれやこれやと、好き勝手に妄想をしたことを書いているぼくには、鵜飼さんの実践力が眩しいですよ。
 ここで「まぶしい」を「まずしい」と入力ミスをした。『B』と『Z』の押し間違いなんだけれど、時々ドキッとさせられるんだ。
 人を「まぶしい」と羨むぼくの心が、「まずしい」と指摘されたんだから。
 山田さんの『書庫』も羨ましいしいのだが、「うらやまがうらやましがってはいけないのだ!」
 すべてを消して、書き直すことにした。

 鵜飼さんが『貸本漫画』の体験がないと言っていた意味がわかったような気がします。
 子どもの頃、大阪では『ええとこの子』と羨望をこめていっていた裕福な家の子どもだったんだろうな。
 からかっていると思わないでくださいよ。
 鵜飼さんの視点で、いろいろ発言してください。
 いま、投稿する原稿みたいなものを書いています。
 ある程度、出来上がったら添付して送りますので、それに書き加えて返信してください。
 お二人の書いた部分を、ぼくが合体してから、また送ります。
 その原稿をあれやこれやと意見を言い合って、最終原稿として投稿しようと考えています。





 この企画(?)の魅力は、山田さんが実際に持っている貴重な『貸本漫画』の数々です。
 そこで、画像をバンバン載せたいと考えているのですが、著作権とかで駄目ってことはあるのですか?
 それに、山田さんに撮影してもらうことが多くなりますが、お願いできますか?
 よろしくお願いします。

 浦山さん、山田さん。鵜飼です。
『貸本漫画』の画像の著作権のことですが、『貸本マンガ史研究』には毎回、大量の画像が掲載されていますから、問題ないと思います。
 私自身、『炭都と文化~昭和30年代の地方都市』のカラー頁に『劇画の黎明期を駆け抜けた漫画家中河のりお』を掲載しました。





 中河のりおさんは地方都市のプロのマンガ家第一号ともいうべき方で、晩年まで山田さんと深い交流がありました。





 展示会のときに書いた『地方都市の貸本マンガ文化』と『地方都市の中・高生によるマンガ創作サークル』を添付しています。





 中味は、全て山田さんに教えてもらったことばかりです。






 鵜飼さんが送ってくれた画像の中に、萩尾望都と福山庸治が『キーロック』という同人誌をやっていたと書いてある。福山庸治のファンなんだけど、知らなかったので驚いた。こういうちょっとした知識が増えるのが嬉しいな。

 中河のりおプロフィール
 昭和33年、高校生のときに『夜更けの雨』(雑誌「街」セントラル出版)でデビュー。
 その後3年間に、劇画誌『街』「顔』「熱血男児』などに発表。
『子供の昭和史20~35年』(平凡社)に作品『雨宿り』の写真が掲載されている。

 本人コメント
 小学5年生の頃から肉筆手製の「世界に1冊しかないマンガ本」作りに熱中。中学2年までに8冊作ったあと、SFマンガの原稿を大手の出版社に自信満々送りつけるも、あっさりボツ。
 それでもめげることなく描きつづけ送りつづける。高校1年生のとき、集英社から送り返されてきた原稿に編集者の手紙が添えてあり、便箋3枚にわたって懇切丁寧かつ冷酷無情に作品の欠点がこまかく指摘してあった。
 手紙の末尾に、まだウチの雑誌に掲載するわけにはゆかないが、単行本なら充分通用すると思うから、そっちの世界で修行したらどうか、というアドバイスがあった。(当時のマンガ界は、雑誌がメジャーで単行本がマイナーだったのです)





 そのころ貸本屋で人気のあった劇画誌『街』が新人募集中だったので、高校2年の春、4月、5月、6月とたてつづけに応募し、3作とも入選。(審査委員はさいとうたかを、辰巳ヨシヒロ)7月には出版社から、プロとして原稿依頼するからもう投稿しないように、と通達される。(その年、1958年の年間新人賞を頂きました)
 その後3年間に約20編の短編中編、主にミステリー、ときどきSF、ホラーを、劇画誌『街』『顔』『熱血男児』などに発表。
  進学で上京した1960年、18歳の秋に「筆を断つ」決心をし、マンガの世界を離れる。

 18歳で断筆するというのは、すごいよな。このぐらいの時から、「何者かになる」苦悩が始まるものなのにね。
 山田さんに教えてもらういたいことは、いっぱいあるぞ。

 こんにちは。 山田です。
 画像問題はある程度問題ないと思います。出版社が運営辞めているので連絡しようにも無理ですし。何か言われたら、すみませんと、謝りましょう。©︎マークや出所誌等を一応記す事にすればいいかなと、思います。

 夜間におじゃまします。浦山です。
 山田さん、鵜飼さん。
 第1稿を添付します。
 いろいろこねくり回して書いていましたが、今までのメールをそのまま使うほうが、ぼくたちのやりたいことが伝わるのではないかと思って構成しました。
 ご意見を聴かせてください。

 まとめるのは大変だったでしょう。
 最後付近にダブりな文章がありましたよ。画像は明日書庫から本を取り出し探してみます。
明日は病院に行かなければいけないので今夜はここらで休ませていただきます。
 画像が入ると、たわいのない思い出のやり取りも光った物になりそうですね。素晴らしいことです。
 お休みなさい。

 ありがとうございます。
 気負わずに、楽しんでやっていきたいと思っているのですが、ついつい頑張ってしまいます。
 昭和のサガですかね(笑)。
 おやすみなさい。


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