第35話

文字数 1,051文字


 右側の壁一面に貼ってある大きな鏡が、ぼくに背を向けている裸体の女性を映している。
 三人の女性の後ろと前が見えてしまう。
 彼女たちは、ぼくの視線を気にすることなく身体を左右に動かせていた。
「浦山くんだったかな」
 左側から呼びかける声で首を曲げた。

 大きなテーブルの向こうに一人の男性が座ってぼくを見ていた。
 その後ろは台所で、どこにでもあるような食器棚や冷蔵庫、大型炊飯器などが目に入った。
 座長の顔は知っていたので、金魚の水槽の横を通って近づいて行った。
「練習を邪魔して、申し訳ありません」
「大歓迎だ」
 そう言ってから。隣に座るようにと手で示した。
「ここがいいです」
 女性たちの裸体を見なくてすむように、座長の前に座ろうとした。
「テーブルを挟むと、対立感情を生む。隣に座って欲しい」
 ぼくはテーブルを回って、座長の横に腰を落とした。
 座長は陰毛を剃った股間を大きく広げて座っていた。
「富田が隠れているのか、監禁されているのか確かめたいのかな」
「監禁なんて、思っていません。富田のことをすごく心配している人に頼まれたこともあって、いや、ぼくも気になっていて、すみません」
「謝る必要はない。人を探しに来て服を脱いだ男は、きみだけだ。子どもを探しにきた親で、脱いだのは母親が二人だった。父親は脱がないというよりは、脱げなくなってしまっている。銭湯では脱ぐのにな」
「そうですね」
「脱ぐことをかたくなに拒む親ほど、子どもを返せと表で騒ぐので困る」
「そうなんですか」
 有り得ることだなと思った。
 目の先の形も大きさも色さえも違う三つの臀部を見てしまう。
むっちりと丸みを帯びた尻、小さくて張りがある尻、重たげに動く尻。鏡には六個の乳房が揺れ、三個の臍(へそ)と下腹部、陰毛を剃ってかたちがあらわになっている鼠径部(そけいぶ)が映っていた。

 鏡の中のぼくと目が会って、顔を座長に戻した。
「人間は境界線に取り囲まれている。人間の精神と肉体は皮膚で内と外に分かれている。皮膚は身体に布をまとい自分と他人を分けている。そして、空と風をさえぎる屋根と壁で家族と家族。山、平野、川、海の地形が、村、町、市、県、国という行政的に区切られ、いろんなヒエラルキーで重層的な境界線で支配されている。それらを打ち破るには、まず裸体で世界と対峙することから始まる」
「境界線は、愛でも打ち破ることが出来るんじゃないですか」
「無理だろうな。愛には、裏切りと憎しみがセットになっている」
 座長は、カミソリ負けでかゆいと股間を搔きながら言った。

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