第22話  咲雪のいるところ。 9 

文字数 1,046文字


 駅前の電話BOXにふたりで入った。
「どこでもいいけど、女の先生の方がいい」
 咲雪さんは、電話帳をめくり始めた。
 広告ページの名前で女医を探す。
 三カ所を手帳に書き写した。
最初の病院を探している途中で、電柱の広告を見つけた。
「ここ、女の先生みたいだよ」
産婦人科の下に、医者の名前が優子と書いてある。「すぐそこ」とも書いてあった。
「大きな声で言わないでよ」
 咲雪さんは、広告を指していたぼくの腕を引っ張った。
「すぐそこ」の矢印に従って歩くと、すぐそこに産婦人科はあった。
 小さなクリニックだ。
 待合室には、三人の女性が座っていた。
 男はぼくだけだ。完全に浮いている。
 スリッパに履き替えると、みすぼらしい靴が気になった。
 咲雪さんは堂々としている。
 ぼくも背筋を伸ばした。

「うたさゆきさーん」
 呼ばれて咲雪さんが立ち上がった。
 驚いているぼくに笑顔を残して診察室へ入って行った。
「宇多咲雪」ぼくは何だか誇らしい気分になった。
 しばらくすると、取り残されたような心細さに襲われた。
 他人との比較の中でしか自分を見いだせない人生はお断りだ。
 と言い放っていたぼくは、この超リアルな空間の中ではどこかに隠れてしまっている。
 顔が下を向いていく。

 クリニックを出てから、ぼくたちはしばらく黙り込んだまま歩いた。
 何気なさを装って「どうだった?」と二回訊いたけど、答えをはぐらかされていた。
 妊娠はしていたの? 
 それとも、していなかったの? 

 咲雪さんの希望でパスタの専門店に入った。
 昼前だったので、店内は空席が目立っている。
「誕生日、おめでとう! そろそろ産まれた時間かな」
「変な誕生日になっちゃったわ」
 自嘲気味に咲雪さんは笑った。
「どうだった?」
「診察してもらってよかった。すっきりしたわ」
 ぼくは全くすっきりしない。
「父親が必要なら、ぼくがなるよ」
 勇気をかき集めて咲雪さんに言った。
「うたはるとは、目先の事だけしか考えてないでしょ。ショートスタンスな考え方じゃ駄目よ。十年後、二十年後の自分をイメージしたことはあるの?」
 まるで、最終面接のような質問だ。
「どうして今から、そんな先のことまで心配しなきゃいけないんだ。計画通りに生きるって、好きじゃない」
「それが責任を持つってことなのよ」
 ぼくはそのことを受け入れられない。

 都内にある実家に寄るという咲雪さんを池袋駅で見送った。
 誕生日を一緒に過ごそうと思っていたのに、ケンカ別れのようになってしまった。
 ぼくはいったい何をしているんだ?

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み