第33話 これは これは これは 18 切り抜き漫画製本 2

文字数 1,157文字


  2023・11・15(水)
  




 園田光慶の「あかつき戦闘隊」(原作・相良俊輔)が『少年サンデー』に掲載されたのは、
 1968年(昭和43年)と1969年(昭和44年)にかけてで、前後編の2部に分かれていた。





 原作・相良俊輔とあるのは、小説を書いた作家ということで、漫画のために原作を書くいまの漫画原作者とは全く違うんだよな。
 小説を読んで園田光慶が構成からネームを作って漫画を描いたのだと思うんだ。
 これって、けっこう大変なんだよ。
 映画を考えればわかり易いと思うけど、原作者、脚本家、監督と明確にわかれているよな。
 この脚本家と監督を漫画家がやるわけだ。
 こんなこと、わざわざ説明しなくてもわかってるってか。

 相良俊輔の原作は他にもある。
『うなれ熱球』荘司としお画(ぼくら連載)
『軍鶏』園田光慶(若木書房・1971年)
『血煙り0戦隊』大倉元則(若木書房・1974年)
『どどぶ木戸』さいとう・プロ(潮出版社・1974年)








 ここで、園田光慶のことを書いておきたいな。
 ぼくには、ありかわ 栄一のほうが馴染みがあるんだ。
 

『園田光慶(そのだ・みつよし)』(ウィキペディアより引用)
 1940年~1997年。大阪府出身。
 貸本漫画時代の旧筆名はありかわ 栄一。
 1958年、日の丸文庫から短編集『死剣幽四郎』を発表しデビュー。
 貸本劇画ブームに乗り、雑誌『影』、『刑事』、『ゴリラマガジン』、『魔像』などの貸本雑誌に次々と作品を発表する。

 1963年、『週刊少年キング』に久米みのる原作の柔道漫画「車大助」を連載し少年誌に進出。1964年、同誌に連載した「ホームラン探偵局」より“園田光慶”に改名。1967年、『週刊少年サンデー』に相良俊輔原作の戦記漫画「あかつき戦闘隊」を連載し大人気を博した。
 1979年頃からはシナリオライターの久保田千太郎とともに歴史物コミックの世界にも挑戦し話題をよんだ。
 代表作は『アイアン・マッスル』かな。
山田さんもファンで、『第04話 始まりは、一斉メール 4』で「ありかわ・栄一改め園田光慶」ってカッコいいなってメールしていたんだ。

 ペンネームをありかわ・栄一から園田光慶に変えたのは、貸本漫画から雑誌に移行した時なんだな。
『アイアン・マッスル』東京トップ社(1964年~1965年・書き下ろし単行本)は、
「ありかわ・栄一改め園田光慶」とクレジットされている。
 いま見てもカッコいいよな。









          *東京トップ社(全3巻)


 このあと、少年画報社の『少年キング』(1966年19号)にも描いたんだけど、読み切りで終わった。
 好評なら連載とか、シリーズになると思うので、ならなかったのは貸本と雑誌を読む読者層が違ったのかもしれないな。


 これは これは これは 19 に続く。

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