第19話

文字数 1,014文字


 三奈の文字は、定規を使って書いたように角張っていて読みやすい。
 子どもの頃から男の文字だとからかわれたと、恥ずかしそうに言った。

「ぼくは映画芸術で斎藤龍鳳って映画批評家を発見したんだ。彼の想い入れが激しくてひたすら熱い批評には、好きじゃない映画でも、つい感動してしまうんだ。文章に力があるんだよ」
 三奈は雑誌を手に取って、斎藤龍鳳のページを開いた。
「享年四十三歳。七十一年三月に、中野のアパートでガス中毒死したんだけど、『コーラが飲みたい、今日はよく勉強した』という走り書きが残してあったんだ」
 ぼくは、三奈の視線に促されるように続けた。
「映画監督に大島渚がいるんだ。六十年代に篠田正浩や吉田喜重たちと松竹ヌーヴェルヴァーグの旗手として知られていた。その大島渚が書いた斎藤龍鳳への追悼文が泣けるんだ。

『龍鳳よ、斎藤龍鳳よ。
 ぼくは確かに君の叫びを聞いたよ。君の叫び声を聞いたよ。
 君の叫びは、ぼくたちの時代の無念さを伝えていた。
 映画批評などを書いて生きねばならなかった君の無念さを伝えていた。
 それは君が自分の生活を語った文章にあったような美しくも悲しい響きだった。』

 大島渚は二十七歳で監督デビューした作品『愛と希望の街』が不評だったんだけど、龍鳳(りゅうほう)が、ス薄井作品だと、映画関係者にふれ回ったんだ。その後はトラブって不仲な時期もあったようだけど、同志として繋がっていたんだと思うんだ」
 気が付くと、ぼくが富田状態になっていた。

 しばらくテーブルを挟んで、共同作業を続けていた。
 ボールペンを置いて椅子から下りた三奈は、後ろ向きになってテーブルの陰に沈んだ。
 ポ二―テールの青いリボンが動いて鼻をかむ微かな音が聴こえた。

 今日は、思わないお金が入ったので、ぼくにとっては高級なハンバーグ店へ食べに行くことにした。
 三奈はカードを自分の部屋で作ると言って、持ち帰る雑誌を選んで欲しいと言った。ぼくは雑誌の中から、比較的きれいな本を選んで渡した。

 高円寺を歩くときは手を繋がなかった。
 この町では、繋ぐ必要もなかった。
「この店は、ハンバーグと目玉焼きの数を増やすことができるんだ。1&1が基本、最初がハンバーグで次が目玉焼きってこと。常連になると、指だけで注文するんだよ。サラダは親指、スープは小指を立てるんだけど、意味わかんないだろ」
 ぼくは店長に、指を使って2&2と1&1。
 そして両手の親指と小指を立てた。


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