21 魔法の薬
文字数 4,534文字
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そして今日は柚香との二度目のデートだ。彼女を好きにしていいとの蘭さんとの約束は、『はあ? 百歩譲って模擬戦すらやってないのに
まあいいや。どうせマスクとサングラスと日傘であろうと、横に並んで歩けるだけで嬉しい。
俺が160で彼女は153。俺より弱い柚香。守るべき立場の柚香……。
「私も行く。同じチームである私にこそ必要」
なのに茜音が同行する。
「しかし、エースパイロットと司令部の女性隊員。ふつうは私とくっつくのが筋だよね。相生となんて断るけど、だとしても、あれのどこがいいの? 知っている? あの女は以前にさあ――」
しかも二メートル後方でうるさい。彼女の話になると、彼女から男らしさは消える。
「僕はやっぱり夢月ちゃんかな。スカシバを抜きにすればね」
隼斗まで興味本位でついてきた。
「もちろん茜音さんが一番だけど、一番上のお姉さんって感じ」
気配りを忘れない彼は、ネット小説の日々更新にいそしむ方々よりは、もはや元気体だ。なんだか背も伸びてきたし。夏休みが終われば中学に通うため、遅れを取り戻すべく頑張っている最中の息抜きだ。
しかし比企郡なんて存在を初めて知った。なんて読むのだろう。そのまんまなんてあるはずないし。そこにある町で待ち合わせなんて、柚香が住んでいるのだろうか?
茜音は律儀に『参加員すべて集合』のメッセージをグループに送った。司令官から返信が届く。
『あの一帯は平成の大合併を巡り、血で血を洗う仁義なき戦いを繰り広げた。特定の町村に偏った発言をせず、郡内で東松山市の名前だけは口にしないように』
モスの三人は緊張しながら東上線に乗る。
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「なんで京王線と井の頭線の交差駅に通う私が、秩父盆地入口に下宿しないとならない。それよりなぜに木畠がいる。ここは鳥獣保護区ではないぞ。掛川でも花鳥園でもない」
不用心なチームと現地合流した柚香に、マスクとサングラスに日傘のいでたちで怒られる。東松山市のスパイと勘違いされそうだ。
「ここは雪が数メートルも積もらないけどね。電車が一日数本だからかんじき履いて通学する地帯と違って、
茜音はBランクチームの参謀になって強気だ。柚香の手にスタンガンが現れて消える。マーチな女子二人が早速火花を散らすから、話題を変えよう。
「茜音の件は司令官の伝令ミスだと思う。それより、ここに研究所があるのか?」
「はあ? 相生は人の話どころか人のメッセージも読まないのか? ここで抗フェロモン薬の治験を行うのだろ」
茜音はどんなにコンディションが良くなっても、彼女といると機嫌が悪い。俺から二メートル離れて目を合わせずに怒ってくる。
「それに進んで協力してくれる人がいる。まさに正義の人だね」
柚香のがやさしく感じる。茜音がいると。
「誰?」
「動的亀甲隊の隊長。町役場で職員している。昼休みの約束だから、あと十分ぐらい」
「
レベル80を越えた隼斗は雪月花相手にも退かない。俺は大森で一日一緒に過ごしたんだぞ。
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「この人?」思わず指さしてしまった。
いわゆる亀の隊長さんは美人で、背丈が170以上あってFカップ。下着を装着せずに黒い密着したスーツを着ていたから、形状も先端もはっきりと覚えている。でも。
「これは反則だと思う――」
しまった。口にだしてはいけないことだ。実物の口角がぴくりとした。
「隊長さん、ひさしぶりです。自然があっていいとこですね」
隼斗が即座にフォローしてくれた。
「えーと……、スパローちゃん? 退院したんだ。すごい元気そう!」
隊長さんが涙ぐんだ。
いい人じゃないか。背を15センチも伸ばして、AAをFに偽装したとしても許すべきだ。モスガールジャーも人のことを言えないし。
年齢は二十代末期でそこは偽ってなさそうだし。見た目は俺の女性版で都会に紛れたら二度と見つけられないけど、この町ならその心配はなさそうだ。
隊長さんが窓口する“にぎやか産出課”の会議室が借りられた。昼休憩の職員さんたちが、室内でも日傘を広げる柚香を露骨に目で追う。俺は一緒にカフェで休憩したことあるが、東京の人たちは見て見ぬふりだったのに。
最後に入室した隼斗がドアに鍵を閉める。窓も閉じて、クーラーの固定された設定温度を柚香が魔法で12度にする。寒いぐらいだが、雪国生まれらしき彼女には丁度みたいだ。茜音もコンディションがいいからか文句を言わない。
「隊長さんは生身の相生と会っていないので、まずは彼の顔を見てください。おそらくこの男を、鼓動が飛びでるほどに好きになってしまいます。耐えてください」
会議テーブルを挟んで茜音が言う。
「その後に、この目薬を差してもらいます」
柚香が割りこむ。疲れ目に効く市販薬の容器だが、中身を入れ替えてある。
「治験が成功すれば、彼はこの町に紛れても二度と見つけられない、ありふれた男に見えるはずです。……失敗すると、雪月花の月とこれを奪いあうことになります。彼女は惚れたままです」
おのれの身を省みない正義の女が、つばをごくりと飲んだ。
布理冥尊の親衛隊や五人衆とも奪いあうことは黙っておく。もっと大事なことを教えておかないと。
「茜音や柚香が感染したときよりも報酬を受け取り、変異がすすんでいます。最悪の場合は、鼻血をだしながら悶絶して、おのれの熱を覚ますために池に飛びこもうとします」
実際に一人いた。
「……それを聞いて覚悟しました。犠牲者を減らすために、我が身を捧げましょう。しかし寒くありませんか?」
カーディガンを取りにいったが、まさに正義の地方公務員だ。
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「では目を合わせてください」
茜音に言われてサングラスをはずす。
夏の昼下がり。年齢は違えどありふれた男女二人が、テーブルを挟んで見つめあう。
「……たしかに。身構えていなかったら」
隊長さんが息を飲み込む。
「彼は二十歳前後ですよね? それなのに……私は両親から、そろそろ亀甲隊を引退していい人を見つけたらと言われています。……彼のためならば一線から引いて、身を尽くしてもいい。年齢なんて関係ない。幸せな家庭を築きたい!」
隊長さんが立ちあがる。……彼女は親公認の正義の味方だったのか。それだと戦いに全力を注げる。俺も真似しようかな……。母は信じない。医者に連れていかれる。でも桧だったらどうだろう? そう言えばこの女子二人と四人でカフェに行ったとき、信じないまでも受けいれていたよな。妹にその記憶はもうないけど――。
「いつまで見つめている。殺す気か!」
茜音の正義の怒気。
しまった。隊長さんが、暑いですねと地方公務員の制服を脱ぎだした。十八歳未満を宇宙空間で見ていた十五歳未満がいるのに。
「隊長、落ちつきましょう。座ってください。抗フェロモン薬を点眼します。ただし少量から始めます」
柚香が彼女の目に薬を垂らす。
「もう一度、相生を見てください」
また見つめあう二人……。
「……すごい。目だけでなく心に沁みわたる。こんな男に騙されるなと、父の声が聞こえてきそう。でも、まだ揺れる心」
「効果はあるみたいです。ではもう一滴ずつ。……ちょっと垂らしすぎたかな」
隊長さんが瞼を何度かしばたかせる。俺を見つめる――。鼻にしわが寄った。
「不快です」きっぱりと言う。「この男を帰らせてください」
嫌悪露わに指をさされる……。
「すごい薬だね! さすが櫛引博士。会ったことないけど」
隼斗は楽しそうだ。俺は楽しくない。
「せっかくだから、もう一段階試そうよ」
茜音と柚香は反対したが、隊長さんが俺をにらみながら同意する。
隼斗がどばどばさす。隊長さんが目から透明の薬を垂らしながら俺を見る。
「布理冥尊め!」彼女が立ちあがる。「総員召集!」
スカートのポケットから端末をだす。正義の美女へと転生する。黒い密着したスーツ。
巨大な四脚歩行の亀型兵器がテーブルを破壊して現れる。戦闘服を着た男性隊員三人も登場する。俺へと銃をかまえる。
「手出し無用。私が止めを刺す」
長い脚の亀型兵器に乗った隊長の冷徹な声。目の前で黒光りする亀の口が開く。レーザー砲が生身の俺へと――。
時空が凍りついた。
「……ふん!」俺だけが動きだす。
「……記憶は私が消す。木畠には机と窓と会議室が壊れた理由を考えさせる」
黒神子はなんだか悔しそうだけど。
「これでまた、柚香でも相生の顔を見られるね。へへへ」
笑ってくれた。
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亀甲隊の仕業とはいえ、修復費に町民の血税が使われるのは気がひける。なので、藍菜の私的慈善団体から比企郡に寄付することになった。彼女は私的にサマーなジャンボやロトな八桁を当てているので痛くもない。寄付金の分配を巡りまた血で血を洗っても、そこまで関与しない。
茜音はその場で目に一滴垂らした。慎重な柚香も隊長さんが脱ぎだしたのを目前にして、副作用などの経過観察することなく二回ずつ点眼した。
俺は2ダース渡された。ストーカーになった人は言いなりだから、点眼するのは容易だろう。
柚香と二人ならば東松山市の動物園にコアラを見にいこうと計画していたけど、役場のとなりでランチする。慎重な柚香も会計がモスガールジャーと聞いて参加した。サングラスもマスクもはずす。やっぱりかわいい。金髪に黒ぶち眼鏡がよく似合う。
ピザを三枚頼んで四人で分け合う。
目の前に並ぶ二人を見ると一月前が懐かしい。あの時は俺に熱い目線をかけていたが、今はピザにしか興味はない。またグレイマンに戻ってしまった。でも女性客が来た。サングラスをしないと。
「そうだった。返さないとね」
茜音がバッグを開ける。
「あの二人に、あんたから渡して」
大田区で伊良賀紗助の捜索に用いた端末だ。あの二人とは仮面ネーチャーのこと。失礼な話だが、正義オブ正義の彼らはモスガールジャーと接点を持ちたくないらしい。
そう言えば俺が初めて召集される直前、強大な悪さえ倒すルーキーが現れるのではと、みなが予感していたらしい。嵐の前の不穏な空気に似たものを感じたらしい。そして、その正義に選ばれしものは男であれ女であれ、仮面ネーチャーに現れると思われていた。なのに、俺はモスガールジャーに登場した。正義のためならどこでもいいけど。
「見せて。蘭さんは僕に持たせてくれなかったから」
隼斗が手を伸ばす。柚香が、中学生男子がって顔で渡す。
「勝手に電源が入る。やっぱりごく微量の精神エナジーを高位エネルギーに転換しているね。雪月花でいう魔法……。茜音さん、マップが黄色いよ。それって」
「紗助君が近くに?」茜音の顔が青ざめる。
「それども……マンティスグリーン」
柚香も緊張した顔で俺を見る。その頬が赤らむことはなかった。