19 蒲田駅から26時間が経ち
文字数 2,168文字
そういえば鳩時計があったな。
港区のどこかのビルで十二時に目を覚ます。体中汗だらけ。隣の夢月も寝苦しそう……。
本来の体を抱き合うだけで治せるはずなく、両目ともパンダになり、あのかわいかった唇は明太子。鼻は潰れてめりこむほどで、治るのかな……。
レイヴンレッドめ。焼石め!
しかし、ざまを見ろ。
俺の欺瞞の力をこんなに頼もしく思ったことがない。それに嵌まった人間を喜ばしく思ったこともない。奴は俺と夢月を本宮に連れていこうとした。俺を原理主義だかに差しだそうとした。それはおそらく人喰いの連中……。なによりも夢月のかわいい顔を滅茶苦茶にしやがって!
レイヴンレッドめ。お前の地獄はこれから始まりだ。
でも今は海水でこわばった夢月の髪をほぐすだけ。彼女は俺の腕を知らぬ間に枕にしていた。こんなにしびれるものなのか。起きるまでずっとしていてあげるけど。
――お目覚めですか。
……諭湖の声がした。
――いまの私は人に見えぬ状態。いくつか伝えに来ました。
***
まず、南西十字星彡が画策したスマホには連絡しません。互いの陣営に筒抜けになるからです。
冷静に考えると、あなたが私に愛を持つはずがありません。あるのならば、あなたは少女への性的倒錯者です。ああ……、それはそれでかまいませんが、おそらくあなたの性的嗜好は違います。つまり、あなたは私の内面に心を傾けたのでしょう。
私も精霊になり、『おお、これぞまさにモブ』としか形容できないあなたの寝顔を見て、なにより傷ついた彼女への眼差しを見て、あなたの外見に溺れたのではないと気づきました。大司祭長のような優しい眼差し……。
互いの安全のために、今後は
この声は脳みそに直接届く。穴熊パックは話しつづける。
こちらにはレイヴンレッドがいます。あなたへの協力はばれます。そちらに賢い人はいないですが、あなたが焼石様のように真理に気づくまで、行動を起こすべきではないでしょう。愛は人を盲目にしますので。
ビルを壊し近衛エリートを多数失い、私の作戦は大失敗に終わりました。今後は関東のテロリストに対処するのは、五人衆でも原理主義の輩になります。お気をつけください。
ふいにそよ風が吹く。夢月の前髪を揺らす。
ここでの明け方の、あなたの演技は最悪でした。私を守るために必死なのは伝わりましたが、理論も屁理屈もありませんでした。
でも、そんな道理に彼女だけは賛成しました。あなたの声など誰も聞きませんでしたが、彼女の意見は絶対でした。紅月照宵のおかげで私は本部に送られませんでした。
……あの時は心底怯えていました。なので、彼女の傷をすべて精霊の力で治癒します。これで貸し借り無しとします。
いつかお会いできるでしょう。その時には私と気づかれますように。
凪奈は猟犬です。あなた方の名前は伝えていませんが、一度狙った獲物の追跡をあきらめません。それは虎も同じです――。
***
なにを言っているのかよく分からなかったけど、あの布理冥尊は味方なのだろうか?
信じるはずない。欺瞞でつながっただけだ。
でも、夢月の顔がかわいく戻っていた! こびりついた鼻血さえも消えている。
ならば信じる。いや信じないけど、お礼はする。できれば俺の傷も治して欲しかった。まだ蹴られた腹が極めて痛い。
たしか三日間起きていたと言ったよな。三日ぐらい寝続けそうなので、彼女の首から腕をはずし、肩を揺する。夢月は大きなあくびをする。
「負けちゃったね。じゃあ行こうか」
彼女は傷が治ったことに気づかない。おそらく顔が変形していたことを知らない。
「どこへ?」
「あの島へ特訓に行こう。生身で模擬戦しよう」
「やめておこう」さすがに断る。
「冷えてておいしいよ」
夢月は冷蔵庫から魔法でミネラルウオーターを取りだす。俺の手には現れない。
「智太君が焼石を撃退したんだ。やっぱり私の王子様」
嘘ではないから否定しない。……なにか気になることがある。なんだっけ。
「でも、この部屋に戻ってくるなんて。私、そんなに熟睡してた?」
蘭さんの膝を枕に爆睡していたけど、それだ!
「敵前逃亡! 本部に二回殺される!」
もしかしたら俺も。
「逃げよう」
「抹殺対象ってこと? 大丈夫だよ。誰も私の処刑部隊になりたくない。関西のあのチームでさえだよ。来たら、本部ごとぶっ潰してやる」
大正義の論理。ならば俺も大丈夫だろう。
「行こうか?」今度は俺が言う。
「どこへ?」
「それぞれの家に帰ろう」
「うん!」
俺たちはもう一度スカシバレッドとかぐや姫に変身する。そうしないとハウンドピンクに匂いを追われ続けるらしい。ついでにミカヅキに乗せてもらう。
人が視認できない速度だから、あっという間に練馬区に着く。石神井公園の裏の裏で、ふらふらしながらおろしてもらう。
「さ、最後だから智太君が抱えてください」
かぐや姫がおもいきり頬を赤らめる。
断る理由がないから、スカシバレッドは背後から抱く。そのままの姿勢で二人は裸になり、相生智太と竹生夢月に戻る。目を閉じてと言われたのを忘れた。
「じゃあね」と夢月が手を振る。杉並区まで走っていくそうだ。
俺はサングラスをかける。彼女が紛失しなかったのはこれだけだった。