26 ロングビーチに墜ちる
文字数 3,180文字
俺は心にネーチャーの端末を思う。現れない。雪月花の端末も思う。現れない。俺はただの相生智太に戻っている。スカシバレッド同様にふらふらの体で。
こうなったらどうにもならない。
「ゴルフ場での果し合いはでまかせだったのか?」
俺を爪先でつかむ悪魔に喘ぎをこらえて聞く。こいつらへ怒れ。呪え。それを力に変えろ。
「展開は二十通り考えていた。最善ではないけど悪くはない」
インコみたいに肩へとまる真壁が答える。その手に端末が現れる。
「焼石応答しろ。コールドレッドを捕らえた。あの女を連れてこい」
「しかしうまそうな匂いだ。お前を食えば月を越せる。間違いない」
悪魔が俺を逆さ吊りにする。巨大な口の前に持ってくる。牙がずらり。
怯えるな。震えるな。勝てるはずなくても、食われる時にせめて牙を一本抜いてやれ。
「月を倒すのが目的じゃないですよ。そいつをいま食えば、赤い月は大司祭長に従わない。あなたは責任をとることになる」
「ここでこいつを食い、さらに月も喰らう。あの方も越せるかもな」
「僕はあなたの味方になりませんよ」
「私もです」
美しき獣人が空から降りてきた。背丈は3メートル。漆黒の地肌にペインティングのような赤い縞模様。黒い羽根を背中にはやす。おぞましい姿のはずなのに、妖艶だ。
しかし頭に血が溜まる。
ヘルメットが重くて落とす。心にエナジーナイフを思う。現れない。……バイクの中にはスマホがある。登録された情報から自宅につながってしまう。端末があれば自爆させられるのに。
「月はどうした?」真壁がレイヴンレッドに聞く。
「あれは想定外。こいつを捕らえたことは伝えたが、それでも月明かりを空から放つかもしれない。――想定外がもう一つ。月はマントを使ったようだ。精霊になっていた。……私はあれをよく知っている。あれが後継者とは、とても思えない」
そう言うと、レイヴンレッドは体の力を抜く。人の姿の精霊に戻る。
「ほかにいないだろ。……凪奈は殺してもいい。夜桜の特性が弱まらないと、凪奈と諭湖のアジトは隠されたままだ」
真壁が
「しかし、月が精霊のマントを使うとなると厄介だ。こいつは巨大な龍になった。つまり巨大な鳳凰になる」
ひよこになることは教えない。しかし脳に血が……。おかげでふらふらが治った気もするけど、腹筋で頭を上げたりする。
「あの娘は精霊になれば、いまだ力が落ちるだろう。ハウンドが犬になれば使えぬ術があるように」
さすが親衛隊隊長。ばればれじゃないか――。レイヴンレッドから俺への怒りのオーラを感じる。ウサミンミンを殺したなと、目がマジで訴えている。腹筋をやめて素直にぶら下がる。
逆さまになったポケットから何かが落ちかける。これは目薬……。
「雪と夜桜は復活したと考慮して行動すべきだ。……申し訳ないが、私は離脱する。ひさしぶりに戦いでダメージを受けた」
レイヴンレッドの右腕は止血帯が巻かれていた。
「本宮が消滅したから回復してもらえな――」
ハデスブラックが言いかけて釘付けになる。
前方からジャンボジェット機の胴体を越える光が現れる。紅色。まっすぐに飛んでくる。
背後からの十六夜を、レイヴンレッドは飛んで避ける。光は俺の真下に衝突する。巨大な悪魔の腹部へ。しかも三連発。
「ごうああああ!」
ハデスブラックが吹っ飛ぶ。ついでに俺を手から離す。
俺は生身のままで落下していく。
「智太君!」
夢月の叫び。腕をつかまれて関節が外れかける。
紅色スクール水着の紅月にミカヅキへ乗せられる。助かった。
なのに背後から追撃。
「きゃあああ」
紅月が、レッドタイガーソードに背中を斜めに斬り裂かれる。更に。
「きゃ……」
俺を掴んだ右腕が斬りおとされる――。俺はまた落下して、髪の毛を乱暴に握られる。抜けかけるが、俺の毛髪は丈夫だ。でも痛い。
「深雪が高めたとはいえ、真壁の城壁をたやすく消したな」
レイヴンレッドが俺の首をつかみなおす。ここはクロハネの上。俺は心にネーチャーの端末を思う。……なおも現れない。
「律された精霊の力はしばらく回復しない。お前は今夜はただの人間だ。……抵抗するな。夢月と大司祭長が語りあい認めあえば、お前も赦される。それが平和への最短で最善だ」
こいつの話など聞かない。俺はポケットから目薬をだす。眉毛からぼたぼた垂らす。両方の目へと流れていく。
「何をしている?」
レイヴンレッドは振り向けない。俺は滲んだ目で見る。
本当の月の光より明るい、紅色の光が向かってくる。
自分の腕を持った紅月が夜叉の表情で追ってきた。
「私の腕の防御力は100000000000000000だ!」
すなわち百京。スパコンの処理能力に匹敵するとは信じられないが、ミカヅキの上で彼女は自分の腕を傷口に張りつける。つながったばかりの手で円を描く。
俺がいるのに。
「十三夜、十三夜、十三夜、十三夜、十三夜、十三夜、十三夜、十三夜、十三夜!」
「なんて奴だ」
軽やかにすべてを避けるレイヴンレッドのひとり言が聞こえた。光は大磯の空を越えて海へと飛んでいく。
俺はひたすら目薬を垂らす。空になった容器をポケットにしまう。生命が窮地だろうとポイ捨てだけはしない。
レイヴンレッドがクロハネを静止させる。
「夢月、冷静になれ。こいつがいるだろ」
俺を引きずるように持ちあげる。盾として掲げる。
「忘れていた! 智太君、大丈夫だった?」
ミカヅキに乗った紅月もその前に停まる。
いきなりいなくなる。
「鉄槌を喰らったな」
レイヴンレッドが荒い息で無理してほくそ笑む。
気づけば海岸線上の空にいた。ライトアップされた横長のプールから、豪快に水しぶきが上がるのが見えた。巨大な闇が追っていく。
「城壁の結界がモスキャノンを弾いたぞ。隊長は無傷だ。……生身だと気づけないか?」
レイヴンレッドが言うけど、俺はスカシバレッドでも高位エナジーを視認できなかった。ましてや今は目がぐしょぐしょだ。……ぐちょぐちょなほどに性フェロモンを浴びた。
「焼石」俺は振りかえる。「お前たちは俺たちに勝てない」
満月は空のてっぺんに近づいている。レイヴンレッドも照らされる。ダメージが蓄積した疲れた顔。なおも挑戦的な妖艶な瞳。
俺はその目を見つめる。
レイヴンレッドの頬が赤らむ。
「き、貴様、また仕掛けたな!」
でもバレバレだ。左手にレッドタイガーソードが現れる。
「な、何もしていない。目を合わせただけだ」
命の危機ならば、嘘もぺらぺらでてくる。
「俺たちがレッドだからだ。結ばれる運命だからだ。竹生夢月が俺を求めるように」
俺はさらに見つめる。ロングビーチのはるか上で、レイヴンレッドは俺から目を離せない。月明かりに照らされたロマンチックな空中散歩。であるはずないけど。
「俺たちはレッドだろ? 戻ってこい。ともに戦おう」
空には流れ星。
「キラメキック!」
痛烈なドロップキックがレイヴンレッドの頬に直撃する。
レイヴンレッドがロングビーチへと落ちていく。クロハネが消滅する。
俺はキラメキグリーンに抱きかかえられる。
「深雪さんに極限までパワーアップしてもらいました。さらに私は流星のように、すべてのエナジーを瞬間に注ぎこみ燃え尽きることができます。今の一撃はレベル170のクリティカルヒットに値します」
キラメキグリーンが上空へとビュンと飛ぶ。
「追撃するエナジーはありません。モスプレイに戻ります」
「紅月が落とされた」
「存じております。でも戻りましょう」
「……分かった。キラメキありがとう」
「はい!」
満月を背景に、モスプレイが闇から姿を現した。