13 さらなる修羅場ハーレム
文字数 3,695文字
「あとで記憶を消してあげる、へへへ」
笑って許してくれた。
「紫苑太夫は恥ずかしすぎるってほぼ使われない。お蘭の本名は
私は地方出身の一人暮らしだから秘密を告げる相手はいない。仕送り多めだからバイトしていない。里帰りは急ぎで済ますから、男が東京で待っていると思われている。フリーなのにね。へへへ」
夢月は学業がよろしくないから、あまりよろしくない高校に通っている。そこでも髪を遠慮なく染めているから学校の覚えもよろしくない。でもあの容姿だから贔屓されて許されている。柚香はそんなことまで教えてくれる。
「私たちの報酬は生身でも魔法を使えること。悪を倒すたびにどんどん無敵になれる」
「モスのメンバーの報酬は?」
「シルクやエリーナなんかのなんて知るはずないし。それより特性を教えてよ」
「龍と――」
「龍! 格好よすぎ! 蘭の“胡蝶蘭”と“
「と陰……」
「へ? そ、そんなの気にすることないよ。夢月なんか“惨”だし。残りは“鳳凰”だけどね」
「柚香は?」
「わ、私? 私なんか“雪割草”と“
自分のことを慎重と言っていたが、電車内でぺらぺら喋りつづける。桧に割りこまれる隙を与えないほどにだ。夢月の制服の件には触れようとしない。だからこっちも触れない。モスガールジャーの指令室に丸投げしたい。
「この人ヤバくない?」
桧が小声で言う。柚香から中二病的匂いを嗅ぎとっているが、俺は否定も肯定もしない…………。どうも視線を感じる。向き合った座席にいる中二ぐらいの女の子だ。俺たちをちらちら見ている――。無音だけど、いまカメラを撮ったよな。
「深雪」右隣へと小声でコードネームを告げる。「向かいの女の子」
柚香の目が変わった。昨夜のコケライトへと向かったときの顔だ。彼女が立ちあがる。その手にスタンガンが現れる。「ちょっといい?」と女の子に話しかける。
「さっき靴を入れたビニール袋が消えたのは気のせいと思ったけど」
左隣の桧も目撃していた。
「あの人は
「違う。
単なる一般人だと判明して騒ぎは大きくならなかった。それでも柚香は俺を写した画像を消去させた。SNSにはまだ送られていなかった。
美少女と謎のマスクバンダナ女を引き連れた冴えない男。どうせそんなテーマだろうけど、以後の車内は静かになった。
***
『妹と雪も一緒』と茜音には送ってある。彼女は昨日と同じ席を確保していた。今日はメイクしているが、不機嫌な面だ。
「そもそも月は放課後帰りみたいに戦場へ現れた。汚損を覚悟していたと判断できる。さらには着替えを赤モスに押しつけて戦闘を続けるのを困難な状況にして、そのまま忘れて帰った。さらにさらに年ごろの女の子のくせに、夏場に三日以上も同じ服を着ていたらしい。
そんな汚れがさらに汚れたのを善意で捨てたことを、我々の非だけにするのはいかがなものでしょう」
懸案も伝え済だったが、さすが木幡茜音。おそらく圧倒的正論だ。
「賢いオウムだね。問題は私たちのエースは賢くない。むしろ感情で動く」
柚香が腕を組む。茜音も眉間に指を当てる。想像以上に深刻そうだ。
「あいつはモスプレイを落としたのを笑って済ましたよね。
茜音は眉間から手をどかさない。
桧がトレイを持って戻ってくる。俺はアイスティー。桧はクリームなどが乗った甘ったるそうな飲み物。柚香はアイスカフェとミルクレープを頼んであった。支払いはモスガールジャーだが、領収書は無記名にしてもらった。
「お兄ちゃんは何もしていないのだから、私のせいにしていいよ。実際にその通りなんだから」
桧がクリームをストローですくいながら言う。
「それしかないよな」
柚香がケーキを一口食べたあとにスマホを立ちあげる。
「例の件は蛾の関係者が紛失。中井草のカフェで詳細を確認中。あなたは自分の重要案件に専念するように。――こう送っておいた。細かいことは電波では伝えない」
「その説明だと余計に疑念が湧くと違う?」
茜音が苦笑いして俺を見る。やけに不安げな目。急いでメイクしてきたからかリップがすこしはみ出ているけど、こいつもかわいいよな。高校のクラスレベルでは一位だったよな。今日はスカートだし……というか俺を凝視し過ぎ。
柚香はちらちらと俺を見る。「冷房強いね」とどこからかベージュのカーディガンを取りだして、知らぬ間にタトゥーが消えた肩にかける。はにかんだ笑みを向ける。
……俺は違和を覚え始めている。妹が勝手に砂糖とミルクを二つずつ入れた紅茶をグラスから直接飲む。甘いけどおいしくない。
「今日の智太君に昨日よりも惹きつけられる。きっと戦いが男をさらに魅力的に……!」
茜音は慌てて顔を逸らす。
「わ、私、変なこと言ったかな」
氷の溶けた水をずるずるとすする。
「……あんたがオウムになれば夢月も
柚香がミルクレープの地層をフォークで破壊しながら言う。
「あいつはアメシロが搭乗していようが、月明かりをぶっつけただろ――」
茜音は隣に座る柚香を睨むが、見つめかえされて顔を戻し唇を噛む。
柚香は俺の隣も無表情に見つめる。
違和感だけが強まっていく。
桧は必要以上に俺にくっつく。怖いお姉さんたちの怖い顔と向かいあっていたら仕方ないよな。テーブルの上で柚香のスマホが振動した。
「重要案件を
沈黙が流れる。
「おそらく桧ちゃんにはむごいことをしないと思う。でも智太君には分からない」
茜音が言う。俺を名前で呼んだからか、隣で桧がぴくりとする。
「だね。智太さんはモスの新しいエースだ。あなたの身だけは守らないとならない。だからあなたは逃げるべき。……またいまの姿でも会えるよね。へへへ」
柚香がじっと俺を見る。千年の別れのように俺を見つめる。
これは絶対におかしい。
「お兄ちゃん、早く帰りなさい!」
桧が席を立ち、俺をうながす。向かいの二人を睨みおろす。妹だけは変わらない。
露骨に迷惑な目を向けてきた隣席の三十ぐらいの女性が、俺を見て、俺を見つめて、その頬が赤らんできて、はっとしたように顔を戻す。手にしたカップを落とす。
確定だ。
ふざけんなよ。いや、待てよ。この報酬こそ……。
いや駄目だ。俺は正義の味方だ。夜に舞う美しきスカシバレッドだ。こんなものを受けとる訳にはいかない。俺は立ちあがる。
女性バイト店員が二人とも俺をじっと見ていやがる。こんな眼差しを二十年間で妹以外に受けたことはない。女からの欲情さえ感じる。
茜音でなくアメシロに尋ねたいことが、北関東の山奥ほどにある。お願いしたいことだってあった。でも、
別れの挨拶もせずに店外へ向かう――。自動ドアが開き戸になった。
日差しと一緒に、握りこぶしをおろした体育着姿の女の子が飛びこんできた。衝突しかけて、その子を抱いて受けとめる。
紅月照宵であり竹生夢月であり規格外の魔法少女であり夏休み直前の土曜日に補習を受ける高校生であるかぐや姫と、お互いの息を感じる距離で見つめあう。凛とした面立ち。なのに吸いこまれそうな隙のある瞳。
祖父の葬式で坊さんが言った言葉を思いだす。人の出会いは一瞬であって永遠らしい。
「紅月! その人はスカシバレッドだ! この人を傷つけるならば、私はお前と刺し違える! 智太さん逃げて!」
この子のエナジーの仕業か、一体になるほどに触れあえば、五感が野獣と化す。黒装束を
「……あなたが赤モス? 制服を無くしたなんて
かぐや姫の仮の姿から涙が溢れる。
俺は報酬に感謝しかけて、善なる心が押し寄せてきて、
なのに離れられない。
その姿勢のままであの子に詫びる。独断で決める出来レースのはずだったのに、まさかのスカシバレッドの負け越しだよと。悔しいけど、陽の光のもとで見るこいつのがずっとかわいかったよと。
でも、だからこそ一緒に戦いつづけよう。俺は底辺レッドのスカシバこそをフォローするから。一緒に強くなろう。
昼に飛ぶ蝶のように美しく舞おう。
竹生夢月はまだ俺の目を見つめている。